恍惚ノーヴェンバー



笑顔は笑顔だ。菅野の笑顔は固定化されている。

杉浦はそれ以外の種類で笑う菅野もたくさん知ってはいるが、それでも「腹黒王子」菅野の「腹黒スマイル」と言えば今杉浦が目にしてるそれ一種類しかない。

口角を上げ、真っ白な歯を見せて、だが何も言わず、目の形も細くはなっているが、その奥の茶色い瞳は決して本心から楽しんでいる訳ではないと訴えているような。

笑っていない「笑顔」。
作られた表情。
努力と反射だけで構成されている。

「こういう時に頭を掻き毟りたい衝動に駆られるんですが、それもしたくないのが僕の辛い所です」

気にしすぎなんだよ菅野くんは。
そう言いたいのを堪える。
さっぱりとした短い髪。いいじゃないか。顔が小さいから似合うんだよ。羨ましいけどな。
思ってはいても口にしない。
きっと逆鱗に触れる。

杉浦が髪型を変えた時も同じ「笑顔」で迎えられたのを思い出した。
その顔のまま、黙って頬を抓られた。
杉浦も黙って言いなりになった。

杉浦は杉浦で、菅野に褒めてもらいたかっただけだった。
今までとは違う自分。変わろうとしている自分。
滅多に行かない美容院へ行き、生まれて初めて左右非対称の髪型にした。
似合うかどうかはどうでもいい、とにかく菅野に見せたくて、褒められたくて。
変わることを覚悟した自分を認めて貰いたくて。

だが頬を抓られただけだった。

「ごめんなさい」
つい、謝ってしまった。
菅野はそれを聞くと何故か口を小さく丸く開けて、驚いたように杉浦を見上げたのだった。

「可愛いから、似合うから、抓ったんですよ?」

頬を摩りながら、どうして他人の考えている事を、自分はこんなにも理解できないのだろうと考えた。
自分の周りの人間が複雑すぎるだけなのだろうか。

妻も、菅野も、複雑だ。完璧に理解出来たと思えた瞬間はこれまで一度もない。
だからこそ。
だからこそ理解しようと努力し、理解できない物であると「理解している」から、他人を許容出来る。そう考えている。
少なくとも自分はそうだ。

理解できないからこそ、不思議で、だから好きになるのだ。興味がそこから離れない。

そして今、菅野が何に対して焦燥を感じているのかも杉浦は余りよく理解はしていない。

怒りとは違う。これは焦りだ。
爪を噛んでいる。
笑顔で。

どうしたものだろうと考える。
業務。
それは多分に仕事の事だ。
ではどの店舗の?
自分の所だろうか。
それとも福澤か。
それとも。

直接尋ねた所で今の菅野が素直に回答する気配は無い。

だとすると、それは意味の無い焦燥感か。

全般的に秋田市内の店舗は全て前年以上に成果を上げている。
数字的な要素に問題は無い。

それでも菅野には与えられた多くの課題、業務がある。
それをサポートするのが自分だ。
菅野には出来ればいつもリラックスした菅野らしい状態で仕事をして貰いたい。

そんな風に杉浦は杉浦で思考を巡らせていた。
突然、菅野が叫んだ。

「ボーリングしたい!!杉浦さんボーリング行きましょう!って言うかね、今からボーリングしないとね、僕今日は何もしません!!したくない!!」
「……温泉か油田でも掘り当てる気かい」
「そんな冗談はどうでもいいんです杉浦さん!僕は玉転がしがしたいんですよ!かっこーん!って!」

突如椅子から立ち上がり、見えない鉄球を抱えて見えないレーンに向かってそれを転がす真似をした。

呆れてしまう。
そんな事を考えていたのか。

営業所内。
時刻は13時半。
菅野は今朝から一切の業務を放棄していた。
PCの前でディスプレイを見つめるふりはしていた。
だが、何もしていなかった。
業務用のバタフライが何度鳴っても手にする事は無かった。
杉浦がそれを盗み見て、冷や冷やしているのも菅野は気がつかなかっただろう。

きっとそれ以外に大事なことを考えているんだな。
杉浦は好意的にとらえるようにしていた。

だが。

「ボーリング!行きましょうボーリング、今から、杉浦さん。車出してください」
「七瀬くんが持ってったよ」
「ええっ。隣酷いよ!仮にもこっちのマネの僕に断りも無く!!」
「断っていったよ。七瀬くん、南が丘行くって言ってたじゃないか」
「僕聞いてません」
「聞いてたし返事したよ」
「そうでしたっけ」
「そうだよ」
「わかりました、じゃあ僕の車で行きましょう、運転はお任せします」
「なんでボーリングなんだよかんちゃん」
「僕、二週間働き詰めです。休んでません。ずーっと出勤してる」
「うん、そうだったね。ごめんね」
「そうですよ!杉浦さんはその間4日も休みましたね!」
「うん。だって休まないとさ、労基に怒られちゃうよ」
「知ってますよ当然です。だから僕のはサービス出勤扱いです。まあどっちにしたってね、どうせね、月給なんでね、美味しいお手当てなんてね、付きませんけどねはっはっはっはっは……杉浦さんばっかりずるい!!」
「ごめん」

菅野は好きで働いているのだ。
杉浦をずるいと言うのはお門違いで、きっとそれは菅野も理解している。

菅野も髪型を変えた時の自分と同じだと気がついた。
労って欲しいだけなのだ。

頑張ってるんですよねー、僕って働き者なんですよねー!だから褒めてください杉浦さん!

以前はそんな事をよく言っていたように思う。
だが、最近は口にしなくなった。耳にしなくなった。
意識しているのだろうか。
きっと無自覚だ。
そもそも菅野は誰が褒めようと誰に貶されようともやらなければならない事は必ずやっている。
そういう自分が好きなのだ。だから。

杉浦も自分自身の変化に気がついた。
そうか。だから僕も褒めなくなっていたのかな。

何がどうあれ菅野は仕事が好きで、好きなようにしている。
それで上手く回っている。
自由にしてもらっている。

杉浦はそれで納得して、以前のように菅野に労う言葉を少なくしてしまっていたのかもしれない。
ならば。

「ボーリング!」
「うるさいよ菅野くん」

叱るように言うと菅野は目を丸くした。
そんな返答が戻ってくるとは思っていなかったようだ。

「……ボーリング……」
小さな声で再度。
唇を尖らせている。
僕拗ねていますよ、の表情を作っていた。

「かんちゃん。幾つになったんだっけ」
「37ですよ」
「もうね、そろそろね、そういう顔したら可愛いでしょみたいなの止めなさい」
「でも可愛いですよ僕」
「君ね、3年後もそんなの続けるつもりかい」
「多分大丈夫です。だからボーリング」
「本当は何がしたいの?」

杉浦の質問に、菅野は少しだけばつの悪そうな顔をした。

「……知ってるくせにー」
「うん。知ってる。だからはっきり言いなさい」
「マネの僕に向かってそんな口聞くのなんかホント、杉浦さんと竹中さんくらいです」
「言いなって。本当は何したいの。それをしたら君、仕事する?」
「しますよ!要はスッキリしたいだけなんでー!体動かしてすっきり爽快!」

へらへらと笑う菅野の腕を掴み、自分の傍に引き寄せた。
バランスを崩しそうになり、菅野が杉浦にしがみつく。
その顎を持ち上げ、自分の目を見つめさせた。

「じゃあ今からここでしよう。いいかい。覚悟してね。体動かしたいって言ったの君だからね。ぐったりするまで体動かせばいいよ。もうやめてください杉浦さんって言わせるけどいいんだね。逃げるなよ」

そう言うと菅野は唇を波打たせて、嬉しそうに笑った。
杉浦だけが知っている「微笑」。

「……やばい、かっこいい」
「ふざけてるんじゃないんだよ菅野くん」
「はい、知ってます。出た、久々の暴君バージョン杉浦さん。かっこいい。逃げるわけないです。かっこいいから」
「いい加減にしないとひっぱたくよ?黙りなさい」
「いいですよ杉浦さんなら」

菅野はそう言って左側の頬を杉浦に向けた。
細い首筋。

そこに唇を当てた。
数回キスをして舌を這わせると菅野は杉浦の背中に腕を回して力を込めた。

「くすぐったい」

菅野の感想を無視する。
脂肪の少ない首。その中でも比較的柔らかそうな部分に唇を合わせて、強く吸った。

「っと、え、杉浦さん」

それも無視した。

「杉浦さん、ちょっと、そこはさすがに、見える!見えちゃいます!赤くなるから!ダメですって止めてって!」

菅野が必死に抗う。杉浦の背中を両手で何度も叩く。
焦る菅野が面白い。
次に菅野の唇の自由を奪った。自分の口で封鎖。

そのまま菅野のネクタイを解く。シャツのボタンを外す。ベルトも取り上げる。唇同士の連結を解除。

「……本当に器用すぎますよね!」

菅野が怒っている。
面白くて、そのまま仮眠用のリクライニングソファに菅野を突き飛ばした。

自分のネクタイを緩めながら菅野を組み敷く。

菅野は怒っているようにも、笑っているようにも、恥ずかしがっているようにも見えた。

「……本当にかっこいいですよね杉浦さんて!嫌だ俺、マジで腹立ってきた!杉浦さんこそ足腰立たなくしてやりますよ!」

そうか。これは「期待」しているんだな。
そう判断した。間違いない。菅野は強烈にこれから起こる事に大きな期待をしている。

「もう一度訊くよかんちゃん。本当は何がしたいの?」
「杉浦さんと気持ちいいセックスしたい!」
「あのね、うるさいよかんちゃん。ボリューム下げなさい。色気無いな」
「でもあんあんよがった方が杉浦さんも興奮するじゃないですか」
「確かに」
「でしょー!隣いなくてホント良かった!」

今度は菅野が杉浦の唇を求めてきた。
激しく。

(これで仕事してくれるなら、落ち着くんなら安い労働だ)
頭の隅で杉浦はそう思っていた。
昔からそう考えているし、今も変わらない。

但し今はもう一行だけ付け加えられる。

(それに自分も気持ちいいし)

以前なら意識の上に昇る事も無かった、素直な新しい感情。



20121101 完結
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