気だるい瞼をそっと開く。窓から白い光が射し込んできて、今が明け方だということを知った。ああいつの間にか眠っていたみたい。はっとして、胸の上に重く熱い存在を確認して、思わず笑みがこぼれた。よかった。夢じゃなかった。恐る恐る一撫で二撫でしてみる。さっきは力尽きてすぐに眠ってしまったから。なんだか不思議だ。触れてみればみるほど愛しさが募る。そのことに誇らしさを感じた。不意に部屋の外から物音がして、静かにドアが開いた。横になったまま視線を動かす。そこにはローがいて、私は自然と笑って見せた。


「ロー」

「水は?」

「ううん、大丈夫」

「果物は?何か欲しい物はあるか?」

「あなたが傍にいてくれたらそれでいいわ」


ローは一瞬目を丸くしたけれどすぐにニヒルに笑って後ろ手でドアを閉めた。コツコツと靴を鳴らして近付いて私の隣に膝を付く。海賊の船長を跪かせるなんて滅多に出来ない体験だと思った。でも今だけ。今だけは、私は彼より偉大な存在なはず。自慢気に胸の上の熱を撫でると、ローは私の頬にそっと口接けた。


「よく、頑張った。よく産んでくれた。ありがとう」

「あなたがありがとう、なんて。明日は嵐ね」

「…おれも感謝くらいする」


しかめっ面で呟いたローにくすくすと笑ってしまった。そのあと、今度は唇にぬくもりが重なった。彼とこうして触れ合うのは随分と久しい気がする。

私は昨晩、いのちを産んだ。それはそれは元気な男の子だった。陣痛もひどく産む時のあの激痛と言ったら、もう有り得なかった。だけど産まれてきた我が子を抱き締めてみればどうだ。痛みなんかどこかへ去って、溢れたのは言い様もない感動だった。達成感、愛しさ、辛さ、責任感、その他諸々、言葉に出来ない感情が涙になって溢れて、止まらなかった。赤ちゃんは泣いた。私も泣いた。重くて熱い赤ちゃんを抱き締めて、私はこの子を産んでよかったと思った。ローが赤ちゃんの頭をそっと撫でる。小さな手がもじもじと動いて、ローがふっと笑ったのが分かった。


「…正直、肝が冷えた」

「ふふ、ローったら途中からだんまりだったもの」

「怖かったんだよ」

「あら、海賊なのに」

「海賊にも怖ェものはある。…大体、海賊に赤ん坊を取り上げさせるなんざおかしいだろう」

「だってあなたは海賊だけど医者でしょ?」

「産婦人科は専門外でね。おれは外科医だ」


珍しく弱々しいローを見て私は目を丸くした。彼の言う通り、赤ちゃんを取り上げたのは彼だ。そしてそうお願いしたのは私だ。特別な意味は無い。ただローは医者だから、ならローに取り上げてもらおうと思っただけだ。周りにはクルーのみんながい心強かったな。頑張れ!ほらヒッヒッフー!とか言って。みんな途中で色々耐えられなくなって出ていったけど。気を失った人もいたし。最後まで部屋に残ったのはローとベポくんだけだった。だから赤ちゃんが産まれて取り上げたのはロー、抱き親はベポくんになってもらった。ベポくんはおどおどしてたっけ。へその緒を切るのも産湯も全部ローにしてもらった。うろ覚えだけどその手付きはしっかりしていて危なげでもなかった。それなのにこんな困ったような顔をするなんて、何か嫌だったのかしら。外科医のプライドが許さないとか?重たい腕を引きずるように動かしてローの頬に触れた。冷たい、なのに汗ばんでる。一体どうしてしまったの。


「…おれは外科医だ」

「知ってるわ」

「死の、外科医だ」

「…知ってるわ」

「そのおれが、生命を取り上げた」


ローの目から光が消える。軽く俯いてしまって表情は伺えない。だけど触れた手を掴んだ大きな手は、僅かに、確かに、震えていた。


「いつも奪う側のおれが初めて救ったような気がした。いのちの重さを、やっと理解した気がして。おれはそれがどうしようもなく怖かった」

「…ロー」

「おれに父親なんか、務まる訳な」

「ロー」


名前を呼ぶ。ローは口を閉じて、ゆっくり顔を上げた。まあやだなんて顔。だけど、大好きなひと。これは惚れた弱味なんかじゃない。ただ純粋にあなたが好きだから、出来ればその先は聞きたくない。赤ちゃんを起こさないようにそっと身体を起こす。ローが慌てて身体を揺らして私を支える為の手を伸ばした。その手に、すやすやと眠る赤ちゃんを差し出す。ローの顔が凍り付いた。


「パパ」


もう一度呼ぶ。名前ではないけど、呼ぶ。しばらく私の目を見て固まっていたローだったけど、諦めたように舌打ちをこぼした。ゆっくり上げられた腕にゆっくり、赤ちゃんを渡す。不慣れな抱き方に少しひやひやしてこうよああよと抱き方を教えて上げた。なんとか落ち着いたみたいで、ローがじっと赤ちゃんの顔を覗き込む。赤ちゃんはまだまだ眠っていた。結構雑に抱っこされてたのに起きないなんて神経が図太い子なのかも知れない。そうだとしたら私似だわ。だってパパはこんなに臆病だもの。


「…小せェ」


ローが赤ちゃんのてのひらをちょんとつついた。すると、眠っているはずの赤ちゃんのてのひらがじわりじわりとローの指を掴んだ。ローが目を見開く。そのまま固まったかと思うと、はー…っと溜め息に似たものを吐き出した。


「その子、あなたがパパだって分かるんだわ」

「……」

「…ねえ、まだ何か言いたいことがあるの?」

「…悪い、どうかしてた。もう言わねェ」

「勿論そうして。私、ロー以外のパパなんて嫌だもの」

「おれもお前以外のママはお断りだ」


赤ちゃんを抱いたままローが隣に座る。すっかり調子を取り戻したのかいつもみたいにニッと笑ってくれた。赤ちゃんの頬をつつく。ああやっぱり、愛しい。何故だか涙が溢れた。あたたかなしずくが頬を濡らしていく。不快感は無い。無骨な指先がしずくを払ってもそれが止まることはなかった。私は微笑った。私はただただ、幸せだった。


「愛してる」

「それこそ、知ってるわ」




その幸福の名前

交わした口接けは塩辛くて、あまかった。




Special Thanks kazura!
110304/ten
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