深夜、チェックを済ませた書類を持って赤犬の部屋を訪ねれば、部屋は薄暗く灯りが着いていなかった。不在かと思ったが明らかに人の気配がする。失礼しますと一言入れてから奥まで進んでみた。赤犬の部屋の奥にはテラスの代わりに縁側と小さな庭がある。この部屋の造りは赤犬が設計したものであり縁側と庭はわしのお気に入りじゃと趣味の盆栽をいじりながら話してくれたことを思い出した。盆栽や風情などよく理解出来ない小娘にとっては難しい話だったのだが、その時の赤犬がとても楽しそうな顔をしていたのを覚えている。

縁側を覗き込む。するとようやく赤犬を見つけることが出来た。縁側に座り空を眺めていた赤犬は私の存在に気付いていたのか否か特に驚きもせず視線を合わせて、小さく笑う。お、と思った。赤犬が笑うなんて珍しい。何より顔が赤いし手に持つ盃、香るアルコールから、どうやら上司は酔っているらしい。


「こんな時分にどうしたんじゃ」

「書類の提出を。…ご機嫌ですね」

「…そうじゃのう。月が綺麗じゃけェ」

「月?」


赤犬の言葉に反射的に顔を上げる。視界にまんまるな月が映って、思わず感嘆の息を漏らした。今夜は満月だったのか。ゆっくり空を眺めるなんてしたことがなかったから知らなかった。満月は三日月や半月に比べて一回り大きく見えた気がした。色もちょっと赤っぽい。こうして月をまじまじと眺めるのは初めてだなあ。空とはこんなに広く遠いものだっただろうか。月を見上げる赤犬を見つめる。真剣な、だけどどこか哀愁の漂う横顔。今日の赤犬はほんとうに珍しい。書類を部屋に置いて来て、赤犬の隣に腰を下ろす。赤犬が掴んでいた酒瓶を取って笑ってみせた。


「手酌は寂しいでしょう。お相手しますよ」

「…じゃァ、頼もうかのォ」


ああやっぱり、珍しい。















酒瓶を一升空けた頃、赤犬の瞼が半分落ちた。どうやら眠いみたいだ。真っ赤になってこっくりこっくり船を漕いでる様子は少し愛らしさを醸し出している。写真撮りたいなあなんて思いながら、流石に赤犬を担いでベッドまで連れて行けるほど私は逞しくないと唸った。失礼極まりないけれどここは起こして歩いて頂こう。こんな風当たりの素晴らしいところで眠って風邪を引かれては困る。赤犬の肩をそっと揺らすと、赤犬は落ちかけていた瞼をゆっくりゆっくり持ち上げた。


「なんじゃァ」

「お休みはベッドで。肩を貸します」

「いらん」

「ご自分で行かれますか?」

「膝貸せェ」

「…膝?」


肩ではなく?赤犬は顔をしかめた私の手を取り近くへ座らせた。そのまま身体を傾けて、私の膝へ頭を乗せる。自分の身体に電気が走ったように、四肢の隅々まで衝撃が貫いた。…び、びっくり、した。何かと思えば膝を貸せって、枕ってことか。生まれてこのかた他人に膝枕をすることもされることもなかった私は言葉を失ってしまった。だが赤犬は瞼を閉じきっており規則正しく胸が上下させている。もう夢の中みたい。膝の上の重さについ頬を緩ませた。普段あんなに厳しい人がこんなにあっさり寝顔を見せてくれるとは、これは、部下として喜ばしいことではないだろうか。コートを脱いで赤犬の身体に掛ける。体格差がありすぎてコートはかなり小さかったが無いよりはマシだろう。顔を上げる。電気が無くたっていいほど月が明るい。赤犬の赤ら顔を涼しげに照らしてくれた。

盆栽も風情も理解出来ない私だが、縁側というものは悪くない。心の中で呟いて、こっそり赤犬の額を撫でた。



柔らかな光に沈む




Special Thanks akira!
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