逢瀬-Свидание-



後ろ手に菅野が部屋のドアを閉じた。

「ただいまです」
薄い唇が大きく横に開き、ニコリと笑顔を作る。

杉浦も微笑みながら答える。
「おかえり。お疲れ、かんちゃん」

菅野がどさりと音を立てて、やや大きめのビジネスバッグを床に落とす。
スーツ姿の菅野を、普段着の杉浦は全身で抱きしめた。

菅野も杉浦の背中に両腕を回す。

「ひゃー。いい匂いします。先にシャワー浴びちゃったんですね」
「うん。軽くね」
「一緒に入りたかったのにな」
「ここじゃどっちにしたって無理だよ、二人は」
「杉浦さん、こんな狭いユニットバスだと苦しいでしょう」
「苦しいよ。天井が。脚伸ばせる風呂に入りたいな」

杉浦が取ったビジネスホテル。
ここはアリバイ工作用の部屋。
実際は、今夜二人で郊外のラブホテルへ一泊する。

ラブアフェアの為の緊急避難壕。
ラブシェルター。

もう一度強い抱擁。
菅野の折れそうな細い首や肩。
しなやかな筋肉の波動。
そして唇を唇で捉える。

啄む口づけを交わして、やっと身を離す。
それでもまだ手を繋いで。

学生の様な恋心。

離れたくなくて、触れ合っていたくて。

「かんちゃん着替える?」
「どうしようかな。持ってきてはいますけど、面倒だな」
「でも外で飯食うだろ?」
「そうですねえ。皺なると怒られるしなあ」
「奥さん元気?」
「元気元気」
「ミっくん達は?」
「病気知らずです。奥様お元気ですか?」
「ちょっと更年期」
「レスレス言ってないでやる事やらないといけませんよー。ルルカは?」
「すごい毛が抜けてる。あ、ごめん」

薄毛を気にする菅野には禁句だった。
菅野は少しだけ恨めしそうに杉浦を睨んで、次に黒いビジネスバッグに手をかけた。
広げて、中から私服を取り出す。

白いTシャツと濃いデニム。ビニール袋に包まれた青いスニーカー。
スーツは杉浦の部屋のハンガーへ。
菅野が着替えをはじめる。
遠慮なく脱いで行く。

「今日の僕は吉田栄作です!」
「岩城滉一」
「さすがに古いよ杉浦さん。せめて反町隆史」
「きっとそれももう古いんだろうね」
「昭和だからなー僕たち」
「今なら?」
「さあ……小栗旬とかですかねえ。よく知らないけど」
「かんちゃんでそれじゃあ僕はどうすればいいんだろうね」
「おっさんですからねー僕たち」

笑いあう。

近所のコンビニへ出掛けるような服に着替えを済ませると、菅野は前髪を指でくしゃくしゃと解して揺らし、額へ下ろした。

雰囲気が少しだけ若返る。

「ぱっと見、大学生だよねかんちゃんは」
「小柄の唯一の特権です。忍法若作り!」
「若作りって、微妙に褒め言葉じゃないねー。羨ましいけどな。僕ずっと老けてたし」
「杉浦さんのは『落ち着いてる』って言うんですよ。落ち着きない僕からは羨ましいです」
「物は言いようだなあ」

それでも褒められて嬉しくない筈がない。

杉浦はもう一度菅野の手首を掴み、優しく体ごと自分に引き寄せる。

額と、鼻と、そして唇にキス。

「準備いいかい?」
「ええ。行きましょう!何食います?」
「牛タンは飽きたからね僕」
「えー。僕は全然飽きないですけどねー」
「魚がいいな。魚介。海鮮。刺身」
「しっとりしてんなー杉浦さんは」
「40過ぎたからねえ」

ドアの内側までは手を繋いだままで。
杉浦が開けて、廊下の様子を伺う。
誰もいない。
静かだ。
目の前にエレベーター。
二人で出る。
カードキーでロック。
すぐに階下へ向かうボタンを押す。
箱は最上階にあるようだ。

その隙を狙われて、杉浦は菅野に腕を組まれた。
男女のカップルのように。

「……エレベーター開いたらさ、人いたらどうするとか考えないのかんちゃん」
「考えてるからやってるんですよ。杉浦さんの冷や冷や顔が見たくて」
「チキンレースみたいな物かい?」
「そうです。どちらが先に腕を解くか」

あと数秒で目の前のドアが開くだろう。
杉浦の心臓が強く脈打つ。

他の階には別エリアの同僚数名も宿泊している。
夕食や飲みの誘いをなんとか言い訳をしながら断っている。

それなのに、菅野と二人でいる所を目撃者されたら。
私服の菅野と。
上司の菅野と。

腕を組んだ菅野と。

殆ど目前に点滅する、フロアを示す灯り。
自分達のいる階で明るく光り、そして消え、エレベータのドアが開こうとする。

慌てた。

腕を振り解こうとしたその瞬間、菅野に強くしがみつかれる。

「かっ……」

顔が熱くなる。
背中は冷たく感じた。

エレベーターの中は空だった。

「なんです?因みにね、坂口さんと前田さん、黒沢さんのお三方はね、僕がホテルに入る直前にね、タクシーに乗るところを僕が目撃してるんですよねー」

同僚達の名前を告げられる。
菅野の、試すような笑顔。

「……離れて、かんちゃん。それこそタクシーに乗るまででいいからさ」
「わかりました、いいですよ」
ニヤニヤと。
悔しくて菅野を見返す事が出来ない。

エレベーターの中に鏡。
しきりにニヤニヤの笑顔を杉浦に向ける菅野と、俯き加減の自分の姿が映っていた。


20120807 続く
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