気が付いたら空を見上げていた。背中には硬い感触。頭を動かせばザリだかゴリだか嫌な音を立てて少し痛んだ。どうやらわたしは地面に寝ているらしい。えーっと、わたしは確か裏裏山で走り込みをしていて、途中で気分が悪くなって、でも我慢して走って…それから記憶がない。多分気を失ってしまったんだろう。気分が悪かったことを思い出すとなんだか胸がむかむかしてきた。体を起こす。すると、自分の額から膝に濡れた布がずり落ちた。なんだこれ。深い藍色の…布。布なのは間違いないはず。でもわたしのものじゃない。誰のだろう?誰がわたしの額に濡れた布を当ててくれたんだろう。辺りを見ると、すぐ近くに山水が流れる川があった。わたしこんなところを走ってたっけ?記憶が曖昧になってる。


「あ、起きたんだ」


不意に背後から声がして振り返る。そこには忍術学園の忍たまの制服を着た男がいた。制服の色からして五年生。わたしと同級生だ。忍たまはわたしに近寄ると片膝をついて、自然な流れでわたしの額に触った。まさか初対面の男にそんなことをされるとは思わなかったわたしはびっくりして声も出なかった。ガチガチに固まってしまった。忍たまはうんうんとひとり納得したように頷くとわたしの膝に落ちたままだった布を拾い上げる。そこで「あ」と思った。あの布は彼の頭巾だったのではなかろうか。そうなるとわたしを看てくれたのは彼、ということになる。立ち上がって川に近寄り頭巾を絞る彼に歩み寄った。


「あの、ありがとう」

「ん?あぁ、気にしなくていいよ。具合はどう?」

「大丈夫」

「ふらふらしてるけど」

「…ちょっと気持ち悪い」

「ほら、やっぱり」


忍たまはくすっと笑って足袋を脱ぎ捨てた。川に足を突っ込み岩場に腰掛ける。彼は立ったままのわたしに振り返り「君もおいでよ」と言った。冷たくて気持ち良さそう。何より、断ったら失礼な気がした。彼と同じように足袋を脱いで川に入り隣に座った。冷たい川の水は意識が冴えるようで心地よかった。


「俺、五年い組の尾浜勘衛門っていうんだ。君はくのたまだろ?あんな道の真ん中で倒れて、何してたの?」

「走り込みをしてたんだけど、急に気持ち悪くなっちゃって」

「水分と塩分は摂った?」

「…塩分?なんで?」

「水分を摂らなきゃこんな炎天下で走り込みしてたら熱中症にもなるよ。汗には塩分が含まれるから、その分塩分も摂らなきゃいけない」


…流石はい組。優秀である。は組のわたしにはよく分からない。ふうんと頷いて足を蹴り上げた。ぱしゃん、水が跳ねる。それを見つめていたら気分が爽やかになるようだった。そうかそうか。今度からは塩を持って走ろう。それに水分もそんなに摂ってた訳じゃない。もっと気を付けて自主トレしなきゃな。少しだけしょんぼりしていたら目の前にずいっと竹筒を突き出された。目を見開いて尾浜くんを見れば彼は得意気に笑った。


「俺はちゃんと持ってるよ」

「…尾浜くんも自主トレ?」

「うん。暑いからって怠けてらんないからね」

「だよね。わたしも頑張らなきゃ、体力つけなきゃって思って」

「倒れちゃ意味ないけどね」

「うぐ」


もっともだ。わたしは言葉に詰まって何も言い返せなかった。尾浜くんはしてやったり、みたいな顔で笑っている。次は倒れないもの。かろうじてそう返したが尾浜くんはくすくす笑うだけだった。よく笑う人。こんな人、忍たまに居たっけ。忍たまの五年生と言ったら有名な四人組しか浮かんで来ないのだけど。色んな情報に疎い自分のことだ、分からない人が居ても不思議ではない。右手を川に浸けて、その手を頬に押し付ける。冷たい。呼吸もだいぶ楽になった。目を細めたのと尾浜くんが立ち上がったのはほぼ同時。反射的に見上げる。尾浜くんもこちらを見ていたみたいでばっちり目があった。


「でも俺、頑張る人って好きだよ」

「…え」

「そろそろ帰るけど、どうする?一緒に帰る?」

「あ、う、うん」


裸足でいいや。尾浜くんはそう呟くと川から出る。足袋を拾ってわたしに手を差し伸べた。掴まれ、ということだろうか。半ば呆然とその手を掴むと力強く引かれて、必然的にわたしも裸足で地面に立った。地面の感触が足の裏に心地よい。意外と裸足も悪くないかも。ぱっと顔を上げる。尾浜くんがわたしの足袋を拾い上げて、にこっと笑った。その笑顔を確認すると何故だか頬が緩み息が詰まった。まただ、声が出ない。尾浜くんはどうして初対面の女にそんな風に接することが出来るのだろう。額に触れたり、目を見て笑ったり、一緒に帰るとか言ったり、何より、頑張る人が好き、だなんて。どういう意味なんだろうか。わたしの考えすぎ?思考回路がぐちゃぐちゃになる。耳の先がじりじりと熱くなるのが分かった。尾浜くんがわたしの足袋を差し出して目を丸くする。


「顔が赤いけど、大丈夫?熱がぶり返したかな」

「え、ううん、大丈夫」

「そう?心配だなあ」


優しくしないで。わたしはそういうのに慣れてないから優しくされたら困る。それ以上は溺れてしまう。初対面なのにわたしはどうしてしまったのだろう。不安そうに眉をひそめる尾浜くんを伏し目がちに見て、自主トレ頑張ろうと心に誓った。水分と塩分持参で。



走る走る恋心





Thank You Meiko!
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