「お前みたいな女は、嫌いじゃない」


潮江の発した言葉に目を丸くする。あんまりにも予想外の台詞だったから、何の話をしていたのか一瞬忘れてしまった。思わず潮江の顔を凝視する。潮江は何ともないような顔をして「ん?」とこぼしたのだった。

いつもの何ら変わりない、相変わらずの毎日。私はよく会計室に入り浸ることがある。会計室は静かで昼寝をするには持ってこいなのだ。静かと言えば図書室もそうだが図書室はなんだか静かすぎるというか息が詰まるというか、それに私語厳禁だし、居心地が悪い。私は会計室のこの程よい静かさとソロバンのパチパチッという音がなんとなく好きだった。まあ会計室の主とも呼べる潮江会計委員長には「会計室はお前の部屋ではない!」と怒られるんだけど。しかし最近じゃ諦めてきたのか何も言わなくなった。だから私は今日も会計室で惰眠を貪るのだ。

パチパチ、パチパチ。ソロバンの音を聞きながら天井を見上げる。今日はソロバンの音が少ない。理由は潮江以外の会計委員がいないのだ。というか今日は委員会活動の日ではないらしい。潮江が自主的に帳簿の計算をしているだけなんだってさ。潮江ってほんとに真面目。すごいなあ。素直に感心しながら潮江の横顔を眺めた。潮江は私に気付いてるのか否か、何の反応もせずソロバンと向き合っていた。


「…ねえ、変なこと訊いていい?」

「変なこと?ふざけるな。俺は作業中だ、見て分からんのか」

「すぐ済むから」

「…なんだよ?」

「潮江ってどんな子がタイプなの?」

「………はァ?」



潮江は私と目を合わせると、心底くだらんと言わんばかりの顔をした。確かに「変なこと訊いていい?」とは言ったけど、私はそんな顔をするような質問をしたのだろうか。潮江は再びソロバンに目をやった。パチパチ、パチパチ。静かな部屋にソロバンだけが音を出す。潮江は既に真剣な顔をしていた。…これはまさか無視された、のか。潮江は興味の無い話だとは思ったけど、だからこそ訊きたかったのに。私は自分のクラスでの出来事を思い出していた。クラスのみんなは食満がかっこいいだの立花くんが素敵だの善法寺くんは優しいだのと言っていて、じゃあ残りの奴らはどうなんだと私は思った。七松と中在家はあまり喋らないからよく分からないけど潮江ならよく喋るし、じゃあ暇潰しがてら訊いてみるか。ということで、潮江にあんなことを訊いてみたのだ。どんな答えが返ってくるかちょっと興味があったし。しかし無視されたなら仕方あるまい、寝よう。枕にした座布団の形を整えて目を閉じた。


「タイプなのかどうかはよく分からんが」


突然潮江が喋った。パチパチとソロバンを鳴らしながら。まさか喋り出すとは思わず、しかし目は開けないままで「うん」と適当に返事をする。風が吹いてきて前髪を揺らし、ああ涼しい、と思った。


「お前みたいな女は、嫌いじゃない」


────ここから冒頭に戻るのである。

私は寝転んだまま、だけどうつ伏せの状態で上半身だけを起こして潮江を見つめた。潮江はなんだとでも言いたそうな顔をしている。いや、なんだって、それは私の台詞なんだけど。私が何かを言う前に潮江はまたソロバンに夢中になる。こいつはほんとに真面目な奴だ。なんだか、気にしてる私がアホみたい。私は座布団枕の下に横から腕を突っ込んで顔を押し付けた。もう寝よう。寝てしまおう。潮江からの返事も聞けたしあとは寝るだけだ。目を閉じる。視界は真っ暗になったが聴覚はしっかり働いており、やっぱりパチパチと鳴るソロバンの音に意識を傾けた。無機質な、小気味良い音。なんとなく好きな音。聴きながら瞼裏に潮江が浮かんだ。ぴしっと背筋を伸ばして座り、まるでお手本のような動きでソロバンを弾く姿。ふしくれだった手が丁寧にパチパチと音を鳴らす。いつも真剣な、潮江の横顔。そこまで考えて、私は違和感を覚えた。なんだか胸に温かいお湯を流されたような、安心するような、不思議な感覚に包まれたのだ。


「…ねえ潮江」

「また変なことか?」

「まあそうかも」

「なんだよ」

「私も潮江のこと、嫌いじゃないよ」


思ったことをそのまま言葉にする。潮江は何も言わなかった。何事もなかったようにパチパチとソロバンを鳴らしている。私もそれ以上言うつもりはなく目を閉じたままふうっと息をついた。気持ちよい微睡みに身体が浮かんでるみたい。変なの、自分の部屋にいる以上に安心する。会計室って面白い。────潮江って、面白い。ソロバンの音を子守唄にして私の意識は沈んでいく。何故だかひどく、落ち着いた気分だった。


「…同じだな」


潮江が何か呟いたのが分かったけど言葉は上手く聞き取れなかった。薄く開いた目には穏やかに笑う潮江が映って、また不思議な、温かい感覚に包まれる。つられるように頬が緩むのを感じた。視界が上から下へ消えていく。意識が切れる前に私は、確かな心地好さを実感していた。

ああ私、潮江のこと────





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110905/ten
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