菅野に別れを告げてから2週間が経った。
その間、二人は何事も無かったかのように日々の業務をこなした。

それが当然の、大人の行為。

菅野は相変わらず元気な声を出して別部署にも士気を上げている。
「エルデータのよさを知ってもらわないとね!今のままじゃ勝てませんよ!それで僕が考えたのが」
そんな風にプレゼンも。

会議室でその様子を眺めながら杉浦は思ったのだ。

別れて良かった。

最初の数日は後悔した。
だがどうだろう。
実際、あんな事があったのは夢ではないかとも考える。
男とキスをしたり、セックスをしたり。
その相手は菅野で。

一瞬でも、愛している、と思っていた。

あれは夢だったに違いない。
自分の菅野に対するコンプレックスの具現だったのだ。

菅野を征服した気分に浸っていただけだ。
現実はそんな物ではなかったのに。
ますます、出来ない自分と出来る菅野の差を見せ付けられただけだった。

あの別れを自分から切り出しておいて、杉浦はそれをしばらく引きずった。
翌日の菅野は明るい顔をして普段どおりに挨拶をして。

その程度の男だと思われたんだろうな。
それでも仕方ない。
その通りなのだから。

杉浦の思考は底へ沈んでいった。


久しぶりの秋田訪問をした安東が、会議を終えた後で杉浦に声をかけてきた。
「お疲れ様です杉浦さん、あのですね、菅野くんの事なんだけど」
「はい。何か」

菅野の事と言われて、心臓が止まりそうに驚いた。
何がだ?何が菅野の事だって?

安東は骨と皮しかないような薄い体と顔で、しかし柔和な表情で微笑んだ。

「菅野くん調子悪いんですか?なんとなく本人に聞けなくて」
「何かあったんですか?」
「いえ、別にね。杉浦さんも調子悪そうですしね」
「そんな事ないですよ」
「僕らが働かせすぎなんですかね?あはは。でも頑張ってくださいよ。秋田、このままじゃ全員異動も考えるって、あの方が」
「…久保課長ですか」
「そうです。菅野くんの見てる店舗の成績が先月急激に下がったでしょう。杉浦さん担当の所がちょっと上昇してたけど、本店はね、特にね、菅野くんが見てるだけに…目に付くんですよね」
「先月…そうですね」
「二人は仲が良いから。菅野くんに何かあったのかと思って。でも会議中ずっと杉浦さん見てましたけど、どうしたんです?菅野くんと視線が合うことが無かったでしたよ」
「そうですか?気のせいですよ」
「そうかなぁ」

ふう、とため息をついて、安東が思案顔になる。

「業務上でなにかトラブルでも?」
「いえ、ありません。大丈夫ですよ。秋田は僕と菅野くんで引っ張り上げます」
「その台詞、菅野くんっぽいですね。そういうの好きですよ」
「はい、今月は秋田エリアのスタッフみんな頑張ってくれてますから」
「スタートダッシュが良かったですもんね。とりあえずQOQOには差をつけてるし。追いつかれないようにしてくださいね」
「はい」

そこで会話は途切れた。
菅野の声が廊下から聞こえてきたからだ。
安東を探しているようだ。

「菅野くん、ここですよ」
安東が言うと、菅野は部屋を探し出して、ドアからちらりと顔を覗かせた。
わざとらしく、杉浦は顔を背けてしまった。

「安東さん、ヘルパーさん達が親睦会やろうって。安東さんと飲みたいって言ってますが…もう仙台に戻られますよね」
「ん?だったら泊まってくよ。明日青森だし」
「そうですか。じゃあ、どっか準備しますね」
「うん」
「杉浦さんも、行きますよね?」

突然声を掛けられてびっくりする。
「い、く、よ?」
「どこいいですかね」
「…前はどこだったっけ」
「ハタカジ屋でした」
「同じでいいんじゃない?」
「了解です」

にっこり笑って、菅野は去っていった。
菅野は何も変わっていない。
変わっていないように、杉浦には見える。

安東にとってはそうではないようだ。

不思議だ。

「雨降ってきたんじゃないですか」
「え?」
安東の声に、窓の外を見る。
雨粒が窓を濡らしていく。

「店はビル内なんで大丈夫です」
「ああ、そうなんだ。だったらいいですね」
穏やかな笑顔を見せる安東。
杉浦は気が気ではない。

何か、気づいているのではないかと。






安東をホテルまでのタクシーに乗せて、最後に残ったのは杉浦と菅野の二人になった。
静かな雨の中。

「おつかれさん、かんちゃん。急な幹事大変だったね」
一応、ねぎらいの言葉をかける。
「楽しかったからいいですよ。飲み足りないですけどね」
「かんちゃん明日休みなんだっけ」
「そうなんです。だから飲みなおしに行ってきます。じゃあ、お疲れ様でした」

去っていこうとする菅野の腕を、なぜか杉浦は当然のように掴んだ。

菅野の肩が揺れた。
腕をつかまれたのに、自分の進行方向しか向かない。
杉浦を見ようとしない。

「僕も一緒に行っていいかな」
「…いいですけど」
「うん、じゃあ」
「腕は離してもらえますか。痛いです」
「ああ、ごめん」

杉浦は自分でも驚いていた。
何故菅野を引き止めたのだろう。

本当に、今日の菅野は頑張ったから、感謝の気持ちを直接伝えたくて。
それにはもう一軒必要だと思ったから。
言い訳だ。

無意識に菅野を捕らえた。

雨が二人を濡らす。
天気予報では今夜までは晴れマークだったはずなのに。

冷たい雨。
禁じられた二人。
雨は誰にも等しく冷たい。

「…こんな事されたら僕、期待しちゃいますよ」
菅野が俯きながら言う。
「…期待させてるのかな、僕は」
「デリカシーって無いんですかね、杉浦さんて」
「無いってよく言われるよ、ミユキに」
「そうでしょうね」
「仲の良い同僚には、戻れるかな」
「そのつもりでいますよ、今は」
「今は?今だけ?」

そう杉浦が言うと、菅野は杉浦の顔を覗きこむように見上げた。

「いつか杉浦さんが、僕を必要とするまでの、今」

僕には君が必要だよ、と、その一言が言えなかった。
言えばダメだ。
元の通りになってしまう。
なんの未来も無い不毛な関係に戻ってしまう。
それではあの別れに意味はなくなってしまうじゃないか。
だめなんだ、かんちゃん。

声にならない声が菅野に聞こえたのだろうか。
にっこりと笑って、菅野は宣言した。

「待ちます。僕、長期戦も得意なんです。だって僕は一番にしてくれなんて思ってない。二番目でいいんですよ」
「かんちゃん」
「あ、店やってる。良かった。やっぱ締めはマル庵の茶漬けだなー」

赤い提灯が見えた。

雨はまだしとしとと降っている。
冷たいのに、優しい。
優しいのに、冷たい。

軟弱な自分のようだと、杉浦は思った。


20100209完


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