▽ わん
お腹でも減ったんだろう。おもむろにキッチンへ向かったその先で冷蔵庫を開けたり戸棚を締める音が聞こえてくる。
作り置きもお菓子も、つまめるものなんて今は何も無い事を知って、しょぼんとした顔でリビングに戻ってきたサボは、私が跳ね上がるほど派手にソファーに座って自分の鞄を漁り始めた。
“労いや応援の頂き物”だというラッピングを取り出して、するする解いたリボンの袋から取り出したチョコを一口で食べてしまった。
「毒入ってるかもよ」
「妬いてる?」
そりゃ妬くだろ。
労いと応援です!と言うしかなかった、どこかの女の想いの塊なんだから。そのままの意味で受け取ったのか、わかっているけど無下にしたくなかったのかは解らない。
でも私の目の前にある現実は、腹ペコのサボを幸せにしたのは、知らない女の恋する気持ちだった。すごく面白くない。後回しにせず買い物に行けばよかった。
「嫌よそりゃ。買い物に行ったらすぐご飯にするからね、おやつは程々に」
まん丸とした目で親指立てられても。
可愛らしいこの反応、あのチョコによる物だなんて思ったら憎らしくって、もう全世界のチョコ滅びろ私は二度とチョコは作んねぇぞと、スーパーのお菓子コーナーを避けるように歩いた。
そうだなあ。
今日はハンバーグでもしようか。
前に、数ヶ月ぶりに帰ってきたサボがうめぇと大袈裟に喜んでくれた時の顔が鮮明に浮かぶ。そうそう、子供みたいなメニューが大好きなんだ。
美味しそうに頬張ってニコニコするサボを思い浮かべたら、早くそんな彼に会いたくなって、行きの落ち込んだ気持ちとは真逆の足取りで帰りを急いだ。
ほんの少ししか共有できない時間なんだ。2人で美味しいご飯を食べて、2人でたくさん笑って、離れてしまってもそれぞれの明日を頑張れるように、また大好きを言うんだ。
「ただい……ま」
「わん」
「は、あ…………え?」
可愛い彼に精一杯出来ることを!と思って開けた玄関。段差に座って組んだ足をブラブラ、私のヒールを蹴飛ばして遊んでいた可愛い彼の頭には犬の耳が生えていた。
「な、な、なにしてんの!?どうしたの?!」
「ナツを待ってたんだよ。なんか待てなくて」
「いや、違う違うそうじゃなくて」
「あ、靴?……悪い、そわそわしてとめらんねぇんだよ」
動揺する私の顔をちらちら見ながら、もう片方のヒールを蹴って転がし、制御できない自分の何かと戦っているような難しい顔をした。
「説明してあげるからこっちにおいで」
「わん」
おう。って言ったつもりなんだろうなぁ、と思いながら鏡を見せれば、嘘だろ!とか、え、俺はなんで!とか、まあまあ予想通りの反応が返ってきた。ただ動揺しているだろうにどこかワクワクしてる自分がいるんだろう。今しがた気が付いた犬っぽい尻尾がブンブン振れていて、流石に笑いが堪え切れなかった。
「だから言ったじゃん、毒入ってたのよ」
「こんな事して何になるんだ」
「そうね、可愛いだけね。食べたのが私の家で良かったじゃない」
「このままだと困るな…帰れねぇ」
「いつか引っ込むでしょ。それよりご飯ね、私もう空腹で死にそう」
キッチンへ移動する私の後を何故か追ってくるし、食材を広げたら尻尾ブンブンするし、肉を焼けばルフィやエースみたいにヨダレを垂らすし、目なんかいつもよりキラキラしてる気がして、本当に集中できたもんじゃない。
まあ、忌まわしいチョコではあったけど、私達二人を包んでいる楽しい時間と、事はどうあれ愛おしいと思う気持ちは今も変わりないのだと、簡単に幸せになった自分がいた。
「さあ食べますよ」
「わん」
「待ちましょうねサボ」
ハンバーグの皿をすーっと引き寄せて、にこっと微笑んでみせる。これは数ヶ月ぶりに会えたのに甘い言葉一つくれなかった事のお返し。照れ隠しって解ってるけど、仕返しだ。あとチョコを私の前で食べてしまった事と。
「俺が待てもできない男だって言うのか?」
「ううん、解ってるわよ、できるできる。
ほら、 待て」
「…………あああ!くそっ、そわそわする」
「ふふふふ。まだよ。待て」
「無理だって!!あああもう!頂きます」
大口開けて笑う私に「意地悪な飼い主だ」と文句を言うサボは、やっぱりあの時みたいに目をキラキラさせて、美味しそうにハンバーグを頬張ってくれる。ブンブン揺れる尻尾がなくたって幸せ楽しいが伝わってくる。いつだってここへ帰ってきてくれる。
そうだ。どんなに離れたって、
きっと変わらないさ。
だから相変わらず妬いちゃうし、
わざと妬かそうとするし。
旅立っていっても、また帰ってきてくれる日を待ってるからね。貴方がどこか遠くで戦う日々をここから応援してるからね。
頑張ってね。
私は、
いつまでも変わらないからさ。
「大好きよ、サボ」
「わん」
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