「図書委員長くんが君に会いたがっているそうだよ」
忍術学園から帰って来た組頭がそう言うもんだから、私は三日振りに忍術学園へ忍び込んだ。忍び込んだ、と言うよりは『訪れた』が正しいのかね。忍装束を脱ぎ普通の着物に市女笠を被り忍術学園の門を叩いた。事務員さんは意外とあっさり通してくれた。名前?勿論偽名だよ。因みに今回こういう風に忍び込まずに来たのには訳があってね。前回忍び込んだら文次郎くんに攻撃されちゃって、もうそうならないようにしたいのさ。度が違うにしても争いなんて無い方がいいでしょうよ。まあ文次郎くんが私の顔を覚えてたらおしまいだけど。保健室の前に立つ。人の気配がする。よし。突撃!
「ちょっと失礼するよ」
「……」
「やあ、三日振り」
そこには図書委員長くん…名前は確か、ああ、長次くんだったかな。長次くんがいた。長次くんは保健委員長じゃないのになんで保健室にいるんだろう。血の匂いはしないから怪我をした訳じゃあないはず。市女笠を外して近寄る。前回とは違って警戒はされない。よかったよかった。私は笑って見せた。
「組頭から聞いたよ。私が恋しかったんだって?」
「……」
「冗談だよ」
「…これを」
冗談をスルーされたのは初めてだ。長次くんは懐から黒い布を取り出して両手で私に差し出した。それは、とても見覚えがあるもの。三日前彼の怪我した手に巻いてあげた私の頭巾だ。長次くんと同じように両手で頭巾を受け取る。よく見ると長次くんの右手には控えめに包帯が巻いてあった。傷の具合はどうなんだろう。生活に支障はないのだろうか。そう言えば長次くんって顔も傷だらけだね。きっと装束の下も傷ばかりなんだろう。組頭といい勝負かも知れない。綺麗に畳まれた頭巾を開く。皺も染みもない。洗濯してくれたのかな。…まさかこの男は。
「これを返したかったの?」
「…礼も言っていなかった」
「え」
「ありがとう」
長次くんは私に深々と頭を下げた。この男はただそれだけのことで私を呼び、ただそれだけのことで私に礼を言うのか。こんな。こんな人間臭い男が、忍者の卵。いつか忍者として羽ばたく男。見つめていたらちょっと悪戯心が芽生えた。
「君は馬鹿なのかな」
「…、…」
「私はタソガレドキ。敵だ」
長次くんが頭を下げた際に見えたうなじにぴたりと苦無をあてがった。長次くんの身体がぴくりと揺れる。この子は馬鹿だね。保健委員長くんがどれだけ忍者らしくないのかは知らないけど長次くんも忍者らしくない。敵の前で首を見せるなんて殺してくれと言ってるのと変わらないではないかね。変な子。馬鹿な子。可哀想な子。長次くんは動かない。攻撃をしてきたなら逃げてやろうと思った。私だって別に長次くんを殺したい訳じゃない。長次くんってある意味面白いし。ただからかってるだけだ。長次くんは動かない。聞こえてきた、だけ。
「伊作が信用している者の部下なら…私も、信用する」
「…いさく、って」
「…保健委員長」
いや、まあ、それにもびっくりしたけど。長次くん今、私を信用するって言った?こんな状況で私を信用するって?
なんかもう、笑っちゃうね。私はけらけら笑いながら苦無を仕舞った。長次くんがゆっくり身体を起こす。端整な顔立ちがやけに輝いて見えた。
「冗談だよ。私に長次くんは殺せない」
「…物騒な」
「本当さ。私、君に惚れちゃったみたい」
「…な」
「お前が壁に頭をぶつけるからだろ!そんなの自業自得だ、薬はあげない」
「薬は要らん、包帯を」
「包帯もあげない!褌巻いてなよ!」
「な、嫌だバカタレ!」
「僕は言ったはずだよ!次は無いって!何回目だよ!」
「数えとらんわ!」
「威張るな!」
廊下が騒がしくなり、スパンッと入口の戸が開いた。見れば栗色の髪の青年と額から血を流した文次郎くんがいる。どこか幼い印象のある青年。彼が保健委員長くんか。初めまして。と片手を上げた瞬間だった。手裏剣が飛んできたのは。
「貴様…長次が狙いか」
「あーあ…ごめんね伊作くん、汚してしまった」
「え、いや、何この状況…落ち着きなよ文次郎!」
右手に突き刺さった手裏剣を抜く。溢れた血が床にぼとぼと落ちた。伊作くんは訳が分かってないまま文次郎くんの腕を押さえた。こうも早く見破られるとはね。文次郎くんは優秀なんだね。まあ手裏剣を避けることは簡単だったけどしなかった。何故?それはねェこうする為さ。長次くんから受け取った頭巾を右手に巻き付ける。前回長次くんにした巻き方と同じ。それを長次くんに突き付けて見せた。
「お揃いだね」
「…早く手当てを」
「バカタレ!長次、奴はお前が狙いなんだぞ!」
「そうさ。私の狙いは」
とんっと床を蹴る。一瞬で長次くんに近寄る。長次くんの頬に手を添えて引き寄せる。文次郎くんが息を呑むのが分かった。馬鹿だなァ、守るならきっちり守らなきゃいけないよ。私が長次くんを殺すつもりはないからいいけどね。驚いて固まる長次くんの
古傷にそっと、唇を重ねた。
「…長次、君だけだよ」
「な、きッ、貴様!」
「それじゃあ伊作くん!今度は組頭と遊びに来るよ!」
「え?タソガレドキの組頭の部下…?」
「そ。私くノ一なんだ」
「俺を無視するな!」
「ヤだよ、怖いもの。またね長次」
長次の目の前でひらりと手を振る。長次は固まっていた。顔に似合わずウブなのかね。可愛い。着物の襟を掴んで強く引く。剥ぎ取った着物を文次郎くんに投げ付けた。いやいや、こんなこともあろうかと下に装束を着ていてよかったよ。文次郎くんが着物に気を取られ体勢を崩しているうちに外へ飛び出す。文次郎くんはいつになったら私を信用してくれるかな。長次みたいに。忍道を駆けながらついくすくすっと笑ってしまった。
今度は私が恋しがる番だね。
(100803/にやり)