ざざん、波が寄せる。足首まで来た白波は、またすぐに戻っていく。サンダルを手に持ち、裸足で砂浜を歩く私に、眩しい夏の日差しが降り注ぐ。しかし不思議と汗は出なかった。

私はここで人を待っている。
たまたま会って少しばかりの会話を交わしただけだが、それがきっかけで、いつも決まった時間に、ここで会う人。しばらくおしゃべりをしてから、決まって何処かへ去って行くのだ。
毎回、お互いにたくさんのことを話した。将来海に出て海賊になりたいというすごい夢のこと、愉快な兄弟のこと。どこに住むかは教えてくれなかったが、話すうちに、サボという名前だと知り、仲良くなって、今では大切な友達だ。

ふと後ろを振り向くと、彼がいた。いつも笑顔で駆け寄って来るはずの彼は、そのときだけは、様子が違った。


「サボ!こんにちは」

「…よう、ナツ。」

「どうしたの?何だか今日は静かね」


私は裸足のまま、近づいた。歩く私の後ろには、砂に足跡が残っている。


「ナツとは今日でお別れだ」


唐突にそう言った。


「俺、……引っ越すんだ。だから会えなくなる」

「…もう、会えないの?」

「ああ」


彼はごめんなと眉を下げて笑った。言葉を失う私の耳に、海に寄せる波の音が酷く鮮明に聴こえた。私はだんだんと混乱してきて、前のめりになって問い詰めた。


「どこに越すの?そんなに遠く?」

「…ああ、うんと遠くだ。場所の名前は、なんだったかな、忘れた」

「いつ越すの?何で急に?ねえ、」

「ナツ」


だんだん早口になってきた私の言葉を彼が遮った。私はじわりと視界がにじんできたのを感じていた。
私はどうしてこんなに焦っているの?どうしてこんなに悲しいの?
ただの友達のはずなのに。


「これをやる。いつか、ずっと先になると思うけど…絶対迎えに来るから、待っててくれねェか?」


そう言って彼が差し出したのは、子どもらしいオモチャ同然の指輪。それでもきらりと光を反射してとてもきれいに見えた。

ずっと昔の、ただの子どもの約束。それでも、私の彼との最後の思い出で、唯一の約束。今もずっと、覚えている。






「寝過ごした!!」


ベッドから転げ落ちるように起きて、バタバタと駆け回る。お店の開店時間に間に合わない。あんな夢なんて見るからだ。
朝食のパンをかじりながら勤め先の酒屋に向かう。なんとか間に合いそうだ。
それにしても、懐かしい夢だった。なんで今頃彼の夢なんて見るのだろうと右手の薬指にはめている指輪を見つめる。

あれから何年経っただろうか。彼____サボとはそれきり会っていない。それもそのはず。サボは、あの後すぐ、この世を去ってしまったのだから。
私は知っている。海賊になりたいと言っていたサボ。私と海賊旗のマークを話し合ったときの、そのマークを掲げた小舟が、天竜人に撃たれて沈んだのを。サボは知っているだろうか、私がそれを見ていたということを。
引っ越すなんて嘘だったのだ。嘘までついて、何があったのかは分からないが。

それなのに、私はまだ、未練がましく指輪なんてしている。思い出にすがるのはそろそろやめなくてはと思っているけれど_____何しろ、初恋だったから。


「おはようございます、遅れてすいませんー!」


酒屋の裏玄関を開けると、マスターが笑顔で出迎えた。まだ開店していなかった。エプロンをして、クローズのプレートをオープンに変えるために扉から外に出た。
すると、扉の前にいた帽子が特徴的なショートカットの美人な女性と目があった。


「あ、良いところに。ここの店はいつ開店するの?」

「あら、お客様でしたか。ちょうど今からですよ」


にっこりと笑ってプレートを裏返す。オープンになったことを確認してから、もう一度女性を見やると、まじまじと私を見ていた。


「…あの、何か?」

「あなた、ここの店員?名前は?」

「そうです。……ナツ、ですけど。失礼ですが、あなたは…?」

「そう、あなたがナツね!」


嬉しそうに声を上げる女性。よく分からないが、私を探していたようだ。


「少し失礼」


さっと私の右手を取る。そして、そのままぎゅっと右手を握った。


「私はコアラ。ちょっとついてきてほしい所があるの、いいよね?」

「ちょ、ちょっと待ってください、私仕事があるので後ででも?」

「ダメ、今行こう!ほら、エプロンのままでいいから!」


ぐいぐいと私の手を引っ張る女性____コアラさんは、可愛らしい外見とは裏腹に、思いのほか力が強い。為す術もなく、引っ張られるがままついて行く。


「いっ、一体何なんですか!?私を知ってるんですか?」

「そ、探していたの。指輪をしてくれていて良かった。骨折り損になるところだったわ」

「指輪……!?」

「もし指輪をしていなければ、連れて来なくていいって言うんだもの。覚えているか怖いだなんて、チキンなんだから」


どきりとした。右手をとったとき、指輪を見たのかと気づく。指輪をしていなければ___なんて、誰のことを言っている?まさか、なんて思いそうになるが、違う、彼はもういないのだ。


短くない時間引っ張られ続け、辿り着いたのは、あの約束の場所。懐かしい、思い出の海だった。ざざんという波の音は、あの時と何も変わらなくて、思い出と重なる。
ほんの少しずつ、心臓がどくんどくんと音を大きくしていく。汗が出てきて、足が震えてきた。そこで、ぱっと手を離された。


「到着。さあ、後はごゆっくり」


じゃあね、と言ってどこかへ去って行ったコアラさん。引きとめようとしたとき、ある姿を視界に見つけて、固まった。


「久しぶりだな、ナツ。遅くなっちまったけど、約束を果たしに来た」


まさか、嘘でしょう。涙がひとすじ頬を伝った。
夢にまで見た想い人の元へと、砂を蹴った。








記憶の海に揺蕩う君へ、
小さな未来の約束を








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