雪夜に舞う蝶


仙台市バーバチカ研修にオブザーバとして参加した帰り道、東北道で豪雪に見舞われた。

仙台宮城ICに乗ったのは18時半。
北上JCT前で気が付いた。

「湯田〜横手間 工事の為不通」

LEDの看板が光る。
菅野は助手席で瞼を閉じていた。シートを倒して静かな寝息を立てている。

わざわざ起こして知らせる事も無いだろうと思い湯田ICから降りようとした所で菅野が突然声を上げた。
今の今まで覚醒していた様な溌剌とした声量。

「え?早いですね、もう着いた?」

ETCの音で反応したらしい。
野生動物のようだと杉浦は感じる。
危機意識が強いのかもしれない。
怯える動物。
だから精一杯に命を謳歌する。

「まだ湯田だよ。工事で通れないんだって。横手からまた高速走るけど」
「工事?事故?」
「いや、除雪だろうね。凄いよ雪。見てごらん」
「ほあー。豪雪地帯!ぜんぜん『ほっと・ゆだ』じゃないですねえ、クールジャパンならぬ!」
「ならぬ、何?」
「さあ……」

呟いたまま菅野は外の雪景色に見惚れた。
吐息で窓が白く曇る度に手の甲で拭う、そんな動作を繰り返した。

車外の景色はそれを幻想的と表現する以外に杉浦は語彙を持ち合わせていなかった。
昔話のアニメーションのような。絵本の世界のような。
本来であれば広いであろう敷地に立てられた、やはり大きな日本家屋の屋根が何重の層になった雪に押しつぶされそうになっている。

帰宅した家人であろう人物が、自宅車庫のシャッター前に降り積もった雪を見て辟易している様子が何度か見受けられた。

仄かに頼りなく光る街灯。
両脇から迫り来る雪に挟まれて、対向車線のトラックが何台も行き交う。
横手ICで下ろされた長距離トラックなのだろう。

杉浦は思う。
この付近の人々は、どうしてこんな不便な所に住むのだろう。
果たしてエルデータの電波は届いているのだろうか。基地局はこの近辺にあるのか。
この際携帯電話などどうでもいい。もっと大切なインフラは間に合っているのだろうか。
病院や役所、いや、コンビニが見当たらない。
つい一時間半前には仙台市内で数百メートルおきに見かけていたと言うのに。

毎年、この季節になると雪深い地域を思い人しれず自覚もせずに憂鬱な気分になる。

勝手なのは承知の上だ。
関東以南の生活圏ならば東北に住んでいると言うだけでも不思議だろうし不憫に思う人間もいるだろう。

雪は不便だ。
交通機関の麻痺だけではない。
日照率も低い、格段に運動能力や生産能力も下がる。
それでも自分は秋田から出るつもりはない。

それに対する明確な理由は無いのだ。
郷土愛でもなんでもない、ただひたすら、移動するのが面倒なだけだ。
これまで培ってきた生活をゼロにするのが勿体無いと感じてしまうだけなのだ。
ここに住む人々も杉浦と大差ないだろう。

ここ以外で上手く生きていけるとは到底思えない、だろうと思う。ただそれだけだ。

屋根の上。塀の上。看板の上にも。
雪のミルフィーユ。
いやこれは、

「『ふるふる』みたいだなー」

杉浦が言語化する前に菅野が答えた。
秋田市内の洋菓子店が販売するフルーツケーキ。
生クリームと果物の層が幾重にもなる。
年末、二人でクリスマスデートを楽しんだ時にデザートに選んだ。
それにとても似ていた。

「ねえ杉浦さん、温泉泊まりましょう」

菅野の思い付きの提案に、杉浦は動じなかった。
自分もそれを考えていたからだ。

ここは岩手県和賀群西和賀町。
湯田温泉峽。
いつもの仙台出張ならまず通る事は無い。東北道の世話になるからだ。
こんな機会でも無ければ、ゆっくり温泉に浸る事も出来ないだろう。

「僕は明日の昼まで営業所に入ればいいでしょー。杉浦さんは休みだし」
「うん。そうだね。そうしようか。宿の選定は任せるよ」
「ほーい承知です。よいしょっと」

ビジネスバッグからボリシァエバーバチカを取り出した。
バーバチカのタブレット版。
今日の日中はこの商品の説明会でもあった。

菅野が「大きな蝶」で湯田温泉峽を検索している。
条件を入力して数件の候補が上がったようだ。二分程眺めていたが、「小さな蝶」を取り出してどこかへ通話をはじめた。

結局は電話が早くて楽なのだ。
そんな事は知っている。
通信が早いとか、エリアがどうとか、そんなもの以前に「即会話が出来る事」それが携帯電話なのだ。

「はい、んー、そうですね、ほぼほぼ近場だとは思いますんで、20分も掛からないんじゃないかなーって。ええ、はい、はいありがとうございますどーもー」

菅野がバーバチカの通話を切った。
運転する杉浦の横顔を見つめる。
ニヤニヤしているのが空気で判る。

「決まったんだね。どこらへん?ナビに入れてみてよ」
杉浦が促すと菅野は無言ながらも嬉しげにナビを操作した。

ルートが出る。
菅野が電話の相手に伝えた予想よりもはるかに早く目的地に到着出来そうだ。

「雪見景色と温泉、いいですねえ」
「食事の用意もしてくれるのかな?」
「ええ、大丈夫みたいでしたよ。僕らみたいな足止め客って結構いるんじゃないんですかね」
「ゆっくり帰ろうと思えば今夜中には秋田に戻れるけどね」
「嫌ですよー!もう温泉気分なんですからね僕。浴衣着て、なんならマッサージしてもらってー」
「それなら僕がやってあげるよ」
「杉浦さん、それはギリギリセクハラくさいと言うか……おっさんくさい台詞ですね」
「そうかな?変な気持ちで言った訳じゃないけど。疲れてるだろうからねかんちゃん」
「杉浦さんこそ、ずっと運転させてすみません、ありがとうございます。指の力あんまり無いんで、良かったら背中踏ませていただきます」
「いいね、かんちゃんくらいの体重丁度いいかもね」

ナビの示す通りにゆっくりと右折。
時間が止まったかのような古い宿が降り積もる雪の中から覗いていた。


20140129
完結
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