夜の黒狐


「お疲れ、じゃあリューちゃんそれごめんね、任せたよ。宜しく」
「はい了解です。あと30分くらいで終わりますから。お疲れ様でした」
杉浦がグレーの手袋を両手に嵌めながら中澤に残りの業務を託すと、菅野が慌ててバッグを手にして飛び上がった。

「待って下さい杉浦さん、僕も帰ります。じゃあ皆、お疲れ様でした!明日も頑張るんだから今日は早く帰るんだよ!」
残った社員に軽く手を振る。

杉浦が先に営業所の扉を開け、続けて菅野がその後を追う。

終業。十月二週目の土曜日が終わった。

動かない下りのエスカレータに乗る時、ふと菅野が黒い手袋を着けているのが目に入った。

「手編みだね。奥さんの?」
杉浦がそう訊くと、菅野が不思議そうにニヤニヤと笑った。

「奥さんと言えば奥さんですが……杉浦さんの」
「え?あれ?」
自分の両手を広げて見る。
グレーの手編みの手袋。
妻の作品。

「いただいたんですよ。マユ経由で。お揃いみたいですね。同じデザインだ。まあ手袋ってのは大体同じ形かなあ」

ニヤニヤと笑う菅野に杉浦は苦笑する。
同じデザインではあるようだ。
だがやはり菅野のそれは、杉浦よりも小さめに作られているように見えた。

自分の手は自分の背と同じで大きい。
指が長い事を褒められる事もあるが、自分の目から見るそれは少しだけ不格好な気もする。

ビル一階まで降りる。
フロアは薄暗い。
地下一階のイベント広場も暗い。
全面ガラスの外も暗い。
従業員用通路から出ると思いの外風が強い事に気付く。

すぐ先の駐車場へ向かう。

「雨の予報は無かったですよね」
「でも降りそうだね」
「車どうします?」
「どうしようかな。僕置いて行こうかな。かんちゃんのに乗ってこうかな。あ、僕が運転するからね?」
「……杉浦さん、昔と違いますよねえそう言う所」
「何が?」
「三年くらい前ならさ、車置いてどっかに出かけるにしてもさ、こんな皆の目につく所には放置しなかったですよね。必ず別んとこ置いてた。レンタル屋とかさ、ファミレスとかさ、住宅街の奥まったコンビニだとかさ、そう言う感じの所にアリバイっぽく駐車してたのに。
今はあんまり気にしなくなったみたいだ」
「菅野くんと飲みに行くからって、リューちゃんには言ってきたからね」
「えっ。言ってきたんです?へー。なんかなー、前はそう言うのもさ」
「隠してたよね。今はしないよ。面倒になったんだそう言うのに頭使うの」
「本当に面倒臭がりですよねえ杉浦さんて」
「そうだねえ。それは変わらないねえ」

笑いあう顔の変化はよく見えないが、菅野が嬉しそうなのだけは空気で伝わる。
杉浦も嬉しくて、微笑んでしまう。

立体駐車場に着く。
菅野の黒い車。ミニバン型と呼ぶのだったか。八人乗りのファミリーカーだがスポーティーな印象もある。
「キー貸して」
「うーい」

黒い手袋からグレーの手袋へ。
鍵が渡される。

杉浦が運転席へ。
菅野は助手席へ回る。

キーをまわしてエンジンを掛けながら、杉浦は首を傾げた。

「どうしました?」
「ん……あのさ、どうしてこの車にしたんだっけ」
「大きいからですよ?広いし。うち五人家族だし。どっちかの親乗せたらいっぱいいっぱいです」
「他にもミニバンてたくさんあるのに。どうしてこれにしたんだい」
「マユがこれにしようって言いましたしね!なんですか、僕これ一度もぶつけてないですよ?大きいから僕には大変そうって事ですか?」
「そうじゃないよ。この車ってQOQOの大株主のとこのじゃないか。なんでそんなの買ったのかなって」
「ねー。それはマユにも言いましたよ。似たようなのは他にもあるじゃんって。でもこれがいいんだって言うんですもん。家に帰らないパパの意見なんて通りません」
「そこは強く言えばいいのに」
「同じこと奥さんに言われたら断れます?杉浦さん」
「うーん。難しいね」
「でしょ。はい出発出発ー」
「はい出発」

駐車場を出る。

しばらくの間菅野は助手席に埋もれるような格好で静かにしていたが、幾つかの信号を通過して県庁前まで来た頃に突然、

「僕、狐って好きですよ。コーン」

黒い手袋の両手を影絵の狐の形にしながら。

「なんだい突然」
「あとねー、そうだなー。パンダとペンギンも好きですよ。パンダはねー、僕がカンカンだからかなー。白黒好きですよ。ペンギンもツートンカラーだし。狐もツートンカラーでしょ?三色かな?」
「三色?」

狐を思い浮かべてみる。
いわゆる狐色の毛。ふわふわした尻尾の先は白かったように思う。それ以外は?

また菅野が脈絡の無さそうな言葉を繋げる。
「僕ね、今日ね、靴下も黒だしね、手袋も黒です」
両手の狐を向かい合わせている。

キスする二匹の狐。

それで気がついた。

「ああ確かに。狐はツートンじゃないんだね。三色だ。手足が黒いね」
「そうなんですよ!あの黒い手足、可愛いですよね。セクシーって言うか」
「え?どうして?」
「ふふふ。想像してみてください。裸の僕。全裸の僕。でも足元は黒い靴下で両手はこの黒い手袋」

言われた通りに頭の中に浮かべてみた。
海外物のアダルトビデオに出てきそうな、ブロンドの美女がやった方が似合いそうな。
そしてベッドの上でポーズを決める菅野。視線はこちら側へ。扇情的に。

「エロいよね狐。コーン!」

想像の通信が途絶えた。浮かんだ画像は一瞬で削除される。

右手にハイジマランド秋田中央店が見えた。そして臨海十字路。右折する。今度は右手にマエデン秋田店。
それらを流しつつ七号線を土崎方面に北上させる。
夜のドライブ。

菅野はずっと両手を狐の形にしたままだ。
キスする二匹の狐が運転席の杉浦に視線を向けた。
右手の狐が杉浦の頬を突く。

「好き好き杉浦さんちゅっちゅっ」
「やめてよかんちゃん、運転に集中させて」
「嫌ですー?うちの子達は好きだけどなー狐のちゅっちゅ。あとパクパクパクーも」

そう言って狐の口を開閉させて杉浦の頬や耳やうなじやあちこちを摘む。

「くすぐったいよ」
「気持ちいい?」
「気持ちいいのとは違うよ、くすぐったいの」
「同じですよーコンコーン」

赤信号で停車。
顔を菅野の方へ向けると、黒い狐に鼻先を齧られた。

「杉浦さんの高い鼻、好きですよ」
「……脂浮いてきてるから早く顔洗いたい……」
「僕も!Tゾーンが脂っぽい!なんちゃらシートなんて姑息です、ざぶざぶ洗顔したい!だから早く!」
「はい、早くどっかに入りましょう菅野マネ」
「ですよー!潟上までって近い様でこうなると遠いですねーコンコーン!」
「さっきかんちゃん、皆に今日は早く帰れって言ったのにねえ」
「皆はね!僕らはいいんですミーティングだから!」

そう言って菅野が闊達に笑う。
信号が青に変わる。
発車して進行。

黒い靴下。
黒い手袋。
それ以外は身に着けない菅野。
その薄い腹に口付けてみたい。例えば子犬や子猫の腹に顔を埋めるように。人間の赤ん坊をあやす時のように。

少し倒錯的ではあるような気がする。


20121013 完結

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -