いか盗頃・後
軽助の小遣いは三〜四日で尽きた。
握り飯と茶を買うだけでも金が目減りしていく。
軽助は困り果ててしまった。
家出して一週間もたたずに帰りました、なんて不恰好なことこの上ない。
「……おめえ、親の金くすねてくるとかしなかったのかよ」
空になった財布を見て溜め息をついていた軽助に、狢の哲司が尋ねる。
とんでもない内容だ。
軽助はぎょっとして青年の顔を見る。
至極真面目な顔をしていた。
「くすねるって……」
「親と不仲なんだろ?」
「いや、不仲って程不仲じゃ……父上とたまに喧嘩するくらいで」
「そん時に、こう、金盗んでやってざまあ見ろとか、やんねえのかよ」
やらねえよ。
ひきつった表情で哲司を見る。彼は親とそういう関係なのだろう。
彼の行動を軽助が否定することは出来ない。家出中の身を世話してもらっているのだから。
「んじゃあ、どうすんだよ。おめえもう何も食えねえじゃん」
「……うー」
その日の夜の事だ。
村のゴミ捨て場に、野生の狸が現れたのは。
獣の姿でがさがさとごみを漁り、食べられそうなものがあったら食らっていく。
獣がごみを漁っていくのは何も珍しい光景ではないようで、村人は、また狸だ、と追い払う事もなく放っておいた。
りんごの芯、ネズミ捕りに掛かって駆除された鼠、何でも食べた。
獣の姿で地を駆け回り、雀や四十雀を捕まえて食らったこともあった。
「中々筋がいいじゃねえか、軽助! 次は化け学の方でも頑張ってみな!」
「騙すのはいけねえって母上が」
「馬ぁ鹿、いつまで親の言いつけ守ってんだよ。おめえは化け狸だろうが!」
人の姿を借りてバイクを乗り回している哲司がからからと笑う。
軽助は耳、尻尾、足だけはどうしても獣の形が残る変化で人間を象ると、ううん、と声をあげた。
このまま家には戻りたくない。どうせ父親とまた喧嘩する。
だからといって食材を生のまま食うのも飽きた。生でなければ適当に火を通しただけで、他の味付けも食べてみたくなっていた。
だが金はない。
腹が減る。
金はない。
腹が減る。
哲司の言葉もあったが、出来心でもあった。
石ころと木の葉で騙した後は、姿を終われないよう獣の姿に戻って一目散に草むらへ駆け込む。そうして得た食糧をがつがつと平らげ、軽助はその場を後にした。
たた、と獣のまま何十メートルか駆けた後、後ろを振り向き、誰かが追いかけて来てはいないか目を凝らし、再び走り去る。
暫くして、やられた! と店から声が上がった。
山のふもとにある村だか町だかでは、狸に化かされるのが日常茶飯事となりつつあった。
町の人間も狸が憎いという風ではなく、とうとううちの店にもきたか! と笑いながら石ころを摘まんでいたので、どうやら腹をすかせた狸が飯をねだりに来ているものと薄々分かっていたらしい。
それが家出から二週目のことだった。
町に暴徒が出たのが三週目の頃。
他所の町からやってきた暴走族が我が物顔で店や民家の前を爆音で通り抜けるものだから、客足は少なくなり、住人たちは怖がって外に出なくなっていた。
暴走チーム・狢は人間の暴走集団に喧嘩を売る事にした。
狢たちは何も、この地が憎くて排気ガスを撒き散らしているのではない。
大好きな地元で、大好きなバイクに乗り、大好きな峠を攻めるのが大好きな不良どもなのだ。
他所に来て爆音と毒ガスを撒き散らし、下品に笑う人間風情とは違うのだ。
夜中、彼らは道を占拠する暴走族を取り囲んだ。
ゆらゆらと揺らめく怪しい炎をいぶかしむ人間たち。狐火とも取れるそれは、軽助がともす狸の火。
出て行け、と誰かが言った。
出て行け、と誰かが続けた。
首のない武者が馬に乗って現れる。頭から下は腕ばかりが無数に生えて体も足もない怪物がそれに続く。髪の毛をずるずると引き摺って歩く女が後ろからやってきて、少しずつ消えていく。
出て行け、と誰かが言った。
出て行け、と誰かが続けた。
恐怖を覚えた半分がバイクで町から出て行き、もう半分は気を失い倒れこむ。
けたけた。
笑い声。
気を失い白目をむいた憎たらしい人間の懐から財布を抜き出し、中身をそっくり頂いた、初めての金品搾取がこの頃だったように思う。
けたけた。
笑い声。
地元を助けた化け物たちは、朝を迎えれば相変わらずの暴走で峠を攻めるのであった。
よそ者の荷物を盗み、使えそうなものは拝借するようになった頃。
化かし、騙し、盗みにも慣れた頃。
軽助は、人としてどうだかは知らないが、妖怪としては確かに一皮向けていた。
りっぱな化け狸として覚醒だか堕落だかしていた。
盗むのはよそ者の持ち物に限る、と自分で決めたルールを守り、狩りをする。よそ者、というだけあって、軽助はバスになど乗らず、この町で化かしを続けていた。
不良集団・狢に太刀打ちできるのは化け狸の軽助に他ならない、とまで妖怪たちに噂されるほどになった悪がきは、バス停で居眠りしている金髪の女に目をつけた。
この町にだって髪を染めている者はいるが、金髪などいまどきそうそう見かけない。
熟睡している様子の女は鞄のジッパーが開きっぱなしである。
そっと手を伸ばした。
「見つけたぞ、軽助」
がしり、と掴まれた腕。
「え、あ!?」
目を白黒させる軽助の目に映るのは、桃色の瞳をした誰か。
変化を解いたそれは、一平屋家の長男で。
「スリか、置き引きか……とりあえず、現行犯逮捕! お前いつもこんなことして生活してたのか!」
「い、いや、あの、これには訳が御座いやして兄上!」
「言い訳は家でたっぷり聞いてやる! いい加減に帰ってきなさい! 母さんも心配し始めてるから!」
町での噂を聞きつけて山を降りてきた長男によって、家に連れ戻された。
四週目のことだった。
帰ってから長男と父にこっぴどく叱られ、三男と母にもふもふと慰められた、一ヶ月の家出旅行だった。
不良集団の暴走行為が危険な域にまで達していたので、母が鉄槌を下したのも、その頃だった。
「そんなことがあったの、覚えてるだろ?」
にこやかに、長男である高際が言う。
隣には茶を飲みつつ煎餅を齧る軽助の姿。
「忘れてやせんよ。あっしは、あれで妖狸としての自覚持ったんすから」
「何が自覚だよ、悪童が悪党になって帰ってきただけじゃないか」
「座布団一枚!」
「嬉しくない」
盗みの件に関しては母からもきつく叱られたっけな、と思い出し、軽助はもう一枚と煎餅に手を伸ばす。
「これは俺の」
兄に取られた。
「あ、盗人!」
文句をつければ
「お前だ盗人は」
頭をはたかれた。
高際の手には、携帯電話。
高際のものなのだが、何故か軽助の部屋で見つかった。
何故か。
その説教の後なのだ。
「三年前に家出したときとあんまり変わってないんだよなあ、お前は」
「妖怪の三年なんてそうそう変わるもんんじゃありやせんや」
「そうだけど……」
反省しなさいよ。
目で語る兄。顔を背ける妹。
「お前が盗まなくなるまで何度だって説教するからな」
「うへぇー」
嫌そうに顔をゆがめる妹に、そんな顔したって駄目、と忠告する兄は、年々上達していく軽助の盗みスキルに溜め息を漏らした。
三年前の家出と、三年後の盗み。
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