揺れる面影


ふわりと揺れるドレスの裾が。
胸元から微かに香るトワレが。
彼女とは違う、目の前に居るのは君だということを示しているのに。

想い出すのは守りたかった笑顔――棺に眠る、愛しい女性。
彼女と踊ることなど、彼女にこの手が触れることなど許されないと思っていた遠い昔の日々は、それでも幸せに包まれていた――。

「――トレヴィル先生?」

金色の髪が視界の狭間で揺れた。
夢から現へ引き戻されて――、それでもまだ、幸せな夢を見ているような気がする。

「……おかしいね」

現実こそ悪夢だ。
この300年の間、ずっと君が現れるのを待ち続けていた――総ては復讐のために。

「えっ……この格好、どこか変だったでしょうか……」

淡い色のドレスを身に纏い、少しだけ頬を上気させた君は、悲しみの色が薄れた瞳で私を映している。
――細い肩を震わせて泣いていた少女だった。感情を棄て去り、ただひたすらに真実という名の光を求めて、見えない闇に飛び込んできて……目指す光など此処にはないというのに、馬鹿な娘だ。
今も私の腕に抱かれながら、此処が闇の只中だとも知らず、安堵の微笑を浮かべる君はなんて滑稽なのだろう。華やかな場所に憧れて、大勢のなかから私を探して――まるでお伽噺のCendrillon(サンドリヨン)。
だけど王子は、決して君を迎えには来ない。

「そうじゃないよ……、今日の君はとても綺麗だ」

陳腐な台詞なのに、言葉にすると胸の奥が甘く疼いた。
これは復讐劇という名の、安っぽいソープオペラ。頼りになる魔法使いの役は今日でお終いだ。その代わり、私は君の王子になろう――魔法使いと王子のダブルキャストより、その方がよっぽど楽しめそうだ。
自分自身に最後の魔法をかけて、私は王子の役に成り変わる。
君から伝わる体温が私に流れ込んでくると同時に鼓動に変わっていくのも、君から目が離せないのも、総てこの魔法のせいだ――私はもう、誰も好きにはならない。

「……ありがとうございます、嬉しいな」

灰かぶりがドレスに着替えただけで王子と恋に堕ちるなんて、人とは本当に馬鹿げた生き物だ。
私は騙されない。この感情は、金の髪が見せた一時のまやかしに過ぎない――。

「いや……正直、君がこんなに上手だとは思わなくて。足を踏まれる覚悟をしていたのに」

「先生と踊りたくて、練習しましたから」

本当に可愛いことを言うね。
私の胸の底にある暗闇を知らずに――知ってしまったら、どんな顔をするのだろうか。
その艶やかな口唇から、同じ言葉を紡いでくれるのだろうか。

「あの、先生はいつも手袋をしてますよね」
「ああ……、それがどうかした?」

「いえ。手袋越しでも暖かな手だな、と思って」

馬鹿なことを言う――これは私が【私】であることを忘れてはならないための、【人】ではないものとしての鎖だ。
この忌まわしい手で直に触れて、君を穢して、壊して。滅茶苦茶にしてしまいたいのに。
それなのに、どうしても君に触れられない――触れることができない。

「あ、音楽が終ってしまいましたね……」

ワルツが終っても繋いだ手はそのまま、回した腕もこのまま……君が離れないからだ、離せないわけじゃない。

「……少しは、気持ちの整理がついたかい?」

君が望むならこのまま踊り続けてあげてもかまわない。
そう、夜が明けるまで――明けることはないと解っていても、夢くらいは見させてあげよう。
お伽噺のサンドリヨンが王子と恋に堕ちても、私は君と恋には堕ちない。
君を幸せにしてくれる魔法使いは此処にはいない。居るのはそう、目の前の悪魔だけ――。

「……先生……、先生は悪魔じゃないですよね?」
「…え……」

花のように無邪気で残酷な君の笑顔で、私自身にかけた魔法のヴェールが剥ぎ取られた。
現れたのは魔法使いでも王子でもない、醜い悪魔。
君にだけは見せたくないこの醜悪な姿を曝け出すその前に、息を詰めてそっと手折ってしまおうか。白く細い首に手を掛けて、一捻りもすればこれ以上惑わされずに済むだろう。
胸の疼きが灼けつくような痛みに変わっても、後にはもう、退けないのだから。


「ダルタニアン……私と、恋をしないか」

「……え…、」

呪いの言葉で、揺れる面影を閉じ込める。
再び流れ出したワルツの旋律をも身に纏い、私は新たなステップを踏み出した。

「私と、恋をしよう」

この逢瀬は、黄昏に逢魔が見せる夢。
けれど、天上からの音楽に身を任せたこの一曲の間だけは、君は私だけのもの――私は君、だけのもの。


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