害賊2
みどりは親を川の事故で亡くした。
それから家を借金取りに奪われた。
施設に迎えられたが脱走し、一人で生きた。
金も家もない少女は盗むしかなかった。
食べ物は勿論、金も、服も、何でも盗んだ。
みどりはとても足が速い。その足を生かして人ごみに入り込み、何度もスリを繰り返しては今日一日を生き延びていた。
町の中を走り財布を掠め取って逃げていく途中、落ちていた新聞が目に付いて、適当に拾ってまた走った。
路地裏で新聞を見る。スリに気をつけて、だの書いてある。これはみどりの事だろう。それから、須佐の姉殺し事件。犯人逮捕。だが呪いおさまらず? だそうだ。
呪い。
話なら聞いた事はある。
須佐ノ悪。
この世の全てを呪い殺し、この世の全てを奪い壊している、凶悪かつ最悪な化け物だと。古井戸から出て来る事はないが、彼女に関わったが最後、安全な場所など何処にもないとも。
奪う、か。
みどりは目を細めた。
須佐ノ悪のように容赦なく全てを奪えたら。金も食べ物も家も車も服も何もかも、奪い尽くせたら。
盗み、スリ、強奪を繰り返していたみどりは、その頃には既に盗みそのものを楽しむようにさえなっていた。奪う事に魅力を感じるようになっていた。
罪悪感などない。あったら今頃野垂れ死にしている。
いっそ死ねばよかったのだろうか。と盗んだ弁当を頬張りながら考える。腕が痒い。
須佐ノ悪殿は高笑いで奪っていくという。いとも簡単に焼き殺し、息をするように嬲り殺し、最も根本的なものを、命を、奪っていくという。
みどりは痺れていた。
みどりには出来ない芸当だった。
須佐ノ悪殿は凶悪な妖怪だが、元はみどりと同じ人間だったというのも痺れ、憧れる要因だった。
腕が痒い。
みどりは、欲しくなっていた。
須佐ノ悪という存在が、欲しくなっていた。
古井戸から盗んでしまいたい。自分のものにしてみたい。全てを奪い破壊する彼若しくは彼女を自分のものとしたとき、彼若しくは彼女はどんな顔をするだろう。
きっとそこに、自分の居場所は生まれるだろう。
お会いしたい。盗みたい。須佐ノ悪殿を奪って自分のものにして、コレクションのように毎日眺めて笑っていたい。ああ、楽しかろうなあ。
腕が、痒い。
須佐ノ悪殿をいつか、いつか、この手の中に。
腕が。
「……?」
あまりの腕の痒さに、みどりは袖をまくった。
ぐりゅぐりゅと蠢く球体がいくつも生えている。
中心に黒い円が見えて、それが瞳だと分かった瞬間、全身に怖気が走った。
ぐりゅぐりゅと、ぎょろぎょろと、みどりの周りを見ている眼球。須佐ノ悪に執着し、奪う事を熱望し、盗むことを楽しんでいたみどりに生えた、眼球。
「こ、れは?」
両方の腕に目玉がびっしりと生えていた。
みどりは思った。
人ではなくなってしまったのかと。自分は、人をやめてしまったのかと。
頭を掠めたのは、化け物という言葉。
化け物。化け物。人ならざる者。
ああ、それでいいや。みどりは諦めに似た思いで腕に生えた眼球を眺める。一点を見つめている目玉を見て、その視線の先を見て、立ち上がった。
盗みを働いた先の店主だ。
逃げよう、とでも言うかのようにぎょろりと動く眼球。みどりは足早にその場を立ち去った。立ち去るついでにそこらを歩く女の懐から財布を抜き出し、走った。
ああ、それでいいや。化け物でいいや。どうせ人間だろうと化け物だろうと、盗むことには変わりない。
どうせなら須佐ノ悪殿のように簡単に何もかも奪えて壊せるほどの力も欲しかったな、と思う程度には、みどりは人の世の常識から外れているのだった。
墓場を荒らす。化け物は化け物らしく罰当たりな事でもしようと寺の墓地にきた時のことだった。
墓石から音がした。開けて、と声がした。
どの墓からだろう。
開けて、という声が大きくなっていく。
近づいているのだ。
腕に生えた目玉がぎょろりと一つの墓石を見る。ここか。足場を外すと、白骨で構成された女が此方を見上げていた。
「貴方は誰? 須佐ノ悪様?」
こいつもまた、須佐ノ悪殿の魅力に取り付かれているのか。
「……須佐ノ悪殿ではない。貴殿は誰か」
須佐ノ悪殿に会いたいのは自分も一緒。
須佐ノ悪殿を自分のものにしたいのは自分も一緒。
「私は殺子」
そういわれ、ああ偽名かとすぐに分かったが、自分も本名を名乗る気など毛頭なかったので、ついでに妖怪としての名前を考える事にした。
川の事故で死に掛けたこともあったし、瀬で死ぬと書いて死瀬(しにせ)とでも名乗ろうとすぐに決まった。
須佐ノ悪殿の前に、一人の女を墓場から盗み出した。
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