『長谷川拓也はもういない』
聞こえた。
『長谷川拓也はもういない。旅立った。今頃シゲの元にいる。ここにあるのは抜け殻だ。お前はこのままナースルームに向かって、今日の脱走を反省しろ』
聞こえた。神様は俺に拓也ちゃんの不在と脱走の反省を促した。
違う。
違うだろ。
そうじゃないだろ。
だってその声は、徹の声じゃないか。
勇志さんの声じゃないか。
アオちゃんの声じゃないか。
玉田さんの、ヨウスケさんの、ぐっさんの、カオル兄さんの声じゃないか。
誰かの声じゃないか。神様の声じゃない。そうじゃないよ。
でもそれは現実の声に変わった。
俺の隣に、看護士Hに腕をつかまれた勇志さんの姿が見えた。
「捕まっちゃったね、ゲームオーバーだよ、ヒロキちゃん」
俺は、手に持ったシゲの写真を床の上にバラバラと撒き散らした。
それからの事はあんまり記憶に残っていない。
神様の声と勇志さんの声を聞いた後の記憶で一番鮮明なのは、保護室の檻だった。
排泄物の臭いだった。隣の檻から叫ぶ徹の声だった。
TVもベッドも無い、ただの檻。
看守がいれば、刑務所みたいな感じだと思う。
幸か不幸が俺は拘置所や刑務所に入ったことは無いからわからない。
徹が以前「拘置所より保護室の方がずっとマシだ」と言っていたが、それなら俺は一生犯罪なんか犯さない。
これ以上に不衛生で汚らしくて寒いところには行きたくない。
俺はベッドのぬくもりを欲しがっていた。
二週間くらい過ぎた頃に、俺は仮釈放された。
保護室の中は窓もカレンダーも時計もなく、時間の移ろいがわからなかったが、その二週間の内に雪が降り積もったらしい。
柵の付いた窓の外を見ると、三十センチ以上は積もっているように見える。
保護室よりはマシだが、二〇三号室の自分のベッドにもぐりこんでも寒気がした。
風邪でも引いたのだろうか。
同じく、徹も釈放された。
勇志さんは、他のメンバーを扇動したという理由でもう一週間保護室に取り残される事になったらしい。
俺は二〇五号室の窓ガラスを割って看護士達の注意をひきつけておいた役だから、俺ももう一週間入らなければならないと思ったけど、この寒さでまた保護室に入るのは嫌だった。
勇志さんには申し訳ないことをしたと思った。
そして、拓也ちゃんはいなくなっていた。
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