物心ついた頃には殴られて蹴られてなんてのは当たり前だった。最初は確か幼稚園の頃。お腹が空いてて、それなのにお母さんはいないしお父さんは新聞やテレビに夢中で。お腹が空いたよって言ってもお父さんは無視して、悲しくってわたしは泣き喚いた。そしたらお父さんは見たこともないくらい怖い顔をしてわたしを思いっ切り殴ったんだ。平手じゃない、拳だった。幼稚園児らしいふっくらした頬を殴られて、わたしは痛みで更に泣き叫んだ。なんで。なんで撲つのお父さん。だけど泣けば泣く程お父さんは殴ってきて、泣き過ぎて喉が枯れる頃にはわたしは床に倒れて蹴られていた。帰ってきたお母さんに助けを求めたけどお母さんは冷たい目でわたしを見て、お父さんに寄り添うだけだった。

それからは早かった。お父さんの機嫌が悪いと殴られて蹴られて、酔っ払った時には酒瓶で打たれたり暇潰しに熱湯をかけられたりした。その頃になると幼いわたしも学習して、泣けば泣く程酷くされることを知った。傷が目立って学校にも行けなくなって、わたしは中学高校と毎日毎日家に篭っていた。打撲切り傷擦り傷火傷、栄養失調は当たり前。お母さんは汚いものを見る目でわたしを見た。無力なわたしには、声を殺して我慢するしかなかった。

だけどそれは、もしかしたら今日で終わりなのかも知れない。


「嬢ちゃんのオトンとオカン、ウチから金借りてん。やのに返さんと逃げよてしよったからこうなってもうた」


まるで他人事、いや、他人だけれど、派手なジャケットを着た男はそう言った。男の手には金属バット。足元には頭が割れたり顔が潰れたりして原形を留めないお父さんとお母さんが倒れている。ぴくりともしない。きっと、死んでるんだろう。ぼんやりと動かないそれを眺めた。いつもと同じ日常だった。お父さんの機嫌を悪くしないように倉庫の隅っこで丸まって眠っていた時だった。映画よりもリアリティーな断末魔が聞こえてきたのだ。掠れた苦鳴はよく耳に馴染んだ声で、わたしは好奇心と恐怖が入り交じったモノに駆られて家に飛び込んだ。そしたらこの男がいて、わたしを見てニィッと笑ったんだ。


「嬢ちゃん、えっらい傷だらけやなぁ。ガリガリやし…虐待受けとったんかい」

「……」

「安心してや。嬢ちゃんを殺そうなんて思うてへんし」

「……」

「…口きかれへんのん?」


男の問い掛けに首を横に振る。こうして人と向き合うのは幼稚園の頃以来でなにを話せばいいのか解らなかった。返り血に染まる男やぽたぽたと真っ赤なしずくが滴る金属バットに不思議と恐怖は感じなくて、ただただぼんやり見つめていた。派手なジャケット、左目を覆う黒い眼帯。テレビでしか見たことがない物に純粋に興味を持った。親が殺されたのに。わたしは可笑しいのだろうか。ああだけどわたしは愛されていた?青紫に残る体中の痣は昨日蹴られて踏まれたものだ。そんなお父さんが死んでわたしは悲しくもなんともない。いつも助けてくれなかったお母さんが死んでも涙は出て来ない。涙はずっと昔に枯れてしまった。悲しくない。辛くない。家族として愛された数なんて片手で事足りるくらいなのだから。それよりも体中に、こころに残る傷の方が遥かに多かった。それだけの話だ。


「親殺られても泣かんのは虐待の所為か…気の毒になぁ」

「……」

「…一緒に来るか?」


差し伸ばされた手の意味が解らなかった。血で濡れて真っ赤になったてのひらをじっと見つめる。いく?このひとといっしょに?どこへ?人を殺すような男だ。きっとろくでもない場所だろう。ああだけど今までよりろくでもないところなんてあるの?お父さんやお母さんはわたしを見てくれたことなんてなかった。対等に話をしたことなんてなかった。手は殴る為に。足は蹴る為に。口は罵倒する為にあるのだと思っていた。だけどこの男は違う。この男はわたしに、手を差し伸ばすんだ。


「野郎ばっかやし学校にも行かせられへんけど、もう辛ないで」

「…あ」

「あ?」

「あ、れ?」


ぽろぽろ。
気が付いたら両目からあたたかいしずくが溢れていた。痛い訳じゃない。怖い訳じゃない、寒くもない。なのに、止まらなかった。手で触れてみる。それは確かに、涙だった。幼稚園の頃から虐待を受けて泣けば泣く程酷くされるから、いつの間にかわたしは泣かなくなっていたのに。なのにどうして泣いてるんだろう。泣き止まなきゃ。泣き止まなきゃ、また酷くされる。


「ごめんなさ、い」

「……」

「泣き止むから、だから、もう」

「もうエエねん。泣いても」

「ぶたないで、ごめんなさ」

「好きなだけ泣き。殴ったりせえへんから」


男はわたしの頭に手を置いて、ゆっくりゆっくり撫で始めた。髪の毛がぐしゃぐしゃになるのが解ったけど不快感はなくて、胸に何かあたたかいものがじんわりと広がっていく。怖くない。痛くない。なのに体ががたがた震えて、涙が止まらない。口から自分でも悲痛に聞こえる声が漏れた。噛み殺そうとしても歯の隙間から漏れて、飲み込もうとしても喉に詰まって溢れた。なあに、これ。いたくないのになくなんて、はじめてだ。あたたかくてふわふわしてて、どうしようもないくらい、胸がきゅうっと狭くなる。解き放たれたような、そんな感覚。体が軽くて今ならなんでも出来るような気がした。床に転がるお父さんと目が合った。死ぬ直前の恐ろしい形相でわたしを見ていた。お父さんはいつもどんな顔をしていたんだろう。お母さんはいつもどんな化粧をしていたんだろう。今となっては解らない。解らなくていい。

ああこれが、愛か。


「さて、親父に連絡せなアカンなぁ」

「…親父?」

「せや。ツルッパゲのお父ちゃん。ほんまもんの親父とはちゃうねんけどな。嬢ちゃんも気に入るでー」


血でぬるりと滑る男の手を掴むのは一苦労だったけど、あのあたたかさを得られるならとわたしは必死で男の手を掴んだ。そんなわたしを男はニィッと笑う。返り血が飛んだ顔で笑う男はなんだか狂ってるようにも見えたけど、今のわたしには何よりもあたたかく感じた。玄関を出る時に一度だけ振り返る。お父さんもお母さんも何も言わない。男と繋いでない手を軽く振った。ばいばいお父さん、おやすみなさいお母さん。わたしはこの人といくね。名も知らない男を見上げて、わたしは何年振りか解らない笑みを浮かべた。



拾われた日





101025
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