「…ふう」

「溜め息なんかついてどうした、恋煩いか?」

「あぁ…そうかも知れん」


ゴッ!何やら奇妙な音がしたので振り返ってみた。そこには自分の文机に突っ伏した同室の友人がいる。委員会の仕事を片付けている最中だったはずだが何をしているのだこの男は。取り敢えず今の音の正体はコレか。額を随分強く打ち付けたらしく文次郎はぴくりとも動かない。何が奴をそうさせたのかは分からないが何か声を掛けてやるのが友人と言うものだろう。


「死ぬなら余所で頼む」

「死なんわ!」


なんと死ななかった。じゃあ自分を痛め付けて悦ぶ趣味にでも目覚めたのだろうか。気色の悪い奴め。文次郎は身体を起こして信じられない、と言った風な顔で私を見つめている。何故そんな顔をされるのか分からずつい睨み返してしまった。奴の額が赤くなり血が滲んでいたが敢えて触れないでおいてやろう。


「…してるのか?恋煩いを」

「それか。まぁ、そうだな。してるんだろう」

「何処の女だ?」

「名前は知らんがくノ一教室の者だ」

「く、くのたまか!?」

「…やはり、そうだよな」


自慢じゃないが、私は女に人気がある。街を歩けばやたらと声を掛けられるわ茶屋に入れば饅頭をサービスしてくれるわしつこく名前を訊いてくるわ、街に行くのは私からしてみれば苦行に似たものだった。何の興味も無い女に好意を持たれたところで鬱陶しいだけなのだ。まぁ興味があるのなら、別だ。声を掛けてきたのが好みの女であれば私も話したいと思う。それだけで終わることもあれば恋仲になり、行くところまで行く関係になることもある。縁の終わりはすべて私から告げてきたのだが。恋仲になる女は年上や、そうでなくとも綺麗な街娘ばかりだった。それが今はくのたまが気になっているのだから、文次郎が驚いているのだろう。私もそうだ。自分で自分が分からない。何故くのたまが気になるのだ。


「どんな奴なんだ?」

「普通だな。何処にでもいる平凡な女だ」

「…どこに惚れたんだ?」


どこ、か。私は彼女の何に惹かれたのだろう。初めて見たのは数日前だ。彼女が、私を訪ねてきた。化粧もロクにしてないだろうにはっきりした顔立ちだった。その時部屋には私しかいなかったから文次郎は彼女を知らない。くのたまが忍たまを訪ねるとは一体何事かと訝る私を余所に彼女は軽く微笑んだ。私をじっと見つめた後「焙烙火矢を作りたいんだけど、良い資料を持ってない?」とだけ言った。透き通った、凛とした声だった。それから『焙烙火矢の資料』という単語を頭の中で呟き自分の棚に手を伸ばす。私が焙烙火矢を作るのが巧みだとくのたまで噂にでもなってるのか。少しくすぐったい気がした。資料を手に取りパラパラ捲る。これなら分かりやすいし大丈夫だろう。これを、と彼女に差し出すと、彼女はパッと明るく笑った。資料を両手で受け取りそして「ありがとう」と言った。

その一言が、表情が、頭から離れないのだ。


「…仙蔵はそのくのたまに資料を貸したんだろ?」

「? そうだが」

「ならそいつ、返しにまた来るんじゃねえか?」

「……」


言われてみれば、そうだ。貸したのだから返しに来るのが普通だろう。彼女がまたここに来る。そう考えると何故か頭が真っ白になって焦燥感に駆られた。ど、どうすれば。いや、どうする必要もない。ただ資料を受け取れば良いだけ。それだけだ。彼女が来たって普通にしてれば良い。ふと文次郎を見ると、ニヤニヤしていた。理由は分かる。自分のことくらい分かる、私の顔が赤いのだろう。今まで女に声を掛けられてきた私だが、女に声を掛けたことはなかった。それでこんなに悩むことになろうとは誰が思っただろう。こんなところ、後輩には絶対見せられない。右手で額を押さえたその時だった。


「あのう」


廊下から声が聴こえた。聞き覚えのある、頭から離れない、あの声だった。私が固まった所為で悟ったのだろう、文次郎が音もなく天井裏へ消えた。矢羽音でちゃっかり「頑張れ」とだけ残して。焙烙火矢を投げ込んでやろうかと思ったがそうすると天井が崩れてしまう。それに文次郎の気配は既に消えていた。普段は三禁だのナンだの五月蝿いくせに、腹の立つ男め。


「あのう、仙蔵くん、いませんか?」

「…いる」

「あ、資料を返しに来たんだけど」


入っていいかな?と彼女は弾んだ声で言った。それだけのことが何故か妙に緊張する。心臓が痛む。手にじわりと汗が滲んだ。畜生、文次郎め。戻ってきたら八つ裂きにしてやる。目を伏せてふうと胸の中の空気を吐き出した。取り敢えず、名前を訊こうか。障子を見つめてそっと口を開いた。


「構わない、入ってくれ」


嗚呼、どうかこの震えに気付かれませんように。



知略者の焦燥





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100823/ten
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