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- ナノ -
〜2〜

 今から三十年ほど前の事。
 槌田酒菜(つちださかな)は大学に通っていた。
 大学では友人もでき、彼女は特別ではないが楽しい日々を送っていた。
 そんなある日。
 友人の一人から、自分のパソコンにメールが送られてきた。
『なあ、今日の夜中にさ、釘の森ってあるだろ? そこに肝試しに行くんだけど、槌田も来ない?』
 若気の至りというか、何というか。
 溜め息を漏らし、酒菜はその文面をにらみつけた。
 何て馬鹿げた事を思いつくのだろう。
 丑の刻参りに使われていた森は、木の幹に五寸釘が突き立っている不気味な森と化している。
 あまりの釘の多さについたあだ名が釘の森。
 そんな所へ肝試しに行くなんて。
 森が纏う薄暗い雰囲気は人を寄せ付けないそれなのに、無視して踏み入ろうだなんて無礼ではないか。
『他人様の家に土足で上がりこむような真似はやめなさい。私は行きません』
 そう送ったが、その十分後には懲りない文面が返って来ていた。
『そう言うなって! 霊感ある奴一人もいないし、危なくなったらすぐ帰るから! 今のところ女の子一人だけだし、槌田が来てくれたら助かるんだ』
 そのやり取りは何回も続いた。
 酒菜が了承するまで、しつこく、しつこく。
 結果、酒菜は根負けし、モニターを見続けていた疲労もあいまって目頭を強く抑える嵌めになるのだった。
「森を怒らせないよう、前準備をしないといけませんね……」
 頭痛を感じながらも酒菜は鞄に荷物を詰め込み始める。
 念のために数珠と塩、しょっちゅう読んでいるジンクスやまじないを纏めた本、聖水など持っていないので代用としてアルコール飲料。
 森に入るつもりはないが、万が一入る事になってしまった場合に備えて、スーツに着替えた。礼儀は大切だ。

 友人には笑われたが。

 さて、はしゃぎにはしゃいで森を蹂躙する友人たち三人に入り口で待つと告げた鮭菜だが、一時間ほど待っても友人は誰一人戻ってこなかった。
 それ程大きな森ではないのだが、隅々まで回っていれば一時間もたつのだろうと思い直し、再び待機する。
 更に一時間が経過した。
 戻ってこなかった。
「……これは、流石におかしいですよね」
 落ち着いた口調で、しかし最悪の事態を予想した酒菜が呟く。
 酒菜が持ち込んだアルコール飲料……缶ビールを見て我も我もと酒を飲み始めた友人たちはきっと、いつもなら働く危機意識が麻痺しているのだろう。
 行ってはいけない部分に足を踏み入れたのではなかろうか。
 鞄をあけ、数珠を右の手首に嵌める。瞬間、はじけ飛ぶ。
 塩をまいて邪気が払えるかと取り出した瞬間、それも爆ぜた。
 小さな白い粒に塗れた酒菜はスーツを叩き、払い落とす。本を取り出しても何も怒らなかったのは、書物が森や森に住む何者かに逆らう意思の無い代物だとすぐに判別されたからだろう。
 反抗的だと受け取られたアイテム二つが爆ぜた今、本を抱き締めるようにして森の入り口に立つほかなかった。
 酒菜は失礼のないようにと口を開く。

「夜分遅くに領域を侵す無粋な真似、申し訳御座いません。私は森に逆らう意志など毛頭御座いません事を先に述べておきます。不快なようでありましたら直ぐに立ち去ります、どうか異物の進入をお許しください」

 森に敬意を払い、森に潜む何者かに礼儀を尽くし、自分を貶めて頭を下げる。
 礼を終えた酒菜が森に足を踏み入れた瞬間、強く強く、誰かに呼ばれたような気がした。
 ある一定の場所へ向かって強烈に呼び込まれる感覚が体を覆う。
 酒菜は感じた。何者かが確かにいる事を。
 呼ばれている。
 森全体が呼ばれた方向へ行くようにと酒菜を見下ろしている気がする。
 酒菜は指示の通り、歩き出した。
 友人たちの非礼を詫びるつもりだった。

 が、友人たちは転がっていた。
 大きな釘に貫かれて。
 死体になっていた。
 逃げようとしたのだろう、女友達は足元に躓き転んだ。その証拠に靴が片方脱げていた。ミニスカートは捲れ上がり、みっともなくおパンツが見えている。
 そんな恥ずかしい格好で釘がめった刺しになっている彼女を見て、死を嘆くべきかあんまりなポーズに頭を抱えるか迷った結果、棒立ちしかなかった。
「正装か。中々宜しい」
 女性の声が聞こえる。
 足元の亡骸に気をとられていた酒菜が顔を上げると、目の前に声の主がいた。
 ウェーブがかかった銀色の長髪。
 唇と瞼に走る青い化粧。
 身長は二メートル弱だろうか、かなりの長身だ。
 酒菜は百七十センチはあったが、女の方が頭一つ高かった。
「それに入り口での口上も中々良かったぞ。礼儀を弁えているようだ」
 満足そうに笑みを浮かべ、長身の女は言う。
 酒菜が何も言わず頭を下げたのに更に機嫌を良くしたのか、足元に転がる死体を蹴ってどけた女が続けた。
「お前は賢いな。森へ入る事をよしとせなんだ」
「……まぁ、人の家に土足で踏み入るのも、失礼なんで」
「そうとも。よく分かっておるではないか。賢い子よ」
 最大限の礼儀を尽くして森に踏み入った酒菜に女……後に判明したが、魔女が笑って頷いた。
 酒菜に近づき、彼女の顎を掴んだ魔女が告げる。
「貴様、少しは考える事が出来るようよの?」
 森の意思を尊重し、機嫌を損ねないよう自分を卑しめ、こうして素直な態度を表すことで敵意は無いと意思表示をしている。
 無礼で愚かな人間の後にやってきた、多少は賢い小娘を見て、魔女は愉悦に浸っていた。
 こうも従順に振舞う人間ばかりならば良いのに。
「……はぁ、まぁ、死にたくないんで」
 抵抗もせずそう答える酒菜を、魔女は面白がった。
「そうか。そうよな。足元の愚かな死体共と同じ末路は嫌よの、っくくく」
 喉の奥で笑い声を上げる魔女に、酒菜は人間の小娘が太刀打ちできるような相手ではないと諦めていた。
 あっけなく死んだ友人に胸が痛む。

「こやつらの死を悼むか」

 酒菜を見下ろし、長身の魔女が問う。
 酒菜は力なく頷いた。自分がもう少し厳しく断っていたのなら、彼らも興ざめなり何なりして肝試しをやめたかも知れないと。
 死に介入する事など今更できないと分かっていても、口惜しかった。
「ならば、こやつらの死を無かった事にしてやろうか?」
 魔女が言葉を紡ぐ。
 心を揺さぶる恐ろしい誘いだった。
「……出来るんですか?」
 呆気に取られる酒菜を見ておかしくなったのか、声をあげて魔女が笑う。出来るとも。そう答えた魔女はしかし、やはりというか、交換条件を挙げた。
「わらわは姉に呪われておる。魔の者と交配出来ぬ体となったのよ。……しかし、わらわも子が欲しい。子を産みたい」
 消え入りそうな声で自分の腹を撫でる魔女が、酒菜を見る。
「私は女なんですが」
「わらわの魔力があらば性別などは関係無い」
「……そうなんですか」
 友人の命を助ける代わりに子種を寄越せと、そう言うのだ。

「貴様、わらわの夫となれ」

 高圧的な笑みを浮かべる魔女に、酒菜が呟く。
「断る予知は無いと見ましたが」
 魔女は口の端から覗く牙を光らせ、楽しそうに答えた。
「無論、無い」
 槌田酒菜が、釘酒菜となった瞬間。
 酒菜が人としての生を手放した瞬間だった。

 最初はただの子種と飼い主のような関係だった二人が十年ほど共に過ごし、いつの間にか熱愛夫婦に昇格する事になるとは、誰が予想しただろう。
 
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