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杏は酸いか甘いか
「おやまぁ」
 力が抜けたような笑みで見下ろす先には、大の字で倒れている娘兼息子の姿。
 少しばかり力をいなし、最低限の腕力で振り回してやったらこれだ。
 力を放出するばかりで振り回されている未熟な我が子に微笑みかけると、千代松はばつが悪そうに起き上がった。
「……ま、参りました」
「うん、素直なのは良い事だよ、千代松」
 手を差し出して立ち上がらせる。そういえばこの子は僕の背を抜かしたんだっけ、と感慨深い思いに浸った後、よしよし、と背中をさすりながら告げる。
「じゃあ、禅を一時間組もうか」
「……げっ」
 苦々しい声がした。
 思わず笑ってしまった。
「文句を言う子は二時間にしようね」
「もも文句など言うてはおりませぬ父上!一時間で!一時間で充分に御座います!」
「二時間ね」
「……はい」
 この子は僕に逆らえたためしがないんだよなぁ、と笑いながら考える。
 まだまだ尊敬してもらえている証拠なら、それも嬉しいものだ。

「おやまぁ」
 呑気な声で笑いながら見つめる先には、仕事に追われ、食事をまともに取っていない兄弟の姿。
 うちの男どもはこれだから、なんて自分自身も男の癖して思った。
「桜一郎(おういちろう)さん」
 呼びかけてみても返事はない。書類に集中しすぎているのだろう。
 もう、仕方のない人だ。
「桜兄さんっ」
「お、おお、杏か」
 何だか皺が深くなっていらっしゃる。
 気苦労ばかりで老けるのが早いなぁと呑気に考える。
「おにぎりを持って参りましたよ」
「すまんが今それどころでは――」
「今食べなければ兄さんはこれからも食べる機会を失いますよ、栄養失調で入院です、笑い話にもなりはしない」
「ぐぅ」
 やんわりと説教すれば黙ってくれるから、助かる。
 おにぎりを無理にでも口につめてやれば、兄さんは大人しく食事を取ってくれた。
 ああ、有り難う。兄さんの好きな焼き味噌を入れておきましたからね。

「おやまぁ」
 こまった声で見下ろす先には、片付いていないあの子の部屋。
 まったく困ったものだね、なんて苦笑しながらカテゴリー別に分けて掃除していく。
 部屋が散らかっていて、あれがない、これがない、なんて困るのはいつだって本人なのにねぇ。
 あとで文句の一つも言ってあげないといけないね。

 そんな僕が言われて困るのは『お母さん』の一言。
 僕は父だし弟だし兄だし叔父だし伯父だし、男なのだからね。
 女のように呼ばれたら、こう返すしかないじゃない。
「おやまぁ」
 
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