春。
待ち焦がれた春だ。
あんなに多くの雪が積もっていたと言うのに。
そんな事はすっかり忘れて、一面のたんぽぽ畑。
黄色と緑の絵の具で描いた花畑。

車を停めて、杉浦と菅野は二人で見入った。

暖かい日差しの中で、春の到来を心から喜ぶ。

何を言うでもなく、手を繋いだ。
そして革靴やスーツが汚れる事も厭わず、二人でたんぽぽ畑に入り、しゃがんだ。

この後はもう業務は無い。
直帰だ。
気にする事など何も無い。

何も。

「杉浦さん。いい天気ですね。昼が長くなって嬉しいですね」
「そうだね」

菅野の手をぎゅっと握る。

「久しぶりですね、杉浦さん」
「そうだね」

菅野は仙台からの出張だった。
秋田へ来たのは3週間ぶり。

「盛岡、どうだった?」

杉浦が尋ねる。
盛岡で二年ほど前に、自殺未遂を起こしたヘルパーが復帰したのだ。

菅野が微笑む。

「元気そうでしたよ。良かった。ホントに」
「そうだね」

それで話は終わった。
それだけだ。
それだけなのに、この幸福感は何なのだろうと、杉浦は思う。

負け犬。
そうだ、僕は負け犬なんだ。

出世で菅野くんに負けて。
なのにこんなに、菅野くんに会えて幸せなのは何故なんだろう。
力強さに惹かれる。

しなやかな、力強さに。

予告無く菅野が言った。

「昔の話をします。あのね、僕をね、好きだった男の子の話です。前にも話しましたっけ。彼はね…」

その話は、少し日が傾くまで続いた。
途中、菅野は鼻を啜り、泣いていた様でもあった。

だが杉浦はその顔を見ていない。
ただたんぽぽ畑をひたすらに眺めていた。

菅野が自分の過去を話す事自体が珍しくて、困惑したのもあったし、菅野のはっきりとした発音の美しい声をただ聞いていたかっただけでもあったし。

それに。

かんちゃんの過去に、何があっても、君の事を好きな事に変わりは無いよ。

そう告げる瞬間を見失った所為でもあった。

「…で、彼が今、どうしているか僕は知りたいと思ってます。徳島だって。出張命令出ないかな、って、そんな事考えてます。杉浦さんの事だけ考えてたいのにね。盛岡行って、長谷さん見たら、そんな事思い出しちゃって。僕はバカだ」

そしてまたグス、と鼻を啜った。

何故悲しくなるのだろうと杉浦は不思議で、繋いだままの手を握り締めた。
握り返される感触。

そうやって、風が少し肌寒くなるまで、たんぽぽ畑に二人で座っていた。

この後、二人で泊まりに行く。

杉浦はその事ばかりを考えていた。
セックス。

いつもと逆だ。
セックスの事ばかり頭にあるのは菅野の方ではなかったか。
そう考えると、自分がおかしくて、情けなくて、菅野の話題が耳に入らなかった。

なんでもいいんだ。かんちゃん。
僕は今の君が好きだよ。
好きだ。
嫌いだし、好きだ。
怖いと思う。君が怖い。苦手だし、嫌いだし、それでも好きだ。

愛していると言っていい。

「愛してるよ。かんちゃん」

言葉にしてしまった。

菅野が驚いて、杉浦の顔を見詰める。
そこで漸く、杉浦も菅野の方を見る事にした。

「愛してます、僕も」
「うん、そうだね…徳島、どんな所なんだろうね。僕も行った事無いよ。雪なんか降らないんだろうね」
「どうなんでしょうね」
「台風は来そうだね」
「そうですよね…杉浦さん、今度一緒に行きませんか」
「今度っていつだい」
「今度ですよ、今度は、今度」

それはきっと、この仕事を辞めてからだ。
定年まで働けたなら。
歳を取った二人で行くのも良いだろう。

どちらともなく立ち上がり、それからキスをした。

どちらともなく。


2010014完

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