害賊1
さつきという人間の女がいた。
さつきは恋をしていた。
それはとても叶うことのない恋だった。
須佐の狂骨。
須佐で起きた姉殺し事件の後に発生した化け物の名称である。
二十年間猛威を振るい、この世を震撼させ、強者をあっさりと弱者へ叩き落す事になる凶悪な化け物の名前である。
さつきは、須佐の狂骨に恋をしていた。
同性愛者であったさつきなので、須佐ノ悪が元女である事には最高に痺れた。
須佐ノ悪が全てを呪い、全てを許さず、全てを破壊する存在だとしても、その苛烈な強さと強烈な存在感は心揺さぶられるものがあった。
さつきは苛められていた。
存在感のない大人しい子だったので、いじめを受けていた。
まだいじめ等という言葉のない時代だ。上履きをゴミ箱に捨てられ、全員の前で生ごみを頭からかけられ、突き飛ばされ、殴られ、蹴られていた。
全てを呪い、全てを許さず、全てを破壊する狂骨の存在は偉大に思えていた。
だから、さつきは恋をしていた。
一度でいい、お会いしたい。お会いして、慕っている事を伝えたい。ファンである事を伝えたい。
ああ、須佐にいってしまおうかしら。
生ごみが降ってくる毎日にそんな淡い思いを抱いて、一生懸命生きていた。
しかし無駄に終わる。
無駄に終わる。
「死ねよ」
あははは。
心無い同級生からの言葉と共に浮遊感。
窓から突き落とされたさつきは、そのまま地面へ。
ごがしゃ。
と、何かが崩れる音がした。
クラスメイトたちが騒然とする中、突き落とした本人が一番パニックに陥っていた。
簡単に落ちていったさつきが、簡単に死んだのに、突き落とした本人が一番驚いていた。
その同級生は逮捕されたが、さつきにはどうでも良かった。
(須佐ノ悪様のファンですって、言いたかったな)
それだけで頭が一杯だった。
目を覚ますと墓石の下にいた。どうやら火葬されたらしい。
狭苦しい壺の中、腕を突き上げれば低い天井に当たる。
思い切り体を動かして壺から這いずり出た。狭い空間。石で出来た天井が開かない。
須佐ノ悪様に会いたい。須佐ノ悪様にファンですって伝えたい。成仏するのなんてそれからでいい。
さつきは白骨の腕を力強く打ちつけた。がん、がん、と何度も打ちつけ、声をあげる。
「誰か開けて!!」
白骨だというのに声が出るのがおかしかったが、そんな事より須佐ノ悪様だ。ファンだ。ファンなのだ。会いたい。死んでしまった今、自分を縛るものなど何もない。須佐ノ悪様に一目お会いして何が悪い。
「開けて!!」
何ヶ月か喚いた。諦めずに喚いた。喉が痛くなることなどなかったのは白骨だからだった。
もしかしたら痛んでいたのかも知れないが、すぐに治った。白骨だからだった。
「開けて!!」
墓場から声が聞こえる、と噂が立っていたが、さつきには関係なかった。
「開けて!!」
ごとり。
墓石の足場が外される。さつきにとっての天井が。
やっと開いた。さつきが晴れ晴れとした思いで見上げた先には、無数の目玉を腕から生やした女が立っているのだった。
「貴方は誰? 須佐ノ悪様?」
「……須佐ノ悪殿ではない。貴殿は誰か」
誰か、と尋ね返され、さつきは言葉に詰まった。死んでから何ヶ月も墓石をたたき続けて成仏の仕方も忘れた自分。化け物と化した自分。
名前を名乗ろうにも名乗る名前がない。さつきという名前は嫌いだった。人間だった頃の名前なんて名乗りたくはない。
ならば妖怪として生きていこうか。なんて名前がいいのだろう。
殺す鬼と書いてさつきだろうか。
それでは音が生前の名前のままで、とても嫌だ。
なら。
「殺子(せつこ)……私は殺子よ」
ああ、須佐ノ悪様に会いたい。
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