享楽-Удовольствие-



2010年8月下旬。

お盆商戦もシーズンを終えた。
秋田エリア・マエデン販路の結果は、惨敗。

その一言に尽きた。

エルデータ内及びマエデン本部からの激しい指導が入る。
菅野は滅多に見せない重々しい表情を同僚達に見せながら、秋田エリア・マエデン販路担当者に送るメールの内容を吟味する。

杉浦。

考えれば考えるほど。
想えば想うほど。
距離が更に遠くなっていく気がする。

一昨年の夏はまだ自分は秋田にいて。
家族交流と称してキャンプへ行った。
「外で、って憧れますよね」
そんな事を言って連れ出したのを思い出す。

菅野は左手の親指の爪を噛んだ。

同僚二人が顔を見合わせ、小声で会話する。

はじまった。
噛み始めるなんて相当だな。
菅野だけのせいじゃないからな。
杉浦か。

菅野は小さな音量の「杉浦」に反応した。
同僚達に視線をやる。

にっこりと笑う。

菅野の同僚の一人金谷は、菅野がよく見せるその表情に、時折寒気を感じる。
同じく同僚の一人川島は同じものを見て、恐怖を感じる事がある。

笑うべき所ではない時にも、菅野は笑うからだ。
そのわざとらしさ。
条件反射の作られた笑顔。

裏側にある読めない感情に薄ら寒さと恐怖を感じてしまう。

ただ、そんな「感情を隠す」菅野も唯一、杉浦の前では素直な笑顔になれる事も同僚達は知っていた。
それは秋田エリアの販売スタッフさえも周知している事実だった。

自分の笑顔が他者に違和感をもたらすことを菅野は知っているのか知らないのか。
知らないのだろう。

「あ」
菅野が唇から爪を離し、突如明るい声を上げる。
「そうだ、課長に頼もう。巡店なんて面倒な事しないで、ヘルパーミーティングだなやっぱり」
嬉しそうな声。

金谷が心配そうに声をかける。
「またやんの。今月頭にやったじゃん。あんなのそうそうやんなくたって。スタッフ嫌がるだろ。まあ課長はいいよって言いそうだけどさ、秋田がいいならいいけどさ」
「カネヤンとこまだやってないじゃん。それと合同でやらせてもらう」
「ハイジマとぉ?マジかよ。ちょっと川島さんどうする」
「じゃあポルタも合同かな」
「マジかよー。会場ここ?狭くない?どの会議室使うの、使えるかぁ空いてるかぁ?」
「入るよ。入れる。売れないスタッフだけ選ぶから。あ、ハイジマとポルタは通常通りで。マエデンから呼ぶのは大体決めてるから」
「社員だけにしろよ菅野くん」
「ダメ。派遣も直雇も。売れなきゃ呼びます」

また同僚二人が顔を見合わせる。
菅野の表情が楽しそうに輝いている。
口の形も頬の表情筋も「笑顔」の形だ。

だが、目だけは、笑ってはいなかった。


菅野はただ、杉浦に会う口実を作りたかっただけだ。
今月は売れ行きが散々過ぎて、菅野はそれほど気にしていないと言うのに、杉浦がプライベートな内容の連絡を送ってこない。
今月売れないなら来月は売れる。
元々秋田ではそんな物なのだ。
秋田でなくてもそうだろう。
売れない月もある。
売れる月もある。

売れない時に何をするかが大事なのだ。

菅野はそう考える。
切り替える。
売れない事実に囚われていると身動きが取れない。
杉浦は今その状態だ。

セックスすればいいんだ。杉浦さんはバカだ。体動かしてすっきりすればいいんだ。バカだ。一つのことばっかり考えて。

そうして脳内で杉浦との逢瀬を想像する。
自分を愛撫する杉浦。
自分の為に汗をかく杉浦。
あの美しい鼻梁に汗を浮かべて必死に自分を悦ばせようとする杉浦を。

想像して、ぞくぞくする。にやにやしてしまう。体が震える。


一連の菅野の表情の変化に、同僚達がまた恐怖を感じていたとしても、菅野にはどうでもいい、些末な、無関係な事だった。



20120817 続く
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