君は知らない




今日、この手で人を傷付けた。

俺はいわゆる不良というヤツだ。まともに授業を出席することもなければ喧嘩をしない日はない、素行は最低ランクのそれだった。
中学生、両親の意向で勉強漬けだった毎日に、ストレス発散目的になりつつあったのが喧嘩で、塾の帰りにこそこそと夜遊びをしていたことが始まりだった。本能的に体を動かす、張り詰めた緊張感や喧嘩に勝った際に得られる高揚感がたまらなく好きだった。なにより、両親の介入のない自分だけの世界に喜びを感じた。罪悪感なんて爪の先ほどもない。羽を伸ばすことのできるこの一時だけ、自由だった。
喧嘩は最初こそ負け戦ばかりだったが、月を重ねるごとにその数は減ってきた。元々素質があったのか、体格もそれに見合って一段と大きくなった。二年と少したった頃には、名前を聞けば知られているなんてことも当たり前なほど界隈では有名になっていた。
そんな頃のことだ。突然袋叩きにあい、大怪我を負った。調子に乗ってる年下を懲らしめてやろうという話だったに違いない。大変な乱闘だったが、半分以上はのしてやったのをぼんやりと覚えている。しかしそのお陰で入院までしたし、この一件で今までの素行不良が両親にバレた。真面目な彼らは取り乱し、体裁のことも考え全寮制の学校へと半ば強制的に転校させられたのだ。
といっても、全寮制のその学校は既に親の手から離れたも同然。ここから更に素行不良ぶりは助長されることになるのだが、語ることは特にない。
なにせ現在高校三年生、いまここにいる俺こそがその来歴を体現しているからだ。

ふっと吐き出した煙が、ゆるやかな風に乗って空に流れていくのをぼんやりと眺めた。三本目の煙草を床に押し付け、息を吐く。暇だ。ものすごく、暇だ。最初は雲の数でも数えていようかと思ったが、片手を過ぎた所ですぐに飽きた。煙草で気を紛らわそうともしたがそれも最初だけの話だ。時刻は一時三十分。普通の学生であったら、昼休憩を経て午後一番の授業を受けている時間帯である。そんな時間になにか面白い事があるはずもなく、結局暇を持て余して屋上へやって来た。いつもの事ではあったが、今日は一段と暇に感じた。ここ最近喧嘩をしていないからだろうか。最上級生になってからというもの、いちいち突っ掛かってくる先輩もいなければ生意気な後輩も居やしない。たまに同じく素行不良な同級生が来るだけなのである。この学校では、素行不良な生徒は隔離されるように一つ、二つのクラスに纏められていた。その中でもなにやら派閥があるようなのだが、よくは知らない。こちらとしては喧嘩ができりゃなんでもいいのだ。だからフラフラと校内を徘徊し、喧嘩があれば首を突っ込む。
けれど最近はそれがどうにも上手くいかない。風紀委員もこちらの一挙一動に目を光らせる始末で、なにか事ある事に口を挟んできていることが一つ。もう一つは、更に厄介だ。

「やっと見付けたぞ。こんな所に居たのか」

ギイイ、と屋上の錆びたドアが開かれる音がして、追って快活な声がこちらに飛んでくる。空を見ながらしまったと舌打ち、傍までやってくる足音に気付かないふりをしようとした。

「めめ。俺だ。忘れたか。野々原だ」

しかし青色を遮ってこちらに影を落とすように顔を覗き込んできたそれに、知らぬフリは無意味であると悟る。

「めめ。野々原だ。生徒会長の、野々原だ。忘れたなら思い出せ」

真剣な表情でこちらに必死に語り掛けてくるその顔は、はっとするほど整っている。長い睫毛に通った鼻筋。手を入れていないであろう黒髪はさらりと風に流れた。

「ののののうるせーな。残念ながら覚えてるよ」
「二週間お前の元に通った意味はあったな」

一見きつそうな顔立ちは、ふふっと溢された小さな笑い声と共にふにゃりとゆるんだ。そして手のひらを差し出してくる。傷一つない綺麗な指先だ。こちらの武骨で傷だらけの手とは違う。そんな彼の手を借りずに上体を起こせば、気にしないといった様子で隣に腰を下ろしてきた。

「生憎、お前のせいで暇してるとこだよ」
「そうか。それは良いことだ」

彼はほっと一息つくと、嬉しそうにそんな事を言った。そらされた顔は、空を仰ぎ見る。表情は、俺の心のうちとは真反対に、いっそ清々しい。その視線はなによりも、

「俺はな、めめ。生徒会長として、この学校を変えたいんだ。“不良“ってだけでひとくくりにされたお前らにも、学校生活を楽しんで欲しい」

……ああ、真っ直ぐだ。
彼は二週間前、俺のもとへ突然やって来た。そうして喧嘩はやめろと事有るごとに宣った。時には他の生徒にひっつかまれて怒鳴られた。時には巻き込まれて怪我をした。けれども彼は諦めることも、弱音を吐くことすらせずに、やはりここへ来た。
たった二週間だけだが、嫌と言うほどに彼を知った。頑固で馬鹿正直で、そして喧嘩なんて恐らく一度もしたことがないだろう、まっさらな……。彼を知るたび、もやもやが心の奥を燻った。形容しがたいそれが、ちりちりと心臓を焦がすのだ。それを最近は、喧嘩ができないせいだと思い込んでいた。違うのだ。
俺はきっと、コイツが嫌いだ。
彼の腕を引き、固いアスファルトへ押し付ける。その上から覆い被さって、身動きが取れないよう抑え込んだ。彼を拘束するのはこんなにも容易い。

「めめ?」

きょとんとした純真無垢なその顔が、まさか殴られるだろうとも思わずにこちらを見る。
彼は知らない。殴られる痛みも殴る痛みも、得られる傷を喜びを快感を、彼は知らないのだ。

「な、会長様。喧嘩を止めさせたいって、生徒のため生徒のためって、本当にそうなのか?」
「え?」
「俺はこんなにも喧嘩を望んでるのに」

楽しくないつまらない。喧嘩だけが俺に色をつけてくれる。最初からそれしか俺は持っていないのに、コイツはそれすら奪うのだ。

「それとも、お前が相手をしてくれるのか?」

ぎり、と掴んでいた腕をきつく握れば、彼は驚いたように目を見開き、そして笑った。

「俺は喧嘩はできねえけど、お前に違うことの楽しさは教えられるぞ、めめ」

まっすぐな視線が、空でなく俺を射抜く。なにも知らないくせに、そんな目で俺を見る。
今日、この手で人を傷付けた。いままで、たくさん人を傷付けた。そして今度は、人を傷付けない彼を、傷付ける。いつもと同じなのに、どうしてこんなにも苦しいのか。まるで、触れたら移ってしまうような、壊してしまうような、予感とも言えるそれにびくりと震えた。

「ーーぁ、」
「めめ、どうした、具合が悪いのか?」

恐ろしい。嫌いなのではなかった。
俺はただ純粋に、コイツが恐ろしい。

「お前が何度来ようが、俺は喧嘩をやめねえ。いい加減、諦めろ」

先に視線を反らしたのはこちらで、悟られまいとできるだけ声を冷たくして言った。そしてできるだけ顔を見ずに、屋上から立ち去ろうと身を起こして足を進める。

「俺は諦めないぞ、めめ」

背後から掛けられた声は明るい。

「じゃあな、また明日」

錆びた音をたて、屋上の扉を閉じた。


2015.0524,
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