ダイキリを飲み干すと、依栖はカウンターから離れた。
会計を済ます。エリアデス・オチョアの歌声が少し気だるいカフェを出る。
外に出ると灼熱の太陽が待っていた。
眩しさに顔をしかめる。
サングラスをしてくれば良かったと後悔するが、もう遅い。
ここはキューバ・バハナ。
日本から脱出した兄弟がここに来てから二ヶ月になる。
言葉の不自由さを覚悟していたが、それはどうにでもなる事が判った。
バスに乗る。
さほど混んでいないが、開いている席は無い。
色の黒い地元の人間達が珍しそうにアジア人の顔を見る。
子供が依栖の顔を見て笑う。
どこの国でも子供は無邪気だ。
依栖は気にしない。
バスが発車する。
旧市街へ入った。
バロック様式の大聖堂の前を通り過ぎる。
30分程バスに揺られてから、目的の停留所で降りる。
そこから静かな住宅街の中を少し歩くと、豪奢な白亜の建物が見えてくる。
それにつれて、不思議と猫の姿をよく見かけるようになる。
建物の中には入らず、庭に回る。
フィンカ・ビヒア邸。
あちこちに猫がいる。
逃げない。
一匹を捕まえてみた。
なるほど、と依栖は感心する。
圭のゆうてた通りやんな。
猫の指を数えると、6本ある。
これがヘミングウェイの猫か。
猫を放す。
不意に日本語が聞こえてきた。
数人の若い女性の声。振り返って様子を伺う。
観光客だ。
猫を見てキャッキャと騒いでいる。
どこに行っても日本の女は騒がしい。
懐かしい、とは思わなかった。
プールに出た。
向こう側に圭が立っていた。
派手なシャツを着て、しっかりサングラスをしている。
水面を見ていた様子だったが、依栖が手を挙げるとこちらを目を向けた。
同じ様に手を挙げる。
依栖は庭を見渡しながら、圭の傍に寄った。
質問する。
「ヘミングウェイて、いつくらいの人なん?」
「1930年代て書いてたで」
「読んだ事あんの」
「『老人と海』だけな。あんなん老人性のキチガイの話やで。3日間も船の上で一人でカジキと戦うねんで。ほんでオチはそのカジキが鮫に食われんねん。しょーもな。アホや。こわいわ」
「やってゆうてもノーベル文学賞やろ?」
「んなもん紫式部が貰ろてるくらいやで。死んでんねんで。訳判らん賞や。お前かなり酒臭いで。どんだけ飲んでんねん」
「三杯しかひっかけてへんよ」
「水ん中落としたろか」
「やめてくれ」
依栖は笑った。
だが圭は少し考えるような仕草で依栖を見ていた。
「なに?」
「傷口開かんか?大丈夫か?」
ああ、と依栖は頷く。
あの時、依栖は後から山本が来ている事を知っていた。
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