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幽霊城より新着メッセージが1件あります
丈夫で良かった。
違うのかもしれない。「運が良い」が正しいのかもしれない。
未だ杉浦も菅野も罹患しない。部下のほとんども無事だ。新型コロナという単語はもう聞き飽きた。ワクチン接種率?安全性?変異種?重症化予測?
「聞き飽きたんですよねー」
杉浦の心を読んだかのように菅野が鳴いた。囀るように。
出会ってからそろそろ20年になるだろうか。忘れた。長い間一緒にいて、肌のつやも変わらない。「一周回って不気味」と部下の数名が言い出す始末の若々しさ。菅野の変わらなさに驚くのも、杉浦は飽きた。
菅野が小型の冷蔵庫から2本の缶ビールを出しながらニヤニヤと笑う。
「丈夫で良かったですよね僕たち。っていうか気を付けてますしね!!」
一本を受け取りながら杉浦も頷く。そうだ、自分たちは気を付けていたのだ。
新型コロナよりも前からHIVにも。人の目も。すべてに気を遣い、怪しまれぬよう細心の注意を払ってきた。今更COVID−19如きに負ける訳にはいかない。
上からリモートワークを推進されるようになった時、菅野はこうLINEしてきた。
「いい物件見つけました!八橋で防音完備、1DK12畳って十分でしょ!破格の4万です!山王まで徒歩10分!」
なんのことかすぐにはわからなかったから返信せずに売り場に戻った。
だがぼんやりと白物家電を眺めて菅野の真意が急に理解できた。
『リモート用に二人のお城を作りましょうね!』
エクスクラメンーションが多すぎる。老眼に悩むふりをして眉間を抑えた。
そして、少し笑ってしまった。
そんなことがあったのももう2年前。
破格の4万円という家賃の正体はもちろん曰く付き物件だったからだが、残念ながら杉浦が鈍感すぎるのか、菅野のあからさまに意味の分からないものを寄せ付けない元気良さの所為か、それらしき現象に出会ったことはない。
いい加減男性同士で利用できるホテル探しにも限界が来ていた所だったし、杉浦自身も自宅でギターを弾く回数が減っていた頃でもあった。
菅野はご機嫌で
「リモートの為の手当も出ましたもん僕。前から書斎が欲しいって言ってた甲斐があります、これで夜遅くに帰ってマユに怒られるなんて事もなくなりますしWIN-WINでご機嫌菅野夫妻ですよ」
と伝えてきた。こうなると菅野を止められるのは菅野しかいないが、菅野は当然前進しかしない。杉浦にはこの波に乗るしか道は残されていなかった。
「僕は補助出ますけど、杉浦さんは?」
「カンちゃんの半額出るらしいよ」
年齢に差はあるが菅野が上司である。菅野が3万、杉浦が1万でも問題無いとして1週間以内に物件を契約した。
杉浦も妻であるミユキに相談と言う名の報告をしたが、あっさりと
「菅野さんに迷惑かけないでねぇ」
とだけ。
これが、築き上げた信頼だ。偽の信頼だ。わかっている。どう言い訳しても浮気する為の虚偽。うるさい、そんな逡巡も葛藤も10年は前に置いてきた。
そして今夜も、仕事のふりをして二人で一緒の部屋にいる。
それぞれの自宅に帰る時もあれば一人残る日もある、日中にオフィスへ戻らずここで業務を行う時もある。
二人分のデスクスペースとインターネット環境、小さな冷蔵庫と電子レンジ、杉浦の長身に合わせたダブルベッド。それだけで十分だった。
「ロフトはいらなかったと思うんだけどね」
杉浦は斜め上を見上げながら呟いた。手にしたビールが早くも温くなってくるのを感じる。
菅野はにこにこと笑顔で杉浦の見上げた先を追う。
「いやあ、必要ですよ。あそこで僕が寝てる設定なんで」
確かに。それを失念していた。
ただロフトの掃除は大いに面倒で、杉浦にはそれだけがこの城の唯一の不満だ。185センチを超えた長い体を折りたたみながら何も置かれていないロフトの床を拭くのが嫌だ。
「文句ばっかり言ってさ。白髪増えますよ」
菅野が目を細める。機嫌のいい猫。
「明日どうします?大館まで行きますよね」
「行くよ。行かないとそろそろあっちの店長うるさいでしょ」
「面倒だなー」
「カンちゃんが運転するんじゃないんだから助手席で寝ておけばいいよ」
「確かに。運転は杉浦さん任せって事で」
「そう、僕は菅野マネージャーの運転手でオマケだよ」
「その口癖も変わらないですよね、やめてほしいんですけどね」
「カンちゃんが運転上手くなってくれたら済む話だよ」
「やめてくださいよ、僕人殺しになりたくないです」
今度はケタケタと大きく笑った。笑い事じゃない。運動神経も良いスポーツマン、若々しい40代、その一つだけの弱点。
それくらいのダメなところでもないと可愛げない。
そう思っていたらまた菅野が見透かしたように言った。
「僕はいつでもかわいいですよ。多分100歳になってもかわいいですね!」
いつまで長生きするつもりなのか。
いや、長生きしそうだ。自分も。
なぜなら自分たちは狂おしい程に健康に気を遣っている。
20代や30代の頃には全く気にしなかったもの。
変わるもの、変わらないもの。変わっていくもの。それらに日々流されながら今夜も。
「僕メールの配信終わりました。先にシャワー浴びてくるのでー!杉浦さんも早く終わらせてくださいよ」
そっと重ねられる手に今も鼓動が早くなる。
2022.8.12![](//static.nanos.jp/upload/m/mujiknh/mtr/0/0/20100209073746.jpg)