哀願-Мольба-



喫煙所からエレベーターに乗るまでの短い距離、ああだこうだと笑いながら雑談をしたが。
乗ってしまってからは全員が無言になった。

普段目を細めた笑顔の形を崩さない辺見でさえ、真顔になっていた。
お喋りな竹中も杉浦と会話しようとはせず。
秋山がいつものように杉浦をからかう事もなく。

岡部は、トレードマークの黒縁眼鏡を、掛け直すのを忘れていた。

ビルから出てもしばらくは無言の状態が続いた。
杉浦についていくだけ。
その足取りは重たげではあったが、足の長さや一歩の大きさが女性陣とは違いすぎて、秋山と辺見は何度か小走りにさせられた。

「べっちゃんて、それ、伊達なんだね。知らなかった」

振り返りもせずに、信号待ちの間、真後ろに立っていた岡部に対して杉浦が言った。

一瞬何のことかわからず、返答に詰まった。
眼鏡の事だ。

裸眼でも見える。
度は入っていない。

伊達眼鏡をかける切っ掛けを杉浦に説明しようとしたら信号が変わった。
言えないままになる。

そのまま対岸の店に入った。
この時間帯は喫煙は出来ないと店側から案内されると、杉浦は小さく
「うーん。いっか。5人」
と答えた。
それを聞いて竹中は不満そうに唇を歪ませていたが、結局は文句を言わず、席に着いた。

ここでもやはり杉浦は、スタッフの意見を聞こうとはしなかった。
出されたメニューを軽く眺め
「ランチAを5つ。アイスコーヒーは先に」
と、注文した。

秋山が何か言いたげに口を小さく開いたが、それはすぐに堅く結ばれた。

座敷席。
杉浦は壁側の奥へ。
その隣に秋山、辺見と続いた。
杉浦の向かい側に竹中が。その隣に岡部が座った。

コーヒーが運ばれて、そこでやっと沈黙が破られる。

竹中によって。

「スギサマも売ればいいじゃない。四国行った時みたいに。マリンポロ着てさ。保品さんベタ褒めだったじゃないの、『丁寧で優しい接客に徳島店スタッフも勉強になりました!』って。なんで徳島でやってるのに、秋田でやってくれないのかしら。やればいいのに。見せてよ、スギサマの丁寧な接客ってゆーの。本店とかじゃやってらっしゃるの?原田では見た事ないんですケド」

杉浦は何も答えず、アイスコーヒーのストローを咥えた。
テーブルの下で、誰かが竹中の膝を蹴った。きっと辺見なのだろう。竹中はそう思いながら、続けた。

「よその台数上げてどうすんのよ。応援だから?秋田が売れないってなら、スギサマ売ってみせてよ。お手本が見たいわ。なんでよそではかっこつけてるの?秋田じゃ出来ないの?嫌なの?売りたくないの?」
「……じゃあ、竹中さんは何の為にいるの?」

杉浦の反撃が開始された。
辺見が耐え切れず顔を両手で覆ったが、竹中はそれを無視した。

さっき自分は菅野を「菅野マネ」と呼んだ。それは、あの場にふさわしい呼称を選択したからだ。
今。
杉浦は、自分を「竹中さん」と、呼んだ。

杉浦がハラタ店の担当になった当初はそう呼ばれていた。
しかし三度目の杉浦単身巡店時には、既に竹中は杉浦をいつもの愛称で呼んでいたし、杉浦もまた、竹中を他のスタッフを呼ぶ際のように、苗字にちゃん付けをしていた。

「売るためにいるのは、竹中さんでしょう」

もう一度念を押されるように。
売る売らないの話が気に入らないのではない。
その、他人行儀な、突き放した口調に腹が立ってくる。

「……当たらないで欲しいんですケド。菅野マネがそんなに怖いんですか杉浦SV」

同じように、返した。

初めて、杉浦に肩書きを付けて呼んだ。

岡部が自分と杉浦を何度も見て不安そうにしているが、それも気にしない。

「スーパーバイザー様でらっしゃるんでしょ。売ってなんぼなのは杉浦SVなんじゃないの。売れない我々にお手本見せていただきたいワ。売り方がわかりません。四国で目一杯売ってきといて。かっこつけ。違うわ。秋田弁で言うなら『えふりこき』って奴よね」

杉浦と竹中の視線が交わる。

杉浦のそれはあくまでも冷たく、無表情に近い。
一方竹中は眉間に皺を寄せ、普段のふざけた様子も浮かんでこない。ただ、杉浦を責める、それだけの視線。

辺見が叫びだしそうになった時。

それまでメニューブックを眺めていた秋山が、辺見にそれを差し出しながら言った。
「ミナコねー、ずんだパフェ頼もーっと。辺見さんはー?」
「え。パフェ?」
「うん、パフェー。おいしそー。ほらー見てー」
「あ、うん、私もずんだパフェにするぅ……」
「お、俺も!」
辺見の向かいに座っていた岡部が慌てて同意する。
秋山はにこりともせず、うん、と頷いて、隣の杉浦は無視して竹中に声を掛けた。

「竹中さんはー。ずんだパフェ食べるー?酒飲みさんだからいらなーいー?」

竹中は杉浦から視線を外さずに答えた。
「オカマなんだからササカマパフェよ!」
「えぇ?そんなのある訳ぇ……あったぁ……」
メニューブックを確認しながら辺見が呟いた。

「ササカマパフェカマンベール味でいいのぅ、竹中くん」
「ええ、ランチが来たらその時に頼んで頂戴べっち」
「あ、うん、わかりました」

岡部が答えると同時に、杉浦によってオーダーされたランチAが運ばれてきた。
目の前に自分の昼食をセットする頃には、杉浦と竹中の視線の応酬はいつのまにか解かれていた。

だが結局、全員にとって、味のしない、会話も無い、何の益も無い昼食となった。


20120910 続く

前へ 次へ

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -