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砂波銀が愛します(砂波銀)

 頭の奥の方が痺れている。
 自信が受けてきた迫害等可愛いものだと思い知ったから。
 あまりにも辛い過去に目を向けて生きてきた彼女に何を言えば良いのか分かりかねたから。
 一陣の風が吹く。
 湖が揺れた。
 皆底に愛しい蜘蛛の君を受け入れた湖は、水妖を見据えているようだった。
 軽い気持ちで飛び込んでくれるなと、何の策も無く追ってくれるなと、彼女を守るかのように静かに波打つ湖は、優しくも厳しい。
 せめて水面に触れて、水に手を入れて、彼女を包む水を切り裂いて、この声を届ける事が出来たら……。
「……」
 水妖の考えに反して声が出ない。
 砂波銀の思いとは逆に手が震える。
 そうだ、軟弱な者は触れてくれるな、蜘蛛の君に傷がつく。
 湖が柔らかな空気を纏いながら、強かに漣を立てていた。
 涙が浮かんでくる。
 どうしよう、どうすれば良い。
 彼女を悲しませたくない。
 ぐるぐる混乱する砂波銀の頭に浮かんだのは、何故だか幼馴染の顔だった。
 空気を読んで引っ込んでろ。と思ったが、その幼馴染は幻聴でこう言う。

『よそはよそ。うちはうち』

 他所だの、家だの、今はそんな話をしているのでは無いというのに。
 どういう意味だと尋ねても、幻聴は二度と聞こえなかった。
 風が木々を揺らす音だけが耳に入る。
 彼女は彼女、手前は手前。そういう事なのかと、水の怪は訝った。
 それとも。
 もう一つの可能性に目を向けた時、砂波銀の目は大きく見開かれ、その体は水を押しのけていた。


 必死で恋しい相手を探す。
 ゆらゆらと華やかな衣装が水に揺れるのが見える。
 何処へ向かうのだろう。
 裏庭にある池の方だろうか。
 彼女が森の奥深くから抜け出る、という時。
 砂波銀の腕は青く変わり、ヒレを生やした異形のものと化した。
「俐殿!」
 水から上がろうとしていた彼女の服を掴んだ。
「っ!?」
 小さな水の音を立てて、小柄な姿の女郎蜘蛛が落ちてきた。
 力を、入れすぎた。
「も……申し訳無い」
 強い思いで引き止めたというのに、直後に気まずくなり、伝えようとしていた事が萎んでいく。
 視線を彷徨わせ彼女の方を見ると、大きな瞳と見詰め合う形になった。
 青と緑で出来ている本性を現す体が、愛しい人を抱きとめていた。
 よそはよそ、うちはうち。
 幻聴が、脳に突き刺さる。
「俐殿」
「……うん……?」
 か細い声が聞こえた。
 水底で音も立てずに抱き締め、砂波銀は口を開く。
 悲しませたくない。負担をかけたくない。
 それ以上に。

「一人に、したくない」

 小魚たちが薄暗い中を泳いで回る。
「貴殿のご主人は人間でありましたな」
 水草が揺れて、湖の中に風を作る。
 髪を揺らし見詰め合う二人を知るのは、二人を包む水だけだ。
「手前は、半妖……ご主人には到底なれませぬ」
「……なって欲しいだなんて、言った?」
「否。一言も」
 暗い草原に二人で立っているようだった。
 鱗を持った小鳥が飛んでいるようだった。
 ロマンティックだと思う余裕など、砂波銀には無かったが。
「手前には、牙があります。爪も。……手前は覚悟を決めました」
 よそはよそ。
 彼女の主人は、彼女の主人。
 うちはうち。
 水妖は、水妖。
 傍にいる方法が違って、何がおかしいというのか。

「手前が俐殿に食われる事があらば、全力を持って俐殿を食らい返しましょう」

 砂波銀は、これが自分勝手な見解だと分かっていた。
 未だに自身の姿を好きになれない臆病者の、我侭な解釈だと自覚していた。
 それでも。
「手前が死ぬ時には」
 言いたい。
「最期を迎える前に、俐殿を食らいに参ると約束しましょう」
 抱き締める力を少し強めた。
 二人しかいない空間。
 震える手が弱く彼女を包み込む。
「ですから」
 声が上擦った。
 涙が滲んで、砂波銀の目元が揺らいでいた。

「死ぬる時あらば共に食らい合い、共に果てましょう……俐殿」

 人間は人間、半妖は半妖。
 半妖ならば半妖らしく、人の身には出来ない方法で愛しい人と共にあろう。
 砂波銀は、残酷かも知れない言葉と共に覚悟を吐いた。
 
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