ここは医務室。怪我をした人や具合が悪い人がやって来る場所だ。戦が始まれば利用者が増えるけれど最近そういった大きなことはやってないようで、ここしばらく忙しい目に遭っていない。時々諸泉くんが火傷の薬を貰いにくるくらいかな。ベテランの武士や忍者にもなれば怪我なんか滅多にしない。風邪だってそうだ。体調不良に関しては自己管理不足なのだから、武士や忍者でなくともいい大人の人達が簡単に風邪を引いたりしない。今の時期そんなに寒くないしね。

そう思っていたのだけど。


「完っ璧、風邪ですね」

「風邪かー…昨日から怠いとは思ったんだけど」

「昨日から?もう、なんでもっと早く来ないんですか」

「最近忍務が重なってねえ」


掠れた声で呟くのはタソガレドキ忍軍組頭の雑渡さんだ。普段は天井から忍び込んでくる雑渡さんが珍しく入口から入ってきたと思えば開口一番「きつい」とのこと。顔も真っ赤で熱は高いし鼻水は出ているし唇カサカサ目はウルウル。口を開けてもらってみると扁桃腺が腫れていた。雑渡さんも相当きついのか呼吸が深く荒い。長くこの城に専属医として仕えてきたけどこんな雑渡さんを診るのは初めてだ。ここんとこ雨が続いたからなあ、忍務中に身体を冷やしてしまったのかも。とにかく休ませなくては。押し入れから布団を出して素早く敷いてしまう。雑渡さん、と小さく肩を叩けばゆっくり振り返る顔。


「布団へどうぞ。薬を用意するので着物も緩めちゃってください」

「えー襲ったりしない?」

「し・ま・せ・ん」

「じゃー遠慮無く…」


雑渡さんはふらりと立ち上がると雑な手付きで頭巾を外した。足袋も脱ぎ捨てて腰紐を緩める。ここは医務室。男の人の裸だとかそういうのは見慣れていて今更「きゃっ!」なんて言って顔を赤らめたりしないのである。可愛らしくないと言えばそうかも知れないけど、まあ仕方ないよね。見慣れてしまったもんは見慣れてしまったんだし。キャアなんて言う歳でもないし。戸棚から薬壷を取り出して薬丸をふたつ懐紙に乗せた。水瓶から水を掬って杓ごと雑渡さんのところへ運ぶ。雑渡さんは既に布団に横になっていて怠そうに額を押さえていた。


「雑渡さん、薬です」


雑渡さんは答えなかった。その代わりカラカラに乾いた口をそっと開いた。口に入れてくれ、ってことみたい。起き上がるのも億劫なのかな。横着者め。この薬苦いんだけど…まあいっか。ころんころんと薬丸を口内へ放り込む。口を閉じた雑渡さんはもごもごと顎を動かして、ぐっと身体を揺らした。眉間に皺が寄ってる。やっぱり苦かったらしい。


「…苦い…」

「良薬口に苦しです。よく効きますよ」

「水ちょうだい…」

「じゃあ起きてください」

「口移しで飲ませて」

「セクハラです」

「苦いよー飲ませてよー」


この人ほんとうに具合悪いのかな。普段と変わらない雰囲気に何故だか和んでしまう。目を開けておくのも怠いのか雑渡さんはゆるゆると瞼を下ろした。ゆっくりとした動きで薬丸を噛み砕いている。どうやら起き上がるつもりはないらしい。溶けやすい薬だから噛み砕いて飲み込んでも何の問題もないけどとにかく苦い薬だ。ほんとうなら噛まずに水で流し込んだ方がいいのだけど。飲み込めないのか雑渡さんの顎に皺が寄る。眉間にも寄る。顔が僅かに上を向くけど喉が何かを燕下させた様子は見られない。素直に起き上がって水を飲めばいいものを、全くもう。

この時の私の頭の中には仕方ないだとか妥協したような気持ちしか無くて、恥ずかしいだとか有り得ないだとかの常識がすべて吹っ飛んでいた。ほとんど無意識に持っていた杓の水を口へ含み、そのまま、唇を重ねた。

重ねた唇が────雑渡さんが、一度びくりと身体を揺らす。その一瞬がひどく永く感じられて、なんだかとても怖かった。無音だった部屋にごくりごくりと水を飲んでいる音が小さく響く。音だけでそれを確認してからそっと唇を離した。唇を離した途端、雑渡さんとびっくりするくらいばっちり目があった。


「…ねえ」

「はい?」

「顔、真っ赤だよ」

「…気になさらず」


自覚して、ものすごくいたたまれない気持ちになった。そうだ。私今、雑渡さんに、口接けをしたのだ。思わず雑渡さんから目を逸らす。雑渡さんは熱っぽい息を吐き出しながら手を伸ばして私の手を掴んだ。いきなりの感触に驚いたのは最初だけ。熱の高さにすぐ我に帰った。


「ああもう、早く寝てください。さっきよりも熱が上がってる」

「仕方ないだろう」

「何がですか」

「上げたのは君なんだから」

「……え」

「不意打ちとかね、おじさん動揺しちゃうよ」


雑渡さんはそう言って私の手を自分の頬へ押し付けた。包帯越しでも分かるくらい雑渡さんは熱い。風邪だけ?それとも。突然心臓がばくばくと暴れ出した。息が出来なくなってしまうくらい、胸がぎゅうっと詰まる。男の裸にはケロッとしている私が、こんなことくらいで。掴まれている手が震えているような気がして顔を上げると瞼を伏せた雑渡さんが映った。さっきよりは幾分潤いを帯びた唇が、気怠るそうに開く。


「なんだか君も熱いけど、感染ったのかな」


それは風邪の所為か、それとも。





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