月を見ると、君を思い出します。

特に晴れた日の夜空は、
雲一つない月の輪郭を溶かすように黒から群青、黄色と重なっているのがよく分かり、その色合いが君の首元そっくりで困ります。どれだけ身長が伸びても、私の手はそこまでは届きませんから。

しかし遠巻きながら、居るんだなぁと思わせてくれる存在感は、手を伸ばしたい気持ちを少し慰めてくれます。




丘を下った所にある、
小川を覚えていますか。

そうです、アサガオのたくさん咲いたあの川。私は川魚を素手で捕る人を初めて見たものですから、面白くて面白くて仕方なかったのです。

笑い転げる私に魚の捕り方を教えてくれましたよね。でもごめんなさい。上手くできなかった言い訳ではないけれど、「下手くそだ」と笑う君があまりにも素敵だったから、手に力が入りませんでした。




たくさん遊んでくれてありがとう。
毎日、会いに来てくれてありがとう。

私が一人ぼっちで寂しいと泣いたからですよね。毎日ひょっこり顔を出す君が待ち遠しくて、帰らないでと駄々をこねたりもしました。「弟がいるから」と手を振る君の背中を、明日も来ると解っていながら泣いて見送った私の子供さを、どうか許して下さいね。



子供だったといえばもう一つあります。

君の持っていたドロップ缶がとても欲しかった。コロンコロンと良い音を立てる箱を開ける事無く、耳元で鳴らし、ただ微笑むだけの君を見てドロップ缶が羨ましくなったのです。
1つちょうだい。そうお願いしてみたら、君は答えの決まったしっかりした顔で「大事な弟達がくれた宝物なんだ」と言いましたよね。

コロン、コロンと響く魅力的な音。
その缶に入っているものはさぞかし甘くて美味しいのでしょう。一粒食べた君の幸せそうな顔を見て、私も大事な人になりたいと、子供ながらに、もっともっと欲しくなりました。




君が突然、遠くに行くからもう来られないと言った日を覚えていますか。あの魚を捕った小川です。

本当のさよならを知らなかった私は意味をあまり理解せず、元気だったと思います。ただ、君がもう来られないと言うから、ドロップをお願いするなら今だ。と、浅ましい事を考えていました。


川原に座り、泳ぐ魚の背を眺めながらお願いすれば、君は何ともあっさりと、手放さなかったドロップ缶をくれましたね。その時、不意に振り向いた君は息が掛かる距離に居ると気が付いて、どんな顔をしていたか知ってますか。

唇を意識したのでしょう。
驚き、高鳴り、惑い、決意と照れ隠し。
一連の感情が手に取るように解った重なるまでの一瞬は、今まで生きた数年の中で一番長い一瞬でした。思いに溢れ、煌めいて、今でもあの頃の透明感を保ちながら心の中に置いてあります。



私はこの缶の蓋を開けられないでいます。何年も経っているのに、変わらずコロコロとあの日と同じ音を立ててくれるからです。

しかし大人になって知りました。君の故郷は燃えましたし、今日も世界のあちこちで当たり前に争いが起こっています。そして先日、新聞が語る何処かの国の悲惨な争い、その写真の片隅に、当時の面影を残した君の影を見付けました。見上げる月が綺麗なのは、君が月になったからなのだと知ったのです。


だから私は今、
ドロップ缶を手に、
あの日の小川で見上げています。
初めて蓋を開けました。

しかしそれは、
甘い甘い飴玉なんかではなかった。

君は確かにあの時、私の目の前で一粒食べ、幸せそうに笑っていたのに。缶を逆さにして出し切ったビー玉は、芝の上に散らばって月光を跳ね返し、輝きますが。

なぜ君はわざわざ中身を入れ替えたのでしょう。これを食べられるのは大事な人だけなのでしょう?これでは永遠に食べられません。


だから私は、川に流してやろうと両手に救い上げました。食べられないドロップなんて、と。

しかしそれでも、
たかだかビー玉のひとつも
捨てる事ができませんでした。



ああなんて綺麗な月でしょう。
でも今は、繊細な色味も解らないほど朧に霞みます。恐らく、あの日から、子供ながらに愛していました。

さようならサボ。
ナツより





日中の熱を放ちきった草原は涼しげに揺れ、草の端に止まる無数の蛍が川面を彩る。

書き続けていた手紙をやっとたたみはしたが、水面に放とうとする手は子供のように聞き分けが悪くて困る。いつまでも静止する手は、時さえ止めているように見えた。



風は止まり、
草原に灯る明かりも揺れるのをやめ。

まるであの日の
透明感を思わせる風景に、
いつまでもこのまま
幻想を見せてと願ったが。

背後に立つ男が急かしくその手を掴むから、川原の蛍は一斉に月夜を飛んでいった。









【手切れ】
それまで続いていた関係・交渉などを終わりにすること。特に、男女の愛情関係を終わりにすること。





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