お嬢さん、おいでなさい(国原文)
「あ、あの……!」
遠慮がちに話しかけられ、振り向いた先にいたのは冠橋美弓だった。
国原は思わず身構える。今度は何で怒られるんだ、と彼女を見つめるが、彼女はこちらとは視線を合わせず、大人しく続けた。
「お、落としましたよ?」
その様子に、ああ、と気づく。
国原は今、国原であって、十六夜ではない。
普段、十六夜でいる事が多くなってきただけに、十六夜の反応が癖として受け継がれてしまったようだ。
冠橋の手にあるのは、フリーパス。
「……あ」
一昨日、担任である陣内に呼ばれた”十六夜”が、午後の時間帯に学園祭を見回る、という仕事を任された際に貰った、おまけのような、メインのような道具だ。
国原でなく、十六夜が貰い受けたアイテム。
フリーパスを受け取ろうとして、国原はふと思いついた。
彼女は人見知りの気がある。
こうして会話をするのも緊張する、小柄な少女だ。
だが、十六夜に対しては遠慮なく怒ったり喧嘩したりが出来る、と認識している。十六夜とはきちんと会話が出来ているのなら、きっと。
「あの、さ。それ……十六夜のなんだ」
「え?」
国原は賭けに出た。
彼女は人見知りである。
しかし十六夜とは普通に喧嘩が出来る。
十六夜の事を嫌っているようだが、遠慮なく物を言い合えるのだから、十六夜を媒介にして色々な場所へ連れていってあげれば、きっと友達も沢山出来るはず。
そう考えたのだ。
「十六夜がさ、落としたのを、見たんで……追いかけようと思ったんだけど、私、十六夜とあまり話した事なくて、ちょっと怖くってさ」
会話した事がないのは当然である。本人なのだから。
「これから、ハロウィン喫茶の教室……被害にあってないか、見なきゃいけないし、良かったら、冠橋さん、届けてやってくれない?」
「え、あ、でも……」
国原は、冠橋の桃色の瞳がきょろきょろと泳ぐのを見た。相当嫌なのだろう、と解釈した国原は、やはり余計なお世話だったかも知れない、と思った。
ならば無理はさせるまいと、ぼそりと続ける。
「嫌だったら、先生に届けるとか、して良いよ」
彼女から離れる時、国原はこれからの振る舞いについて、自分の中にいる十六夜の行動を思い描いていた。
どこかで大声を張り上げてフリーパスを探そう。大袈裟なくらい騒いだところで、そうしているのが十六夜ならば、寧ろ自然に見えるだろう。
フリーパスを渡されたら、喧嘩になるだろうし、嫌いな相手と一緒にいるのは嫌だろうけれど、学園を一緒に見て回ることを提案して、誘ってみよう。
頭の中で計画を立てながら、国原は彼女の人見知りが少しでも良くなる事を、心から祈っていた。
(うまく、いくと良いんだけどなぁ……)
頼むよ、十六夜。
心で呟けば、怒られるの俺かよ!と十六夜が喚いた気がして、少し笑った。
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