でもそんなのは苦にならないし?



菅野が眠そうに欠伸をした。
左手で大きく広げた口を押さえ、右腕は高く天井へと伸ばして。
両手をデスクの上に降ろし、それから首を動かす。

ポキ、と鳴った。

「かんちゃん、それ止めた方がいいらしいよ」
タブレット端末を弄りながら、杉浦が背後から声を掛ける。
座ったままで顎を仰け反らし、立ったままの杉浦を見上げて菅野が返事をする。

「つい鳴らしちゃうんですよねー。体に悪いってわかってるのに。でもそう言うのって大概気持ち良かったりして。食い物もそうでしょ?体に悪い物の方がクセになって美味しかったり」

そう答えられて杉浦の脳裏に浮かんだ映像は、まるで残飯にしか見えない、丼に大量に盛られた野菜入りのラーメン。
一時期菅野が夢中になっていた、有名なラーメン店の商品。
杉浦はそれを一度も口にした事が無い。
何度誘われようと、そこや、それに似た店に行く事は無かった。
菅野のそのブームが過ぎ去ってくれて良かったと心から思う。

ここ最近菅野が好んで食べているのはチョコレートだった。
但しそれは緑色をしていた。

今もそれは杉浦の視界に入っている。

はじめはミント風味のチョコレートなのだと思っていた。
抹茶風味の濃い緑色ではなかったから。

その時杉浦はからかうように菅野にこう言った。
「なんだい菅野くん。マストカラーじゃないかグリーンなんて」

すると菅野もからかうような笑顔を作り、透明な袋に入った緑色で小さなキューブ型チョコレートを差し出した。
「マストなんか食い尽くしてやんよって事です。どうぞ杉浦さんも。お裾分け」
「ありがとう。いただきます」
何の気なしに一つ摘んで口に入れた。

刺激があった。
衝撃で咳き込む。
吐き出そうとしたら菅野に口を押さえられ、どうにも出来ず飲み込んだ。
喉も痛かった。

菅野が大笑いして袋に張られたシールを見せ付けた。

『激辛ししとうチョコ』

「杉浦さん涙目なってる!」
小さく叫んで喜んでいた菅野の笑顔もしばらくは忘れないだろうと思った。

そんな事があったのが一ヶ月前。
いまだに業務の合間、菅野はそれをせっせと口に運んでいる。

「何が美味しいんだよそれ」
「えー?美味しくないですー?面白い味だから大好きですよ。甘いのに刺激的!うん、僕みたいですかねー?」
「自分で言うんだもんなかんちゃんは」
「まあ僕は見せかけそういうキャラなんでね!実は杉浦さんの方が激辛チョコだって言う。ししとうなんかじゃないですからねぇ杉浦さんて。ハバネロ……とかかな?うん、杉浦さんは実は暴君!」

苦笑してしまう。
一年ほど前、当時課長として東北一円を担当していた平塚にも同じ事を言われた事があった。

『僕のことを閣下ゆうてね、呼ぶ子らもおるけど。なんや菅野くんは腹黒王子ゆわれてんな?あの子そな腹黒ちゃうけどね。どっちかゆうたら君みたいなんは暴君ゆうんですよ杉浦くん。好き勝手してくれて。僕の目が黒い内はゆうこと聞いてもらうからね。まぁ僕の目ぇ黒ないけど』
平塚は青いような灰色の不思議な色の瞳をしていた。

どうしているだろうかと思い浮かべて窓の外を眺めた。
その方向に平塚がいるとは限らないのに。

カサ、と音がした。
菅野に視線を向けると、またチョコレートの袋に手を突っ込んでいる。

「かんちゃん、ダイエットするって言ってなかったかい」
「してますよー」
「本当に?まだ朝走ってるの?」
「走ってますよ。杉浦さんが途中で飽きちゃうからさ。僕一人で走ってますよ」
「うん、僕早起き嫌いだよ」
「強くないのに遅くまで深酒してるからですよ。不健康だ!」
「起きてる間ずっとチョコばっかり食べてる君に言われたくないなあ。10キロ増えたんでしょ」
「それは仙台いた頃ですよ。ストレス太りです。それに太ったって僕そんなに影響無いし」
「見た目はね。それまでが痩せすぎだったんだよ」
「安東さんほどじゃなかったけどな。確かにスーツのサイズがね、ちょっとね。でももう今は昔の服も着れるんですよねー」
「じゃあ増えた分落としたって事?」
「そういう事です!と言うかむしろ痩せてます。走ってるから」
「ええ?大丈夫なのそれ。そんだけ食べて痩せるなんて逆に怖いだろ」
「……なんかなー。こういう話?健康と体について語りだすとさー、自分って本当に老けたんだなーって感じちゃいます」
「ん、うん。そうかな。そうだね。でも体元気じゃないとねぇ」
「違うんですよ杉浦さん。僕がダイエットして体重落としてるのはね、女性の心理と同じ物ですよ。
本当に杉浦さんはこういうとこは鈍感だなぁ」
「どういう意味?」
「にひひひひ。言わせたいんですか。つまりセックスする時にね。締まった体型の自分を見て欲しいって事ですよね。うひひ」

明け透けに言われて赤面してしまう。
言った本人はなんともなさそうなのに。

「ナカタマさんがよく杉浦さんに言ってる台詞と一緒ですよ」
「タマちゃん?あー……あれねー……」

今はQOQOの社員になった、昔のエルデータスタッフ・中田珠代が杉浦に言う言葉。
『ナカタマはーもうちょい痩せてですね、そんで杉浦さんに駅弁してもらうのが夢なのすー!』

それを思い出してまた赤面する。
同じ言葉を思い出したのか、菅野もニヤニヤと笑っている。

「僕もナカタマさんと同じ夢を持つ事にしたんで、痩せましたよ」
「……本気かい菅野くん」
「半分くらい本気かなー。したことあるけどね!随分前ですよねー!まあね。僕だってねー心配なんですよねー。ナカタマさんとかね、秋山さんとかね、ああ山内さんは無いとしても、とにかく若くて綺麗な女の子にはきっと敵いませんからねー。でも100パーセント努力はしておきたいじゃないですか」
「なんの話?」
「だから、杉浦さんがね、若くて可愛い女の子の方向いたりしたら嫌ですよって話です。だから僕痩せてね、鍛えてね。努力してますアピールです。女性のダイエット理由と似てるでしょー?ひひひ」
「君、そんな事考えてたの?僕が?」

僕が若くて可愛い女の子と浮気するなんて?君がいるのに?

そこまで考えて急激に思考が停止した。

菅野がへらへらと笑う。
「うひひ。フリーズしてますね杉浦さん。そうですよ、『僕』が浮気相手ですお忘れでしたかうひひ。きっと今何かを間違えましたね?うひひひひ」
楽しそうに笑っている。
「杉浦さんは恋愛と友情と性欲の区別が曖昧な人ですからね、僕とっても心配なんですうひひひひ」

またからかわれたようだ。

首に下げていたバタフライのアラームが鳴った。
杉浦はそれを手にして音を止める。
菅野に言う。

「……そろそろ出るよ。今週は幾つ買ってくればいいんだい」
「そうですねー、一日一袋でいいかな?じゃあ七つ、いや思い切って十個!」
「わかった。行ってくるね」
「お帰り楽しみにしてます!」

杉浦がこれから向かう店舗。
その途中に、菅野が夢中になっているししとうチョコを販売している店がある。
知りたくないのに教えられた。
『あっち行くなら買ってきてください。僕しばらくあっちの店舗まわれなくて』

早くブームが去ればいいのに。

それでも毎週、そこへ向かう度に途中で買ってきてしまう。
菅野の喜ぶ顔が見たくて。

これも努力のうちの一つにカウントしてくれないかい菅野くん?


20121019 完結
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