狸嫁:3
よく煮込まれた蟹を豪快にばりばり音を立てて食し、漬物をむさぼるように食べてから、彼は言った。
「そうか、母ちゃんが」
やや大きい声でそう言うので怒っているようにも聞こえるが、父の声の大きさはもともとである。
白米を乱暴にかきこみ、大ぶりの焼き魚をがつがつとかじっていく。
「中慈! お前も食え! 母ちゃん取り返すのに体力ついてかなかったら困るだろ!」
「…………いただきます……」
「ところで、母ちゃんつれてったのは誰なんだ? 候補が多すぎて父ちゃん見当が付かねえよ! なんせ母ちゃんもてるからな! がっはっは!」
「……分からない…………今、探してる……」
沢蟹をむしゃり、と噛み砕く中慈。口の中で蟹のみそと肉の味が広がり、味噌汁とよくあっておいしいと感じた。
母を取り戻す方法を考える。
犯人は誰だ。父は候補が沢山いすぎて分からないと言っているが、紙についた匂いは狐のものだった。
狐。化かしあい合戦になるだろうか。なんとか殴り合いにならないよう抑えられるだろうか。
「中慈ぃ! 考え事しながら食うと消化に悪いぞ!」
「……候補の中に…………狐は……?」
「狐? おお、二匹いるぞ! 白三(はくぞう)と白三(はくぞう)だなあ」
何だその同名は。
「片方の白三は何処に住んでいるかも分からん流浪の民でなあ、もう一方の白三はどっかの屋敷に住んでんだ! どっちも、母ちゃんを取り合ったライバルだ! がっはっは!」
俺が勝ったんだぞ! おうどうだ、すげえだろ!
焼きナスに箸を刺しながら笑う父に、中慈は醤油を手渡しながらうっすらと考えた。
白三違いを起こしたら面倒そうだな、と。
「はぁ……重丸殿……はぁっ」
荒い息遣いで口付けを何度も交わし、白三は重丸の服を放り投げていった。
ピンク色の毛糸の靴下。
もこもこした赤いスカート。
ピンク色のニットセーター。
下着姿になった重丸は、体を押さえつけられているので身動きが取れない。
「白三ちゃんは、えっち!」
ぷりぷり怒りながら足で白三をぺちぺち蹴るが、白狐は目を細めて笑うだけだった。
「重丸殿……明日の夜……式を挙げまするぞ」
ぱちりと指を鳴らす。
召使たちがぞろぞろと部屋に入ってきて、幾枚かの着物を置いていく。
赤と白。めでたい色合いのそれと、被り物を目にした時、重丸は目をぱちくりさせ、そして呟いていた。
「これは、えまが着るものじゃ、ないよ?」
白無垢。
そして、角隠し。
狐が言う。
「お着替えくださいませ」
重丸が首を振る。
「だーめ。えまの服じゃない」
白く輝く毛並みの狐は、眉尻を下げた。
そして溜め息を一つつき、重丸の瞳を覗き込む。
「……貴女様のご家族を部下に見張らせております」
その一言で。
重丸の瞳に怒りが宿ったような気がした。
「……ずるっ子だ」
「どのような手を使ってでも、我は貴女様を手に入れたいのですよ」
明日の夜。
期限は、迫る。
哲司のバイクの後ろに跨っていた軽助は、目的地に辿り着くとヘルメットを脱ぎ捨てて一目散に走り出した。
目当ての匂いを探す。嗅いでいるだけで腹が減ってきそうな匂いを。
酒と、饅頭。
僅かに漂ってきた香りに向かって突き進んでいく。
林を抜け、校舎の裏を通り、森を通り過ぎる。
軽助は気付かない。
狐が一匹、走る軽助の頭上を飛んでいくのを。
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