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ろづ
深海の腹に飲まれる 3/3

 目を覚ますとナマエは見慣れた部屋にいた。自分の部屋だ。先ほど見ていたのは悪夢だったのだろうか。それにしてもおぞましい夢だった。
 深呼吸をすると生臭さを鮮明に思い出せるような……。
 違和感。
 呼吸を止めたナマエが、部屋を見回す。どこにも、誰の気配もない。しかし、生臭い。
 夢で見たにおいと同じだ。もしや、ここが悪夢の中なのだろうか。とにかく部屋から出なければ。体を動かした瞬間、忘れていた感覚に支配され、ナマエはついに悲鳴をあげた。
 体が濡れている。
 ぐっしょりと濡れている。
 服も、靴も、髪も、いや、体だけではない、部屋の壁紙が、床板が、読んでいた雑誌や使っていたパソコンや、タンスやクローゼットが、何もかも。あの恐ろしく腐ったような臭いを発する海水にまみれているのだ。
 まるで海から競りあがってきた部屋のように。
 自分が見たものは夢などではなかったというのか。それとも、本当にここが夢の中なのだろうか。確かめるすべがない。窓の外から視線を感じる。
 窓に、窓に、と手記を書くべきだろうか。
 恐る恐る震える体を抑えて振り向いたナマエの前には、暗闇だけがあった。月も星もない夜空のようだ。何者かの手がべたりと張り付いているのでもない。ああ、よかった。未だに感じる視線は気になるものの、ぐしょぐしょに濡れた部屋で、ナマエはへたりこむ。
 何故、部屋が濡れているのだろう。
 自分は確かUMAを探しに。
 海に落ちたのは夢なのか。それとも、海の中で見ている夢がこれなのか。
 もし本当に部屋が濡れているとしたら、リフォームをしなければ。こんな夜中に請け負ってくれる人などいるわけが。
 魚が過ぎ去る。
「……え……」
 ナマエの思考が停止した。
 窓の外を、手足の生えた魚が泳ぎ去っていったからだ。
 唐突に視線のことを思い出した。そうだ。ずっと窓から見られている気分で……その視線の持ち主は、つまり。
 窓の外を泳ぐ、無数の魚人だとでも。
「ひっ!」
 ナマエが甲高く息を吸った。
 水圧で潰れた船の操舵者が、窓に一回へばりつき、魚人に回収されて闇の奥深くへ流されていったからだ。
 ここはあの海の中。
 腐ったにおいが充満する、生臭くもおぞましい水の中。
 これが夢なのか現実なのか、誰も教えてはくれない。ただ一つ分かっているのは、ここからは二度と出られないという事だけだ。ナマエは部屋の隅で震えるしかなかった。
 窓の外では、鯨ほどもあるおおきな魚人の一対が、こちらをじっと見下ろしていた。

 ナマエは、深海の腹に飲まれたのだ。