〜2〜
「お足元、お気をつけ下さい」
「うん」
本当の妊婦のように体を支え、段差に気をつけながら歩く。学園の敷地に入った瞬間、主人が嬉しそうに笑ったのを見て、スパイダーも微笑んだ。
恐らく、主人の腹ではマザーの卵が胎動を始めているだろう。壊す対象を見つけた卵は宿主の生気を餌に、孵化する準備を着々と始める。時空を歪ませ、世界を崩壊させ、崩壊した世界に取り付き、世界そのものとして誕生する。それが、マザーたる所以。
清水にその話を聞かされたとき、卵を叩き割っていればよかったかな、と思った事も何度かあった。清水の世界は既にマザーそのものとして生まれ変わっている。崩壊した故郷を乗っ取られた清水の孤独たるや壮絶なものだったろうと思う。
だからこそ、そんな物の宿主にしないようにと、叩き壊していればよかったな、と思うのだ。清水に死んで欲しいわけじゃない。
「ねえ、聞いてる?」
すぱんっ。と音を立てて頬を打たれた。
「申し訳御座いません」
「下僕の分際で僕の話を聞かないなんて、いい度胸だよね」
頭を掴まれて、壁に打ち付けられた。少々、眩暈がする。
「この学園の中心は何処かって聞いてるんだよ?」
「では、中庭など如何で御座いましょう?」
うん、じゃあ其処で。主人が軽い調子で返して来る。恐らくこの人は、世界を一つ滅ぼすためなら、自分がズタボロになっても構わないのだろう。だって今まで散々、他者をスタボロにしてきた人なのだから。
ふと、昇降口から見知った顔が出て来る。
「蜘蛛様!」
驚きの声で迎えられた。彼女はメタルだ。黄色い四角形、中央にびっくりマーク。その標識を被った特攻服。うん、メタルだ。
「閣下……」
声が少々曇ったのは、恐らく主人を恐れているからだろう。主人の腹部に目をやり、息を呑んだのがわかる。引いたな、これは、確実に。
ご主人様だって覚悟の上なんだから、引かないで欲しかったな、とか、スパイダーはそんなことを呑気に考えた。
「こ、今回は、どのような御用で……」
「あぁ、お前か。お前はもう要らないよ。一緒に死んでね」
「なっ」
あぁ、そうだ、この子は私に忠誠を誓ってくれていた。だからこそ、私は教えなかった。マザーの卵が世界を食らうものだという事を。
自分が言ってしまえば、この子は私への忠誠心で受け入れてしまうだろうから。
少なからず反発を覚えているだろう主人の口から言い出してもらわなければ、この子は自分たちを見捨てて逃げようなんて思わないだろうから。
スパイダーはメタルを無視した。無視して、主人を中庭へ案内した。
逃げなさいといえば、メタルは自分を見捨てず一緒に死ぬことを選ぶ。一緒に死になさいと言えば、メタルは本望ですといわんばかりに従う。どちらも口にしてはならない。無視するしかなかった。
「蜘蛛様」
メタルの声。
足は止めない。
主人を支えながら進んでいく。
「蜘蛛様は、閣下と共に行かれるのですね」
メタルの声。
震えている。
足は止めない。
「蜘蛛様、あなたは、最後まで蜘蛛様でした」
メタルの声。
力が篭っている。
足は止めない。
足は、止めない。
「……あの野郎……何しにきやがった」
唸るような声に目だけを動かせば、上の階に、ちらりと骸骨の姿が見えた。
憎しみが篭った視線が降ってくるのに気付いていたけれど、気付かないふりをして中庭へ進んだ。
足は止めない。
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