険悪-Опасный-


5分も経たずにすぐ近くから聞こえてくるエレベーターの開閉音。

辺見が笑顔のままで眉を顰める。
竹中がそれを見咎めて、辺見の二の腕を小突く。
岡部は眼鏡を外した。
秋山が立ち上がると同時に、他の三人も起立した。

「いるかい。いたいた。お疲れ」
杉浦の登場。
若干の疲労を感じる声。
「選抜」秋田エリアメンバーが礼をする。

「お疲れ様です」
「うん、お疲れだね。僕も疲れてきちゃった」
それはただの挨拶、定型文。
なのに。

「疲れちゃったですかー杉浦さん」

少し離れた場所から、菅野が食いついた。
杉浦は今、その存在に気がついたようだった。
ばつの悪そうな、情けない貧弱な微笑が頬に浮かぶ。

「お疲れ様です菅野マネ。川島さん、金谷さん」
「僕は疲れてないですよー楽しいです!やっぱスタッフ集まるとやる気出る!ねぇ」
そう答えて、菅野は隣の川島、金谷に視線を向ける。
川島は苦笑し、金谷もまた定型文の挨拶を杉浦に差し出す。

「秋田からだと遠いもんねぇ」
「じゃあ青森のスタッフは?もっと遠いですよ?」
「青森は元から今日来るって決まってたし。秋田は急に菅野くんに呼び出されたんでしょ?大変じゃん」
「大変大変。マジ大変売れなくて。ねぇ杉浦さん」

金谷の助け舟も沈没した。
菅野はいつものようにニヤニヤと笑っている。

秋山は杉浦の顔を盗み見た。

杉浦もまた微笑んでいる。
しかしその右手。
掌を握り締めて。
力が入っている。

「……来月は売れすぎて菅野マネがうはうはしちゃうんでーす!ね、杉浦さん」

思わず発言してしまった。
黙っていたら、杉浦の手を掴みそうになったからだ。
掴んで、ひっくり返して、馬乗りになって顔を引っ叩きそうになったからだ。

「そうなんです?さすが秋山さん、社員の自覚ですよねー!そういう自覚って本当は入社した時から持ってて欲しいような気もしますね!僕より先輩なのになあ秋山さん」

菅野の笑顔の嫌味が炸裂する。
辺見が場の空気に耐え切れず俯いて床を見つめると、その靴を竹中が強めに踏んだ。
声にならない辺見の叫びを竹中は無視して秋山の支援を開始した。

「こんなにたくさんミーティングの場を作っていただいたんですモノ、ご期待くださいな菅野マネ」
「ふっふー。さすがの竹中さんも、今日は僕の事をちゃんとマネって呼んでくれるんですね!なんだかんだで空気読むから竹中さんって大人だなぁ、尊敬します!じゃあ来月は本当に期待してますね。前年比超えたらまた気軽にカンカンって呼んで欲しいなー!」
「ええ、ええ初旬に達成しますとも」
「おっ、聞きました?今の聞いたよね岡部くん」
「えっ、はい、はい確かに」

突然の問い掛けに岡部もうろたえる。

「岡部くんは大丈夫ですよねー。今月たまたま不調なだけでね。宮川くんが調子いい時って岡部くんが落とすから、なんなら宮川くんにはいつでも不調でいて欲しいくらいかなーなんて」

さすがに岡部はこれに返答出来なかった。
宮川が苦労しているのを傍で見ている。
菅野や自分や、秋山や竹中と違い、宮川は殆ど本心を表に出さない。感情が無いのではない、表現するのが不得意なだけ。
自分はやっと、宮川の考えている事ややりたい事を理解できるようになってきた。時間を掛けて、ゆっくりと宮川から言葉を取り出してきた。高く聳え立っていた壁を取り除きはじめた。

宮川が、この仕事に、この会社に、全力で立ち向かっていることを、菅野は知らない。杉浦も理解していない。

そう考えたら返事をするのが嫌になった。

話にならない。
そう思った。

「辺見さんは仕事が丁寧すぎるのが弱点なんですよねー」

突然に呼ばれて辺見が硬直する。
菅野が続ける。

「丁寧なの、辺見さんは本当に、ザ・女性!あ、これセクハラになりませんかね?なるかな?褒めたつもりでもなったりするからなぁ、気をつけないといけませんね!まぁとにかく仕事が丁寧なのは良いんですがー。時間掛かりすぎるのはお客様にご迷惑かかります。今のの半分くらいの時間で契約こなしていただけたら。まあね、竹中さんは辺見さんの四分の一のスピードなんですよね。それはちょっと早すぎっていうか、雑なんじゃないかなって不安だったりもしますが」

ハラタ店スタッフの二人が目線だけで会話をする。
辺見ちゃん、あとは聞き流すのヨ。泣いたら張り倒すわヨ!
竹中くんこそ短気起こさないでよぅ。

「あれ?言いたいこと言っちゃった気がする!うん、秋田に言いたいのこれだけだったんです。やだなー僕。皆に会いたくてつい召集掛けちゃった!電話一本で済む話でしたねぇ。あっははー。じゃあ来月頑張りましょう。来月来月って言ってる内に来年になるかもしれませんが、その時に座る席があるとラッキーですね。それは僕も同じ事なんですけどもー」

菅野の嫌味が頂点に達する直前、金谷が菅野に声を掛けた。

「昼。昼になる。どうする?昼休もバラにすんの?」
「あ、そうですね。じゃあこのまま秋田にはお昼入って貰おうかな。ね。いいですよね杉浦さん」
「ええ。じゃあ皆、行こっか」
杉浦は自分のスタッフに声を掛けて、その場を立ち去ろうとした。
一礼をし、振り返ってエレベータ方向へ。
菅野が慌ててその背中を呼び止める。

「杉浦さん、昼一緒しましょーよ。スタッフだって僕らの悪口言いたいんだからー。エラい人がいるとね、息抜き出来ないですよー」

その声に杉浦は少しだけ立ち止まり、顔だけを菅野に向けた。
柔和な笑顔を見せる。

「そうですね、また今度お願いします。午後の打ち合わせしたいんで、秋田だけで話しさせてください。行こっか、辺見ちゃんは何食べたい?」
「えっ、あ、牛タン食べたいですぅ」
「秋山ちゃんはー?」
「ミナコもおんなじー」
「じゃあそうしよう。べっちゃんもタケちゃんもいいよね」
「はい」
「ねぇスギサマ、ノンアルコールならビール飲んでもいいでショ?」
「いいって言えないんだよわかってよタケちゃん」

談笑しながら秋田エリアのメンバーが喫煙所から退場。

岡部だけが、去り際に菅野達に会釈をした。

菅野が左手の親指の爪を噛む。

「菅野くんがふられるのはじめて見たよ」
川島が言うと、金谷も煙草に火をつけながら発言する。
「今のは菅野が悪いよね。聞いてるこっちが冷や冷やするって」
「僕?悪くないけど。別に今すぐ辞表出せって言ってるんじゃないし。やる気出してってお願いしてるだけだよ。いっつも怒ってるカネヤンよりマシ。スタッフ萎縮しちゃってんじゃん」
「どっちもどっちだろ。つまり俺が一番マシ」
「川島さんもどうかなって思うけどねー」

一瞬の沈黙。

菅野がまた、爪を噛む。

「ホントにさ、僕ふるなんて、杉浦さんくらいだよ」

爪が前歯に挟まれて、パチンと小さな音がした。

不快な音だと、川島と金谷は感じていた。



20120909 続く
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