秘匿-Сокрытие-


2010年八月某日、仙台市花京院某ビル内。

「あれ?平塚課長は?」
エアコンの冷気がうっすらと効いた室内に入りながら菅野が同僚に問いかけると、ふっくらとした赤ん坊のような体型の金谷が彼自身の机上カレンダーに目を凝らして答えた。

「山形だろ。だよね川島さん」
もう一人、プリンタ前で難しい顔をしていた研究者の様な容姿の男が返事をする。
「うん、午前にポルタ本店入りしてる筈」

菅野は大袈裟に肩を下ろして悔しがる。
「えー。マジかー。もう来てるかと思ったから急いだのに」
金谷がガムを一枚口に放り込みながら菅野を労った。
「菅野くん秋田帰りだっけ?おつおつ」
「ですです。ダメだ秋田。本店ダメ。なんなのバタフライたくさん入れてやったのに。なんで売れないの。11時までで予約の一台しかはけてないんだよ?しかもそれ滝口店から回して貰った奴なんすよ。それって昨日の数字じゃん。アオイさんに在庫全部返せって言われちゃうよ。ダメだー秋田」

その言葉に二人の同僚が顔を見合わせる。

菅野のせいだろ。
恩を仇で返したようなもんだ。
世話になった杉浦踏み台にして、蹴飛ばして秋田に置いて来て。
そうされたままの杉浦も杉浦だが。

苦笑いが部屋に蔓延する。

菅野はそれに気づいているのかいないのか、鼻唄交じりで手土産を金谷に渡した。

「また金萬だろー?」
金谷が眉を顰めながら受け取る。
「違うよ。煉屋バナナ」
「それも二回目だよなあ。秋田の土産にはもう飽きた。なんつって」
「でもたまに食べたくなるよ僕。もろこしポリポリしたくなる。はい川島さんにも」
川島に同じ菓子の箱を渡す。
川島も金谷と同じような表情をしながら受け取り、答える。
「そりゃ県民だもん。俺もバカにされたってたまに砂糖入りの甘い赤飯が懐かしくなる」
「いいえぇ。今は僕、仙台市民ですよー。住所移してんだから。そんなの平塚課長をロシア人って言うよーなもんでしょ?」
「その祖父さんも帰化してたから俺は純日本人なんだって課長言ってたもんな」
「ですです。そういうことです。ぼくは帰化した仙台人。あ、でもアレだね、この調子だと午後には課長、仙台入りすんだよね?」
「多分な。まだ連絡入らないけど」
「マジかー。あっちで飯食って来るかな?」
「食ってくるっしょ」
「じゃあ2時くらいかな。どこから回る事なってます?」
「マエデンから回れよ菅野くん」
「承知ー。そのつもりでいたからいいよ!本店と、泉と、えーとギリで多賀城かな」
「充分充分」
「夕飯どうすんだろ。僕ご一緒しよっかなー?」
「マジか、菅野働くなー」
「苦手だけどね平塚課長。悪い人じゃないけど苦手」
「菅野に苦手な物があるとはねー」
「ありすぎて生きてくのしんどいレベルですよねー」
表情筋の発達した笑顔を菅野が見せると、二人の同僚もその冗談に、笑った。



同日午後、秋田県秋田市。
マエデン秋田本店、喫煙室。
エルデータ社員・秋山ミナコは煙草を嗜まないが、休憩の時はいつもここを利用していた。
清涼飲料水の自動販売機がここにしか無いからだ。

ペットボトルのミネラルウォーターを一口飲んで、秋山は呪詛を発した。
「ふえー。今日マスト新規何台出たのぉー。えー。もうミナコやだー。マストにお勤めしたーい」
秋山ミナコのうんざりした声。
マスト勤務のヘルパーが面倒臭そうではあるが、秋山を慰めるように声を掛ける。

「今月たまたま伸びてるだけだもん。秋山さんに本気出されたらウチなんてー」
「そーんなこと言ってえー。ヤぁダぁー。ミナコ頑張れなーい。無理ー。マストのケータイならたくさん売るのにー。第一電波無いのに売れる訳があー」

そこでマストのヘルパーが秋山のマリンポロの裾を引っ張った。
休憩室の外側、透明なドアのその向こう側に、例の背の高い男がこちらへ進んで来るのを見つけたからだ。

同じ物を見つけて、『秋田美人』のそれに相応しい容姿を持つ秋山の形相が変化する。
吐き捨てる様に呟く。
「やーもうーカイワレ来やがったあー……」

ドアが開く。
「お疲れー秋山ちゃん。どしたの、三日連続新規無し?菅野マネお怒りメール読んだー?返信したー?」
杉浦の呑気な口調に秋山が嫌々返事をする。
「菅野さんには返信済みでーす。ネガティブな言葉なんか使ってませーん」
「秋山さん、先行ってるねー」
マストのヘルパーが居た堪れなさ気に席を立つ。
その席に杉浦が座った。

「秋山ちゃん」
「はーい」
「やる気ある?」

杉浦の言葉に舌打ちしそうになるのを必死で抑える。

「ありまーす。ミナコも売りたいですしー」
「うん、じゃあ売ってねぇ。出来る出来ないじゃない、やるんだってさあ」
課長の平塚がよく言う言葉だ。
さも他人事の様に杉浦が言うのが秋山には耐えられない。

「僕、菅野マネに怒られるの嫌だなあ」
自分の事なのに他人事みたいに。

抓ってやりたい。
ギリギリ思いっきり、万力で力いっぱい抓ってやりたいわその高い鼻。

苦虫を潰したような表情で秋山は思う。
杉浦のアジアンテイストな顔のパーツの中で、一際目立つ高くて筋の通った美しいラインを描く鼻。

泣かせてやりたい。

秋山の中に黒々とした感情が沸き起こる。
そのお坊ちゃま然としたのんびりした顔を困らせたい。
秋山ちゃんがいないと僕は困っちゃうんだ。そんな事を言わせたい。
この背の高い男を自分の足元に跪かせてみたい。

そうでなければ。

菅野に泣かされたらいいんだ。

秋山は言ってやった。
「菅野マネがよーっぽど怖いんですねー杉浦さんて!どーしてー?ミナコわかんないなー。秋田いた時はあんだけかんちゃんかんちゃん杉浦さん杉浦さんて仲良くしてたのにー。菅野マネなんかー、杉浦さんいなかったらあ、マネになれなかったでしょー?杉浦さん感謝されてもお、怒られる筋合い無いじゃないですかー」

出来るだけ巫山戯た口調で。
嫌味と憐憫を混在させて。

杉浦の穏やかな表情を変えてみたくて。

それなのに杉浦は相変わらず柔和な微笑を称えたまま、ただ

「それでもかんちゃんは菅野マネだからねえ。怒るの仕事だから」

そう答えて、煙草を取り出し、咥えて、火を点けた。

秋山は杉浦の鼻を全力で抓る代わりに、杉浦に見えないように自分の二の腕の一部にギリギリと爪を立てた。


20120812 続く
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