あの女は潔癖すぎて汚れたのです
蔵元菖蒲は、異端を嫌った。自分は健常者で普通で安定した人間であると信じてやまない蔵元菖蒲は、とにかく異端を嫌った。
普通の人間が溢れる世の中で、普通じゃない人間は排斥されてしかるべきだと考えている人間だった。不安定で異常な存在は人間ですらないと結論付ける女だった。
彼女は同じ大学に通っていた男に恋をした。自分に自信がないような、いつでも謙遜して困ったように笑う男性に好意を抱いた。
博識で価値観の違いにも寛容な彼に尊敬の念を抱いた。彼も、段々とその好意に答えるようになっていった。
蔵元菖蒲の年の離れた妹は、日ごとに振る舞いを変える変人で、口調も好みも自分を見る目つきさえも毎日のように変わる奇人で、蔵元菖蒲はその異質ぶりを彼に語った。強く語った。
妹を嫌悪していると。妹は異常すぎると。普通に出来ない異質な存在だと、強く、罵詈雑言と共に語った。
彼は聞く。異質は嫌いかと。
菖蒲は頷く。それが普通だと。
やがて菖蒲の年の離れた妹は、何処か別の家庭へ貰われていった。家庭に平穏が来た事を、菖蒲は心から喜んだ。
そして、彼と付き合って三年後、彼と菖蒲は結婚した。赤ん坊も生まれた。彼によく似た女の子だった。
娘も異質だと気づいたのは、その子が四つの頃だった。
何度普通にするよう言っても、娘は時々、自分の事を俺というのだった。
何故、俺というのか尋ねても、娘は、分からないけど俺って言いたいの、と強情を張るだけで、菖蒲のいう事を聞きたがらなかった。
娘が異常だと気づいたのは、その子が五つの時だった。
窓を開けた瞬間に大きな虫が飛び込んできた時の事。娘が驚き、そして、体から熱を伴った光を放ち、虫を追い払い、菖蒲は。
菖蒲は。
「化け物!!」
電話の呼び出し音が鳴る。
「もしもし?」
受話器を取った男性にかけられた声は、菖蒲のものだった。
『もしもし、蔵元です。お久しぶり』
「ああ、お久しぶり。どうしたの?」
『ええ。今度、私が働く技術開発研究所で異質な能力について調査する事になったの。あなた、異質でしょう?調査の協力をして貰えたらと思って』
元夫に向かって無神経かつ失敬な台詞を放つ菖蒲は気づいているのだろうか。
「何度も言っているけど、私はそういう扱いされるの嫌いだから」
『そう?残念だわ。あなたの家族にも相談して欲しかったんだけど』
異質なものを軽蔑している事で、自分自身も異質になり始めている事に。
「それも嫌。お願いだから、娘にそんな電話しないでね」
『娘?』
既に、普通の状態ではない事に。
気づいているのだろうか。
『私、あなたとの間に子供なんて産んだかしら?』
「……え?」
『これから会議なの。もう失礼するわ。じゃあね』
切られた電話に、夫であり、父である彼は、しばし呆然としていた。
このやり取りを娘に伝えるつもりはない。勿論、息子の方にも教える気はない。
あの子達は母親を嫌っているから。
だから教えるつもりはないが。
もし。
菖蒲の中で、自分がいなかった事になっていたと知ったら、あの子達は一体、どうするのだろう。
「産んだじゃない……可愛い、二人を」
父は、学園で生活する一人を思い、自分のお下がりを着て学校へ通う事を喜んでいた二人を思い、受話器を弱くたたきつけた。
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