「先生、終わりましたっす」

「あ?もう終わったのか?」

「プリント纏めてホッチキスで留めるだけっしょ?すぐですよ」

「あー、じゃあ次頼んでいいかい」

「どーぞ」

「そこの本棚片付けてくれ。これ終わったら家まで送ってやるよい」

「やったバス代浮いた。あ、約束忘れないでくださいよ」

「サーティーワンだろい」

「ハーゲンダッツですよ」


贅沢者、と先生がこぼしたのを無視してあたしは先生の本棚を片付け始めた。

ここは職員室。そして時刻は19:47を指している。職員室の電気は着いているものの残っているのはあたしと先生しかいない。夏の夕方の空はまだ明るいけど下校時刻はとっくに過ぎていた。じゃあ何故あたしが職員室に残っているのかというと説教タイム、ではなく。担任であるマルコ先生から「放課後暇なら手伝ってくれよい」と雑用を頼まれたのである。夏休みを前に連絡事項のプリントだとか試験の採点だとか夏休み中の宿題だとかその他諸々の準備が何も済んでいないらしい。しっかり者の先生にしては珍しいことだと思ったけど、そういや二日前に数学のサッチ先生が夏風邪を引いて学校を休んでしまってて、その代わりにマルコ先生が授業をすることが多かった。だから自分の時間が減ってしまっていたんだろう。マルコ先生って独身で一人暮らしだし。ちなみにマルコ先生は世界史担当である。放課後は確かに暇だったけど雑用はイヤだなあと思っていたら「ハーゲンダッツ奢ってやる」と言われ、あたしは欲に負けてあっさり頷いたのであった。だってハーゲンダッツ食べたいじゃん。


「先生、ハーゲンダッツだけじゃなくてマックも食べたいっす」

「サッチ先生に言えよい」

「あ、その手があった」

「明日は出てくるって仰ってたからな、手料理でもたかってみろい」

「手料理?サッチ先生って料理上手いんですか?」

「おう。かなり」

「食べてみたーい」

「家に行ってみればいい」

「え、襲われたらどうするんすか」

「流石のサッチ先生もお前みたいなのには手ェ出さねェと思う」

「なんだとコラ」

「誰に向かって口聞いてんだコラ」


思わず汚い言葉を使うと間髪入れず重たいゲンコツが落ちてきた。めっちゃ痛い。ちくしょう失礼なこと言ったのそっちじゃん。なんだよ『お前みたいなのには』って。あたしがすごいブスっつうか女として低レベルっつうかそんな感じじゃん。じんじん痛む頭を押さえる。ムカついたから先生の本に思いっきり爪を立ててやった。柔らかい紙が少し溝を作る。爪、伸びてたっけ。切らなきゃな。パソコンに向かったままの先生の横顔をじっと眺める。視線があたしに向けられることはなかったけど、先生はあたしが先生をガン見してることに気付いてはいるようだった。


「片付け終わったかい」

「もう終わりますよ」

「そうか」

「先生あたし、サッチ先生にセクハラされたことあるんすよ」

「…は?」

「いい脚してんねェ〜、って撫でられたんです。尻を」

「…あのクソ野郎…」

「それでもあたしは襲われないっすか?」


特別な他意は全く無い。強いて言うなら会話を途切れさせたくなくて、あたしは喋っていた。だって誰もいない職員室だ。静か過ぎて不気味なんだもん。先生はパソコンに夢中で自分から喋ろうとはしないし。残りの本を棚に詰めて、先生の横顔を見つめる。先生はやっぱりパソコンから目を離したりしなかった。返事は無いからシカトされちゃったかな?先生って真面目だよなあ。こんなん休んだサッチ先生にやらせておけばいいのにさ。先生の隣の机(あ、ジョズ先生だ)から椅子を出してテキトーに腰かける。スカートが翻ったけど気にしなかった。


「襲われねェさ。子どもを相手にする気はねェ」


突然返ってきた台詞に目を丸くする。なんだ。話、聞いてたんだ。捲れたスカートを戻しながら足を組んで外を見つめる。無視するつもりじゃないけどなんて答えたらいいのか分からなくて何も喋らなかった。そうかそうか。まあそりゃそうだ。サッチ先生にとっちゃあたしなんかがきんちょだわ。先生がいくつだったのかは忘れたけどかなり年上だろう。ふと会話が途切れたことに気付く。誰もいない職員室は本当に静かだ。時々エアコンの作動音や先生がキーボードを叩く音ががするだけで他に響くものは何も無い。お喋りな自分としては沈黙は辛いものである。何か話題はないものかと考えた時、先生の中指がキーボードをカタンッと強く叩いた。


「そうでも思わねェと教師なんざやってられるかよい」

「……え」


先生の言葉を理解しかねて、あたしはつい間抜けな声を漏らした。それってつまりどういうことなんだろう。先生は右手でマウスを動かして左手でキーボードを叩くとパタンとパソコンを閉じた。USBを抜いてバッグに放り込む。その行動は普段の先生と何も変わりないのに、なんだか、まるで別人を見てるみたいだった。先生は今なんて言ったんだろう。あたしの聞き間違いだったのかな。なんてゆうか、よくないことを聞いた気がする。これって聞かないフリをした方がいいのかな…。先生はバッグを片手に立ち上がるとあたしをじっと見つめた。なんか気まずい。なんだろ。


「…帰らねェのかい?」

「え、あ、帰るっす!」

「じゃあボーッとしてんなよい。鍵閉めんぞ」

「ちょ、待って待って!」


人差し指で職員室の鍵を回しながら先生は出口へと歩いていく。慌ててリュックを掴んで背中を追いかけた。なんだよ、先生ってよく分かんないや。先生はあたしが出たのを確認すると電気を消して鍵を閉め、そのまま薄暗い廊下を歩き出した。ペタペタと先生とあたしのスリッパの音が響く。何か会話をした方がいいのかと話題を探すけど何も出て来ない。こないだあった世界史の50点満点の小テストで13点とった話なんかしたらゲンコツが落ちてくるだろう。そんなのお断りだ。うう、困った。どうしよう。逃げるように外に目をやると「ああそうだ」と先生が口を開いた。まさか喋り出すとは思ってなくてかなりびっくりして、ばっと先生の後頭部を見つめた。


「子どもコースがいいならこのままハーゲンダッツを買って家に直行」

「…は?」

「大人コースがいいならレストランでディナーをした後おれんちに直行」

「……は、いや、え?」

「意味は分かるだろい」


前を歩いていた先生の足が止まる。つられるようにあたしも足を止めて、ただただ佇んだ。先生が振り返る。目がひどくギラギラと輝いていて、あたしはゾッとした。


「おれが『先生』であるうちは、どうしたってお前はまだ『子ども』なんだよい」


さ、帰ろう。お前んちに。そう言ってまた歩き出した先生の先生を、穴が空くんじゃないかってくらいに見つめた。このひとは、やばい。危ないっつうか怖いっつうか、とにかくやばい。心臓がばくばく暴れてる。先生って真面目なんじゃなかったっけ。こんな『男』みたいな一面の先生、知らない。先生が『先生』なのはよく知っているしあたしが『子ども』なのも分かってる。それがなんだか、ひどく悔しい。先生の『男』の一面に、『女』の自分が騒いでるみたいだった。垂れ下がった両手がスカートを強く握り締める。顔が熱くて、なんか、やっぱ、悔しかった。


「ハーゲンダッツ買った後レストラン寄ってうちに帰ってください!」

「調子に乗るな」





Special Thanks moko!
110817/ten
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -