邂逅-Сталкиваться-



「キャッシュカードと身分証明書……運転免許証があればいいですよ」
「はぁ」

そうだった。印鑑要らなかった。忘れてた。
引き落としの手続きする時、判子押すところなんか無かったんだ。

マストとQOQOは手書きの契約書だったから必要だったけど、エルデータの契約書はタブレット型のPCにタッチペンでサインしてもらって、それだけで良かったんだったっけ。

もう何年も前の事で、自分がやってた事だったのに、忘れてた。
やってたって言っても3ヶ月くらいだけど。

もしかしたらマストやQOQOの契約書も、印鑑押す所なんて今はもう無いのかもしれない。

携帯なんか無くたって生きて来れた。
息するだけ、してた。

背がびっくりするくらい高すぎるその店員さんは親切だった。

派遣……違う気がする。言っちゃ悪いけど、その店員さん、結構年齢行ってると思った。

首になんか掛けてる。写真付きの名札。社員証?ああ、エルデータの社員さんなんだこの人。
社員さんがヘルパーのマリンポロ着てるのなんか初めて見た。
最近は店舗に入ったら皆マリンポロ着せられるのかな。

店員さんから蜜柑みたいな、レモンみたいな、美味しそうな涼しげないい匂いがほのかに漂ってくる。
急に自分の体臭が気になった。
最近はちゃんと風呂に毎日入ってる。入れるようになった。
大丈夫だ。

「容量はどれくらいをご希望ですか?あとそうだな、色は?」
店員さんの言葉に違和感。

「あの」
「はい」
「容量って?色は、色はなんでもいいです」
「あー……そうですね、バタフライに入れておくデータの量が多くなる予定であれば、大きい方がよろしいかと。お値段もね、実はそんなに変わらなかったりしますし。一ヶ月ごとの比較だと本当に変わらないですよ」
「本体代金、一括で買おうと思ってます」
「え?あ、ああそうなんですね!一括かー、一括。一括だったらこんな感じで、後は毎月の使用料ですね」
バタフライの実機の隣に価格表があった。
店員さんがそれを見せながら説明してくれる。

違和感の原因がわかった。

言葉が、こっちの言葉じゃない。
言葉って言うか、イントネーションが違う。
標準語っぽいけど、それも違う。
俺が昔、よく耳にしていた抑揚。
それから、さっきの語尾。
かー、って。
かすかに濁ってた。「がー」っぽい感じの。

「お兄さんは、どこの人ですか」
「え」

バタフライだけにしか用事は無かったから、人と会話なんてするつもりも無かった。
けど、聞いてしまった。
店員のお兄さん(にしては少しとうが立ってる気もするけど、俺から年上ならみんなお兄さんで構わない筈だ)は照れくさそうに答えた。

「僕、今日は秋田から来てて。出張でね、四国のマエデン内エルデータ廻ってるんです」
「……ほだべなって思ったす」
「あれ?」
「俺も、秋田生まれで。凄い。何年ぶりだろ。家族以外の秋田訛り」
「そうなんだ!いや、そうなんですね!あー、遠いですねぇ徳島って。四国って!へぇ。凄い!え?どこ?秋田のどこ?」

お兄さんのテンションがちょっとだけ上がったみたいで、俺は苦笑した。
なんだろう。俺、何してるんだろう。
こんな普通の会話してる。

「俺、森岳の出身で。あ、でも高校は秋田市内で、二十歳まで秋田市で。その後引越しして、こっちに」
「おー!じゅんさい!」
「あ、はい、うん、親父がやってた、じゅんさい」
「いいねぇいいですね、僕今年まだ食べてないなー。あー、早く帰りたいです秋田。暑すぎですね徳島って。街路樹とか、秋田じゃ見たこと無いようなのあるし」
「うん、南国の木ですよね。大きなパイナップルみたいな」
「そうそれ!あんなの秋田じゃ見ない。僕の実家の近くなんかアカシアしかなかったし」
「……お兄さんは小坂?」
「そうです!僕も高校から秋田市内で……あ、ああすみません、興奮して」

慌てて真顔に戻るお兄さんが可笑しくて、口の両端が変に歪んでしまったけど、笑ったように見えたかはわからない。
笑い方は覚えてない。
でも、俺の中にも「楽しい気持ちになって笑いたくなる」感情が残ってるんだなって言うのは発見だった。

もう少し聞いてみた。
「お兄さんはいつ秋田に帰るの」
「今夜です。あ、でも秋田じゃなくて、仙台に向かうんだ」
「支店に寄る?」
エルデータの東北支店。仙台市内。仙台駅から徒歩5分くらい、だったかな。西口から出て北へ向かう。
二回行った事がある。

お兄さんが少し驚いた表情になった。
俺は慌ててしまう。
「秋田の人が仙台に寄るなら、支店とか、なんかそういうのがあるのかなって」
「あ、ええ、はい。そうなんです。まっすぐ帰られないですよ。飛行機でね、びゅんって。僕飛行機怖いから電車がいいんですけど」
「徳島に電車、無いよ」
「え?まさか」
「汽車だよ。線無いよ」
「線?架線の事ですか」
「かせんって言うの?知らないけど。上の線。無いよ」
「……またまたぁー。おじさんからかってー」
「ホント。マジで。時間あったら見て。無いから。秋田でも新幹線あるのにね」
お兄さんが固まってしまって、なんだか面白かった。
あんまり固まらせても悪いから、バタフライの実機を手にしてちょっと遊んでみた。

CMでやってるみたいに、指でついーって。
ツルツル滑ってく。
あ、あれだ。スーパーマリオブラザーズだ、この感じ。
昔うちにあった、中古のファミコンと一本だけのソフト。
周りはプレステとか持ってたような気がするけど。
面白かったなスーパーマリオ。

「うん、じゃあその、デカいの?って言うの?それ下さい」
「デカ…ああ、容量ですね、容量の大きいの」
そうお兄さんが言った時、お兄さんの胸元で音が鳴った。

マリンポロの胸元からバタフライを出した。
画面を見て、お兄さんがなんか呟いた。
「かんちゃんのKY」
みたいな、そんな感じに聞こえた。
お兄さんは着信っぽいそれを無視してバタフライをまた胸元に仕舞った。

「いいの?出たら?」
「売り場で電話出られないんですよ。後で掛けなおすんです」
そっか、そんなルール(マナー?)あったっけな。
俺、そういう常識よくわからなくて、秋山さんに教えてもらったな。

「優しそうな顔してバタフライ見てたねお兄さん。奥さん?」
「いや、上司ですよ……色はどうされます?」
上司にちゃん付けとかするんだな、とか思ったけど、色について考えた。

「お兄さんと同じのがいい」
「黒ですよこれ」
「青かったよ?」
「カバーです。バタフライ専用カバー」
「じゃあそれも買う」
「色んな種類ありますから、一緒に選びます?」
「うん。他にそういうの、なんて言うんだっけ、アクセサリ?何があればいいの。教えて。俺ホント知らないんだ。こういうのよくわかんなくて。パソコン使えないし」
「パソコン無い?ネット環境も無いって事ですか?」
「うん、無いよ」
「そうですね、じゃあ……バタフライはネット環境が揃うと面白さが倍増します。無線で自由に」
「うん、よくわかんないけど、お兄さんの言うとおりにする。今日欲しいから、今日中に全部揃えられるようにしてくれたらいいな。あ、全部一括で今日、現金で買うからね」
「ありがとうございます、承知しました、努力します」
「お兄さん、俺でも使える?バタフライ」
「使えますよ。触っている内に必ず。ただバタフライって、お渡しの際にもお伝えしますが、中に使い方の説明書って無いんですよ」
「無いの?困るよ」
「市販のガイドブックって言うのもありますが、バタフライで調べたらいいんですよわからなくなったら」

なんだか頭が混乱してきた。
よくわかんない。
難しそうだ。

お兄さんのマリンポロの真ん中で、社員証が揺れてる。
焦点が合った。

杉浦弘基

そう書いてあった。

「ヒロキ?」
「え?あ、はいヒロキですが」
「俺もヒロキだよ。同じ名前だね。字は違うけど」
「そうなんですか。凄いな、本当に今日は偶然ばっかりだな!奇跡ですよ。運命ですね!ヒロキさんはどういう字を?ああ、もしよかったらここに名前を。契約書じゃないです。端末に入力する為の書類なんで」
「うん、俺はね」

ボードとペンを渡された。
一枚の紙。「お名前」の欄に書いた。

湊 裕喜、と。




20120804 続く
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