「あ」
そろそろお昼でも食べに行こうかと考えていると雲雀くんに抱かれていた猫が不意に彼の手から抜け出した。
「待って」
それを追いかけて走っていく雲雀くん。
その様子はなんだか無邪気で愛らしく、思わず笑みを溢した。
―――しかし
「…雲雀くん、」
猫を追いかけるのに夢中になっていたのか、雲雀くんが向かっていたは青信号の点滅する横断歩道。
嫌な予感がして声をかけたが、気づかない雲雀くんは先へ進んでしまい、
「雲雀くん!!」
慌てて彼を追ったけど、もう遅かった。
彼が踏み込んでしまったのは、赤に変わった信号機の前。
「ひば―――」
次の瞬間、トラックが雲雀くんを跳ねた。
いや…正確には、彼にぶつかったトラックは、彼を巻き込み、聞いたことのない音を立てながら数十m引き擦った。
血飛沫が辺りに飛び散り、何気なかった世界が真っ赤に変わる。
突然の事に理解できずただ立ち尽くしていると、トラックの前に弾き出された雲雀くん。
その姿は、最早元の容貌を失っていた。
白い肌とシャツは血で真っ赤に染まり
身体の一部はあらぬ方向を向き
その表情は虚ろで人形の様だった。
"それ"が雲雀くんだなんて、信じたくなかった。
「ヒバ、リ、く…」
さっきまで、さっきまで雲雀くんはここに居た!
僕の前でいつもの笑みを見せていたのに!
幾度となく地獄の様な場所を生き、その惨状を見てきた僕でも、今の状況ほど酷いものを見たことはない。
目の前で大好きな人がこんな死に方をするなんて、これ以上の地獄があってるものか。
「ぅ、く…っ」
鼻腔をくすぐる雲雀くんの香りと8月の日差しに照らされる血の色。
まるで幻覚のように、全ての感覚を奪われたかの様な錯覚がして思わず噎せ返った。
辺りは悲鳴や動揺でパニック状態だったが、僕にはもう何も聞こえなかった。
嘘だ嘘だ嘘だ、
こんなの嘘に決まってる
『嘘じゃないですよ』
不意にハッキリとした声が聞こえた。
よく聞き慣れた、自分の声。
ハッと事故の向こう側に視線を向けた。
血飛沫で濡れた信号機の横。
そこに立っていたのは淡い髪の色をした、僕だった。
僕の姿をした、【陽炎】
『これは、嘘でも幻覚でもない"現実"』
そう言いながら陽炎はにこやかに手を振ってきた。
その瞬間、皮肉にも信号は青に変わる。
夏らしい澄みきった水色の空と脳に直接響くような蝉の鳴き声に全てが眩んだ。
***
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