希望-надеяться-



新規3台、内1台はマストからのMNP。機種変更は辺見と竹中が受け付けていた予約の2台。
会社宛の業務報告メールを送る。
このメールはCCで県内全店舗、そして県内全スタッフに送信される。
辺見と竹中の携帯にも届く。個別に実績を報告することもないだろう。だから宮川は、ハラタ店のモバイルコーナースタッフに軽く挨拶をして帰ろうとした。電車の時間が迫っている。

そこにマストの伊東テルカが声を掛けた。

「宮川さん、送りますよ。駅まででしょ?」
「……うぃっす。迷惑かけられないんで」
「私も今終わるから。追いかけるんで、先歩いてて下さい。モコさんいいよね?」

カウンターの中で作業をしていた、同じくマストの武藤モコに向かって。
モコは二人を見上げて、うん、と頷いた。

「うん、あとはお渡しだけだから。お疲れ様っした宮川さん。秋田行ったときは遊んでくださいねー」
「……ういっす」

竹中の話に寄れば、確かこの二人は付き合っているレズビアンのカップルだったはず。
百合女子なんてものは二次元の世界にしかいないと思っていたが、そうでもなかったようだ。

百合は百合、ビアンはビアンなのか?
三次元がよくわからなくなってきた。

考えている内にテルカがカーディガンを羽織りカウンターから出てきた。

「急がないとね!何分発?」
「……あと30分くらいかな」
「おっけ、大丈夫かな。エルデに任されてるからね宮川さんのことは。気にしないで送られてください」
「……辺見さんと竹中さん?」
「そうですよ。だってさ、ねぇ。杉浦さんはそこまで気を遣ってくれないでしょう?」
「……うぃっす」

その通りだ。
ハラタ店の他キャリアスタッフにまで役に立たない上長だと知れ渡っている。

今日だって、このまま店舗から駅までタクシーを使うつもりだった。勿論領収証は切って貰って。
秋田の最果て・ハラタ店。最寄りのバス停の最終便は2時間半前に出てしまっている。
宿泊の命令は出ていない。

社員の、と言うよりも、宮川の動きに気を配れるような人物ではない。
杉浦ヒロキと言う上司は。

意見を言えば「なら車で行けばいいのに」と返されるだけだ。
車では交通費が出ないのを知らない訳でもないのに。

ただでさえスタッフよりも自分と、自分の直属の上司に甘い杉浦が、秋田エリア・マエデン販路が売れていないこの時期、一社員の日帰り出張になど心を砕く訳がない。
今頃その「直属の上司」に嫌味を言われて涙目になっているに違いない。
ざまあみろ。

「ざまあみろって顔してる、宮川さん」

テルカに言われて思わず自分の頬を軽く叩いた。

「……してないっすよ」
「してたよー。これ私の車。乗ってーどうぞー」

赤いワンボックスカー。
テルカに似合っていると感じた。

「……すみません、お世話になります」
「気にしない気にしないー。秋田に行ったときは遊んでね!」

さっきモコにも同じことを言われた気がする。
付き合っているのに、気にしないのだろうか。
同性愛者と言うのはそういう物なのだろうか。

杉浦と菅野も?

だからお互い結婚していても、そうなのだろうか。

理解出来ない。
自分には誰もいないと言うのに。
愛でても画面から出てこない、恥ずかしがり屋の平面な美少女たち。

一瞬だけ黒縁眼鏡の同僚の姿が浮かんできたような気がして、宮川は頭を振った。
違う。べっちは違う。そう言うんじゃない。

毒されている。
ネット上でもそんな話題は多いし、まして周囲には竹中や、今隣の運転席でハンドルを握る伊東テルカやさっきカウンターから見送ってくれた武藤モコ、そして確定なのに誰も信じてくれない杉浦と菅野。
彼らは性的マイノリティの筈なのに。
「少数派」ではない。二人の上司以外は公言しているからか。それにしても自分の周りにはこんなにいる。
多数派ではないが、例えるなら彼らは「印象派」だ。または「過激派」。
自分のように空気と一体化して生きている人間とは種類が違う。
彼らは個性が強すぎて自分は毒されてしまう。

「ここからだと秋田まで二時間半ってとこですね」
「……そっすね」
「お疲れ様です宮川さん。明日は本店なんでしょ?酷いね杉浦さん。どうせ泊まりなら原田に泊まらせてくれたらいいのにね」
「……そっすね……」
「でもいい顔してればいいですよ。たくさん売ったんだもん。宮川さん凄いですよ」
「……そっすか」

褒められて嬉しくない訳ではない。
だが、余りにも褒められ慣れてなくて、どう返答していいかわからない。

ハラタ店でエルデータ端末が一日に新規三台・機種変更二台出る事は極めて稀だと言う。
明日は本店だから、この倍は期待されるだろう。
実際、それ以上に売ってきた人物がいる。

菅野だ。

菅野ほど売れたらこの仕事は面白いだろう。楽しいだろう。遣り甲斐も感じるだろう。
だがあれは特別だ。
自分はあんな風には売れない。
あのバイタリティは尊敬に値するが、自分には真似出来ない。
自分ならばきっと、販売意欲が盛り上がったとしてもそれは一時的な情熱だろう。それを維持するのが難しいのだと、知っている。
残るのは真っ白な灰と化した自分だ。

そんなのはごめんだ。お断りする。
この仕事は嫌いではない。向いていると思ったことは無いが、続けていけるとは感じている。だから辞めたいとは思わない。
どれほど菅野や杉浦にいびられようとも。

この不況のご時世に、エルデータに正社員で採用されたのは僥倖だ。
県内の自分と同じ世代が、自分と同じほどの給料を貰っているとは思えない。
しがみつくように必死だ。
必死に、自分が擦り切れないようにしている。
企業に使い捨てられるのはごめんだ。
長距離走者のように、自分のペースを保ったままで走り抜きたい。

菅野のような、短距離走の爆発力を保ったままでは自分は仕事など出来ないと思っている。

杉浦や菅野の世代には理解できないだろう。
彼らは頑張った分だけ評価され、努力した以上の金を手にしてきた筈だ。
生まれたときから曇り空色の日本を見てきた自分たちとは違う。
華やかな時代があったのだと聞かされても、それは夢物語でしかない。

そんな杉浦や菅野に、自分を理解してもらえるはずなど無い。それこそ夢物語だ。

「宮川さん、そろそろ着きますよ」
「……うぃっす、ありがとうございました伊東さん」
「どういたしまして!また原田に来たら、次こそみんなで食事しましょうね。本当にお疲れ様でした」
「……うぃっす」
「たくさん売ったんだからいい顔してたらいいんですよ!今日の新規は宮川さんだから売れたんだもん」
「……うぃっす……」

テルカの言葉に目が潤みそうになる。
考えてみれば、これまで等身大そのままの自分をこうして褒めてくれていたのは、岡部だけだった。

べっち、今日は一通もメール来ないな。仙台よっぽどキツかったのかな。

車内でテルカに一礼し、降りてからも深く頭を下げた。
テルカが朗らかに「またね」と言って手を振り、そうして赤い車は宮川から遠ざかっていった。

空はまだ明るい。夏の夕暮れ。
人の少ない原田駅構内に足を向けると、宮川は急に疲れと眠気を感じた。
だが、それは心地よく嬉しい疲労感。

ホテル着いてもべっちからメールこなかったら、こっちから送ってみよう。
今日は俺がべっちを励ます番だ。

岡部が心細げに笑みを浮かべている姿が宮川の頭の中に浮かんだが、今度はそれを振り払わなかった。


20121005 
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