2




立平 支癸 タツヒラ シキ 大佐
十月 カンナ少佐
彌生 ヤヨイ中佐
阿吽 アウン



雨が降ってきた。息は白く肌寒い。もしかしたらこのまま雪になるかもしれない。これ以上森の深くに進んでは足跡も埋もれてしまって帰れなくなる可能性もある。

「阿吽、一度戻って報告をーー、」

振り返り使役する式神たちの名を呼びかけ、ふと地面に伏した焼き付くような朱が目に入ってきた。どうやらそれは人のようで、しかしよく見てみれば五体不満足だ。両足は太股から先を切り落とされ、左腕に至っては肩口から無い。血の気のない真っ白な肌が、冷えた空気に晒されていた。物取りに遭ったのだろうかそれとも人ならざるそれに障ったのか、不運であるとしか言えない。

「……ん、」

ふいにその人が唸った。どうやら息はあるようだが、それもすぐに絶えてしまうのだろう。

「大丈夫か」

せめて最後の言葉は聞こうと声を掛けるも、返事はない。恐らく既に意識はない。人形は意識のないままに残った右腕で地面を掻く。まるでなにかから逃れようとしているようだ。そして這うように前進しようとしーーさらりとその朱髪が溢れ、汚れた顔が露になった。

「っ、これは……」

額に、黒く太い角が二本。
間違いない、これは鬼だ。それも恐らく稀少な部類に入る、本物の鬼である。
鬼には、種類が三つある。人が人道を外れ堕ちた鬼、人の思考が産み出す鬼、そして古くから生きている種族としての鬼。恐らくこれは、三つ目だ。普段人前に現れることもないだろうに、なぜこのような村外れの森に倒れているのか。
いいや、しかし、目を奪われたのは額ではなかった。伏せられた瞳を縁取った長い睫に、すっと鼻の通った筋。端整な顔に言葉を詰まらせたのは一瞬だった。




書類を纏めながら息をつく。どうにも連れ帰ったあの朱鬼は思う通りにしてはくれない。裸では寒かろうと服を着させようにも洋服は嫌だ下着は嫌だとこちらのワイシャツしか着てはくれない。どうやら和服を望んではいるようだが、生憎着付けはできないし彼が片腕でスムーズに着れるとは思えなかった。それに包帯を変えるのも一苦労で、膝の上へ乗せるまでは逃げたりぺしぺしと手を叩いてきたりと反抗の意を見せてくる。他にも食事も風呂も大抵は嫌がってしょうがないのだ。
正直、苦ではない。苦ではないが、……その姿は大変愛らしかった。
彼が鬼であり、危険で有ることはわかっている。その強大な力に人々から恐れられていることも。そして、簡単に人を傷つけられるということも。
けれど、一人ベッドに座る彼の苦し気な顔を見た時、こちらに気付いてほっと息を緩める時、何かをしてあげたいと強く思うのだ。それならば、彼に殺されてしまってもいい。
亡霊のようなこの俺に、唯一できた希望でもあったのかもしれない。

「大佐?」

艶やかな赤毛を思いだし息を吐くと、軽い口調で声が掛けられ慌てて意識を戻す。佐官室のデスクについていたはずが、気がそぞろになってしまった。

「すまない。少し考え事を」
「大佐をそんなに悩ませるなんて、どんなやり手なんですかね?それともじゃじゃ馬ですか?俺にも紹介してください」

へらりと笑った彼は、階級でいう少佐にあたる。タレ目で美丈夫な彼だが、華奢に見える体格とは裏腹に実力はきちんと持ち合わせている。仮にもこちらの方が上司にあたるわけだが、彼はその軟派な態度を誰にたいしても変えることはない。出世こそしないが、上からは可愛がられ下からは慕われる、そんな人種だ。

「違うんだ。ただ、……名前を考えていて、」

あの赤色を思い出して言う。鬼であるが故、おそらく真名や字を持っているのだろう。しかしそれを無理にと詮索するつもりはなかった。

「新しい式でも捕まえたんですか?こっちの報告にはなかったですが」
「……いや、」

名で縛り式神として使役する契約の術もあるが、それはきちんと段取りを取った場合である。そうでなくーー気軽に、名を呼べるような、と考えふと気づく。
詰まる所、俺はあの鬼と接点が欲しかったのである。

「そう、だな……友人」
「はい?」
「友人の渾名をつけたい」
「……友人!?」

がたり、と彼が椅子から転げ落ちそうになる。普段の飄々とした態度はどこへやら、驚愕に目を見開く姿は珍しい。

「どうした」
「ご、ご友人がいらっしゃったんですね!」
「……十月少佐は、私が上官というのをお忘れのようだ」

あまりの驚き様に息を吐けば、少佐は手をばたばたとさせ取り繕うようにへらりと笑みを浮かべる。

「そういう訳では……。それにしても、渾名を真面目に考えるなんて、大佐らしいというか」
「おかしいだろうか」
「いえ、素敵ですよ」
「……そうか」

彼の手足や傷が癒えるまで。それは決して短くなくけれど永遠ではない。だから、そう呼んでいくのだ。

「失礼」

話が一区切りついた所で扉が数度ノックされた。それに少佐がどうぞと促せば、すっと扉が開かれる。入ってきたのは、中佐の役を務める男だ。目元を包帯で覆い視界のない状態であるにも関わらず、彼はこちらが声を掛ける前に振り向いた。

「立平大佐、いらっしゃっていたんですね。気付かずすみません」
「邪魔してすまないな。専用の部屋より、こちらの方が楽なんだ」

構いませんよ、と口許を弛めた彼は、軍帽と外套をポールハンガーに掛けた。所作一つ一つがゆったりと流れるように穏やかである。

「外へ出ていたのか?」
「ええ、外の寒牡丹がちょうど花を咲かせましたから、散歩がてらに」
「そんな、俺も誘ってくださいよう!」

口を尖らせた少佐は、手を組んでうっとりと言う。

「いいなあ寒牡丹。今の時期ならさぞ見物でしょうねえ。一度任務の最中に見掛けたことがあります。霜囲いの中で赤い色がぼうっと花開いて、本当に綺麗でした」
「仕事が終わらない奴は見に行けないだろうけれど」

やりますよう!という中佐と少佐の話を流しつつ、寒牡丹の様をそっと思い描く。なんだかそれは、彼の鬼を連想させてならないのである。白い絨毯の中、囲いの中で優雅に花弁を広げる赤を見る。
牡丹、ぼたん。口の中で言葉を転がした。
うん、いいかもしれない。花の名だなんて、彼は嫌がるかもしれないけれど。なんだか無性に彼に会いたくなって、書き上げた書類を早々に束ね席を立った。

「私はこのまま上がる。少佐、あまり彌生中佐を困らせないように」

困らせてませえん!という情けない言葉を背に、急ぎ足で部屋を後にした。




立ち葵
永遠にあなたのもの、高貴、率直
牡丹
恥じらい、高貴、壮麗、誠実
2015,0307.
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -