浸食-Эрозия-



杉浦はその一瞬、菅野の瞳に翳りとも違う、暗い輝きを見つけた様な気がした。

気のせいだったと思う。今となっては。

何故ならその後はじまったヘルパーミーティングでは、いつも以上の激昂じみた激励と慇懃なる叱咤が菅野の口から発せられたからだ。

「変なテンション」
黒いスーツに派手なピンクのネクタイが意外にもよく似合う竹中が、ボソリと、だが杉浦には聞こえるように呟いたのを聞き逃さなかった。
続けられた
「スギサマのマリンポロが可愛いらしくて舞い上がってんのかしらカンカン。ね?」
と言う台詞は、無視した。

そう。翳りや暗い輝きなど、そんなネガティブな印象は嘘だ。
寧ろ菅野は普段より一層「太陽」的。

「そーゆー訳ですからねぇー!この夏もー各店舗在庫の数が怪しいんですけどー!ある弾だけでこの数字乗り越えてかなきゃなんですね!!でないとね!残った端末の分だけ僕の指が切り飛ばされるんで!平塚課長にね!
怖いんだよ平塚課長!ニコニコしてるけどホントに僕の指切るよあの人!わかった?宮川くん、その自慢の襟足も平塚課長に刈り上げられちゃうんだよ!?
はいっ、ここで平塚課長のいつもの奴言うよー!リピートアフターミー!
『出来る出来ないじゃねぇ、やるんだよ』!!はいっご一緒にー!!ちょっとなんで言わないんだよみんな!こーゆーのやっといても損しないんだからね!」

ヘルパー達が笑い、会議室の中も少しだけ柔らかい雰囲気に変化する。

長めの会議用机の一角に席を取った竹中の、その隣に杉浦は立って、前方の菅野をただ黙って見つめていた。

「平塚課長は?お休み?」
竹中が自分のもみあげを弄りながら隣に佇む杉浦を見上げて問う。

「今日は本社だって聞いたよ」
「あらそう本社なの。残念。お会いしたかったわあ」

僕はお会い出来なくて、ちょっとだけだけど、良かったなあって思ってる。
言葉にはしなかったが、苦笑が顔中に広がったのだろう。
竹中に呆れたようにため息を吐かれた。

竹中の傍を離れ、ゆっくりと会議室内を移動する。
腕時計を見る。
予定ではあと10分で菅野の「夏の在庫不足対策講演」は終わる。
それから15分の休憩。
その後は昼まで新料金プランの説明会を自分が。
昼休憩を一時間取った後、午後からは新商品説明会。

料金プランのレジュメを確認しようと、前方端に設置されていた自分の席に戻ろうとした時。

足元がふわふわした。

「やだ。揺れてない?」
秋山の怯える声が最初に聞こえた。
会議室内がざわめく。

「揺れてるねー」
わざと、やや大きめの声で杉浦が平静を装った感想を述べると、不思議な事に焦るような声はもう上がらなくなった。
ただ、静かに、揺れが止まるのを全員で待つ。

会議室はビルの23階にある。
揺れを大きく感じやすい。
大丈夫だ。すぐに収まる。

「……うん、止まったね。誰かワンセグつけて」

杉浦が促すと、その近くにいた岡部が床に置いたバッグから携帯電話を取り出す。
電源を入れ、ワンセグを起動する。

緊急地震速報、早く対応したら良さそうなのにな、うちの商品。他もまだまだだけど。
しかし大丈夫だろこれ。余震も無さそうだし。

岡部が杉浦に向かって言った。
「仙台市、震度2です」
「だろうね。ここが高いからなあ。揺れたように感じたね」
そう言って菅野に同意を求めようと振り返る。

菅野が笑顔を貼り付けたまま、青ざめていた。

かんちゃん地震弱かったのかな。

会議室内が菅野の変化に気付く前に、杉浦は宣言した。

「ちょうどいいから、今から15分の小休憩ねー。そのあとバタフライの新料金プランやります。もしかしたら余震あるかもしれないけど、各自気を付けて。避難経路確認しつつ、はーい、解散ー」

パチ、と両手を打つと、いつものマリンポロとは違う、黒いスーツを身に纏った男女が会議室からわらわらと出て行った。

二人きりになった時。
杉浦のスーツの袖を、引っ張った。
菅野が。

縋るように。

「……杉浦さん……」
「大丈夫?じゃないね。タバコ吸いに行ける?」
「うん、行く……でもちょっと待って下さい。気持ち悪い……うえ、まだ揺れてる気がする」
「地震苦手だったっけかんちゃん」
「……ここ、高いから特に……逃げられないんじゃないかって……」
「いざとなったら僕が抱えて逃げるよ」
そう告げる。
本心から。
菅野の一人や二人、自分なら抱えて走れる。
菅野がようやく、口の両端を力なくだが上げる事に成功させた。

「杉浦さんの冗談……笑えない」
「かんちゃん笑ってるじゃないか。冗談じゃないしね。本気だよ。抱えて逃げるよ安心していいよ」
「そっかあ」

菅野は突然、自身の両頬をパシンと叩いた。
「気合いっ!」
もう一発、パシン。

「痛そう。かんちゃんは自分にも容赦しないね」
「そらそうです。自分に甘い奴になんか誰もついてこないからね。行きましょう杉浦さん。煙草とコーヒー!」
「そうだね、うん」

気を取り戻したらしい菅野に安心した。



20120805  続く
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