高望みしすぎた恋をして、深く痛手を負い、もう二度とこんな思いは御免だとコツコツ叩き続ける目の前の橋は、今日も叩いた分だけ「大丈夫だよ」と良い音を立てる。
だけどまだ解らないから、真に受けずもう少し確かめてみよう。壊れてないか、壊れないかどうか。渡ってしまいたくなるのは、きっと罠に違いない。
「溶けそうに熱いな」
防ぎきれない熱射を浴びて、深被りの端からちらりと覗く横顔。嫌そうに呟き、元凶を睨み付けた目はその後、真逆の優しさを宿して私へと向けられる。気だるそうに発された声は、最早焦がれる気持ちが燃え尽きて神格化した魅惑的な響きで。全意識を拐っていく。
「干からびそう」
「ナツが死ぬ前に休憩しよう」
「死ぬなんて言ってないよ」
「…顔赤いな。熱すぎる、本当に大丈夫か」
日常会話に隠しても、この目は勝手に伝う汗を追いかけて、どうしたと問われる度に後ろめたく目を逸らす。
「このくらい我慢できるから」
頬に触れた君の指を記憶しておこう。駆け出した鼓動も忘れないように。迷いながらに叩くけど、この橋は怖くて渡れないから、せめていつでも思い出せるように。
「駄目だ。少し休もう」
先を急ぎたい意思は即、却下された。 しかし冷たく断言しておきながら、君は帽子を頭に押し付けて、いつも私を甘やかす。大袈裟に抱き上げて木陰へ向かう微笑みに、溺れそうな自惚れ。 しかしその特別視には出来るだけ目を瞑らねば。君の優しさには蜘蛛の巣が見える。
「ねぇサボ、少し陽にあてられただけなのに大袈裟だよ」
「そうかな」
「降ろして欲しい」
「ん、足下の木の根より居心地悪い?」
「…そういう訳じゃない」
「可愛いな。分かり易い」
会話を諦めて、 風にそよぐ緑を見上げた。
木の幹で背を擦らぬ様に、拳一つ分あけて支える腕と、座らせる様に抱える逞しい腕と。 私のために全部の腕を使ってしまって、いつものように頬に触れる事が出来ない君が、そんな私を見上げているのが解る。
君も自惚れているんだ。
肩に乗せるしかない手が二人の近さに震えている事に。どんな陽にあてられたのか、なぜ木の葉を見ているのか、知っているからそんな風に笑う。
遥か遠くから、 風が走ってくるのが見えた。
一斉に草原を撫でながら、音を立ててやってくる。そして髪を少し揺らした後、雨の匂いを含んだ大きな風が、私達を包んだ。
両枝を広げ、風を抱きしめるように優しく揺れた大木からは、たくさんの葉が降ってくる。
「一雨、来るな」
ざざざ と騒ぐ木々の音、 そこに馴染む優しい声。
だから、無意識に君を見た。
風に遊ばれて、顔にかかった金色の斜線の隙間から、送り続けられる熱視線。 暖かさを残した陽射しと細い雨が、降り注ぐ緑色を優しく混ぜて。こんなにも綺麗な背景から、君だけを際立たせる。
「お願い…もう帰ろう」
叩き続ける石橋の先、陽炎が、あちら側の君を揺らしているのが見える。おいでおいでと手招きをして、甘い声で、何度も私の名を呼んで。
二面性の表か裏か、君にはもう一つの顔があるとして、私はそれを恐れているのかもしれない。全てを知るのが、怖いのかもしれない。あの瞬間を形容する言葉が見つからない程、この幸せが怖いのかもしれない。
局地的な大雨は、 雨雲に轟を乗せてやってきた。突然強くなった雨足に、低く雷鳴が響き始める。
「しまった、急いで戻ろう」
降ろされて足場の悪い木の根に立てば、大嫌いな雷と、余韻を残さず離れた温度が寂しさを連れてくる。そんなに叩くと壊れてしまうよ。と、不安も一緒に煽りながら。
「…行けない」
「怖いんだろ。ほら、俺がいるから大丈夫」
「だって戻っても行く所がないから……その、…皆はまだだし…私、鍵…持ってない」
「俺の部屋に来ればいい」
「でも、」
一歩も 踏み出そうとしない私を、 君は笑った。
傷付くなぁなんて軽口を叩き。 ふわりとした笑みに、 酷く哀しい色を乗せて。
「何もしないよ。おいで」
遠くは晴れ、二人は大雨。
差し出された手を取って、私はやっと木陰から一歩を踏み出した。君の帽子が飛んでいかない様に必死で抑えて、もう片方の手を君に引かれ。背中を蹴飛ばす豪雨に打たれて、どこまでも走った。振り向きもしない後ろで橋が崩れたとも知らず。おかしな天気の中を君と二人、真っ直ぐに駆けた。
陥落
背中を押したのは 諦めか、雷鳴か。 それとも君の、 嘘に聞こえた一言か。
【石橋】 石で作った橋。 石橋を叩いて渡る:注意深く物事をする事
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