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狸嫁:5
「軽ちゃんが生まれたときはねぇ、普通だったんだけどねぇ、中ちゃんはねぇ、生まれたときからおっきくて! それで、中ちゃんは逆子だったから、中ちゃんは、大変な気持ちで生まれてきたの」
 下着姿で、白無垢に袖は通さず、自分が生んだ子供の話を延々としている狸がいた。
 見た目だけならば軽助の兄弟と呼んでも良さそうなその狸は、幼い口調だが、慈しむような表情で自身の腹をさすっていた。
 妊娠してから生むまでの事を、思い起こしているらしい。
「中ちゃん、最初は泣かなかったの。軽ちゃんは、いっぱい泣いたから安心だったけど、中ちゃんはあんまり泣かないの。だから、産婆さんがね、中ちゃんの口からね、羊水を吐き出させたの」
「はい」
「そしたら、みーって、泣いたの! 可愛かったんだよ! 軽ちゃんがねえ、中ちゃんをねえ、なぜたの!」
「左様ですか」
 抱っこしたら重たくって嬉しかったよ、と語りかける相手は、白三だ。
 落ち着いた様子で重丸の話を聞いている白狐は、一平屋家の母が語る思い出話に微笑んだ。
 時機にその思い出さえ無意味となるのだといわんばかりの笑みだったが、重丸は諦めない。
 今の、幸せな我が家に帰るのだ。
「それでねえ、軽ちゃんとねえ、中ちゃんはねえ」
 夫と子供の元へ、戻るのだ。


 五十年前、センタクババの親戚である重丸が妹と共に奉公に出されたのは、真っ白な狐の一族が暮らす広い屋敷だった。
 その頃はまだ大吉と結ばれておらず、しかし熱烈なアプローチは受けている頃で、妹からはあんな野蛮そうな大男やめておけ、ときつく言われていた。
『おぉ! 重丸殿! 狐と狸の友好を深めんがため、どうです、我とお付き合いなど!』
 その頃から血気盛んであった白三が花束を重丸に手渡して誘う。
 すると
『なぁにをこの狐がぁ! 重丸ちゃんはなぁ! 俺のが似合いだってんだよ! 似合い!』
 何処からともなく大爆走してやってくる大吉が白三の誘いを断ち切るかのように屋敷へ転がり込んできて、何を狸めが、やるかこら、と大喧嘩を始めるのだった。
 いつものことだ。
 重丸は受け取った花束を大きな花瓶に生けて廊下に飾り付ける。そうして、二人が喧嘩で汚していった部分を綺麗にふき取り、屋敷の住人の食事を作るため台所へ向かうのである。
『姉さん、慣れてるわねー』
 自分より幾分も大人に見える妹に言われ、重丸はえへんと胸を張った。
『お姉ちゃんだもの!』
『関係あるのそれ?』
 今日のお食事は、キジ鍋にしようね、と鍋をかまどの上に置き、火をつける。
 五十年前には便利な事に油とマッチが普及していた。薪に火をつけて、白黒のブラウン管を覗き込んで歓声を上げている狐たちを思い起こしながら、美味しくつくろうねー、と妹に言っていた。
『重丸さん』
 そんな二人に掛かる少年の声。
 包丁を持った重丸の背中に突進しようとしていた少年を、重丸の妹が慌てて制して抱きとめる。
 少年狐の目には涙が浮かんでおり、頬には叩かれた跡が痛々しく残っていた。
『どうしたんですか、白三坊ちゃん!』
 白いさらさらの髪もぼさぼさになっている。服は擦り切れ、よく見れば足や腕にも擦過傷が目立つ。
 重丸が包丁を置き、背丈もそんなに変わらない白三坊ちゃんと目を合わせた。
『重丸さん……私は、私は、出来損ないなのでしょうか』
 白三(はくぞう)の名を持つ狐は何匹かいるが、この白三少年は中でも飛び切り妖力が弱く、化かす事がうまくないのであった。
 両親はそんな白三を厳しく育てた。厳しくしたところで妖力が戻るわけではないのだが、それでも、自分の身を守れるくらいの術はと。
 次第にそれはエスカレートしていき、殴る、暴言を吐く、といった愛情の欠片も感じられない段階にまでいってしまったのだけれど。
『白三ちゃんは、いい子だよ』
 重丸は救急箱を取ってくると、絆創膏や湿布を少年の体に貼り付けながら、よしよし、と頭を撫でた。
 屋敷には少年の味方なんて一人もいない。
 血気盛んなほうの白三は遠い親戚筋のやる事に口を出すつもりはない部類の男であったため、敵ではないが味方でもなく、白狐の少年は赤の他人である二匹の狸に助けを求めるしか出来ないのだった。
 いつも、いつも、そうだった。
 孤独な少年の心を癒すのは、いつだって狸の姉妹だった。
『白三ちゃんは、良い子』
『そうですよ、坊ちゃん。私たち、坊ちゃんが大好きですから』
 笑ってそういう二人に、狐の少年はどれだけ救われたことだろう。
『小僧! 重丸ちゃんは俺の嫁さんになるんだぜ!』
 何処からともなく大吉が現れて胸を張る。
『嫌です! 僕が重丸さんと深守(みもり)さんをお嫁さんにするのです!』
『あらあら、坊ちゃんは欲張りですね』
 大柄な、妹曰く野蛮人っぽい大吉と、まだ少年であった白三がにらみ合い、それを見て二人が笑う。
 幸せな一時だったように思う。
 白三少年の心のよりどころとなっていた二匹がいなくなったのは、いつからだったか。

 狐の一族は解体された。

 ばらばらになってしまった。
 家督を争った末の、解体だった。
 それと同時だったようだ。重丸たちが奉公する先を変えたのは。
 いや、変えざるを得なかった、というのが正しいだろう。
 血気盛んな白三は自身の派閥を作り、そこの頭領に収まった。他の狐たちも小さな勢力となって各地に分散したと聞く。
 しかし白三少年だけは、一人だった。
 重丸が風の噂で聞いたことだが、白三少年は両親に引き取られる事なく、放浪する身となったのだという。
 誰も頼れないまま、誰も信じられないまま、重丸と妹だけを心の支えにして、半世紀。

「重丸殿……深守(みもり)殿はお元気で御座いましょうか」
 話している重丸を中断させて、白三はそう問いかけた。
「うん、元気。今は美容師さんをやってるよ」
「左様ですか」
「白三ちゃんは、こんなに大きくなったけど、今は何をしてるの?」
 重丸の問い。
 白三は、何処か遠くを見るかのような目で、答える。
「薬師で御座います」
 重丸は白三の寂しそうな声と顔つきに、抱き締めてやりたくなった。
 しかし、それをしてはいけない事もよく分かっていた。
 白三は狐の事を信用していない。
 だからこそ、狐を信じ、狐と結ばれなければならない。重丸を逃げ場にする事は構わないが、永遠に逃げ込む先にしてはいけないのだ。
 それでは
(白三ちゃんが、成長しなくなっちゃう)
 
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