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外の小雨。
体の疲労。
心の落ち着き。
心地好い。
菅野がいないだけで、営業所内は酷く静かだ。
そうだ、こんな雰囲気だった。
菅野がここに来るまでは、静かで落ち着いていた筈だった。
思い出せないけれど。
菅野の昇進。
自分はここに留まっているのに。
どこにも行けず、立ち止まったままで。
菅野の存在が杉浦の劣等感を苛める物だった事には、間違いは無い。
だが、それだけだっただろうか。
小さな動物。
菅野を思い出す度にリスを想像する。
シマリス。
小気味よく忙しなく動くお喋りな動物。
或いは鳥。
囀る鳥。
杉浦はその小さな動物を可愛がっていた。
自分なりに慈しんでいた。
表現が不器用すぎたのを、今、強く感じる。
気持ちは落ち着いているのに、ほんの一部が波を打って。
一人は淋しいな、菅野くん。
君はうるさい位お喋りだったから、営業所が静かで仕方ないよ。
シンとしすぎて耳が痛いんだ。
外は雨だし、雨の音なんて聞こえないし、ここには僕しかいないよ。
情けない男だ、と自分を思う。
デスクの上には書類の束。
菅野との引き継ぎ、一週間。
その一週間、毎日、毎晩ここで菅野を抱いた。
菅野くん。
かんちゃん。
営業所のドアが開く音で我にかえった。
菅野との一週間を反芻しすぎて、頭がおかしくなったのかと思った。
ずぶ濡れの菅野がいた。
「誤解されたままなのは、納得出来ないと思ったんで」
菅野はいつもの笑顔で、それでも気持ち詰まらなそうに。
杉浦は開いてしまった口を閉じるのも忘れて、ただ菅野を凝視した。
何故ここに菅野が?
昨日支店へと旅立った筈じゃないか。
引っ越しも手伝った。
引き継ぎも終えた。
今は自分の上司の。
「…何してるんですか…菅野…さん」
かんちゃん。
何しちゃってんの、かんちゃん。
そんなずぶ濡れで。
ニヤニヤ笑ってるけど、疲れてるみたいだ。
かんちゃん。
何でここにいるんだ?
「誤解されたままなのは嫌だなぁと思ったんですよ。あのね、杉浦さん」
営業所内に足を踏み入れる菅野の姿をスローモーションで認識する。
ゆっくりとした動きで杉浦のデスクに近寄る菅野を、杉浦はじっと見つめていた。
菅野は杉浦の傍まで来ると、視線を杉浦が座る高さまで下げて、再度笑顔を作った。
「僕が、どんな男でも寝ると思ってるんでしょう、杉浦さんは」
黙ったままで首を振った。
思ってないよ。
そんな事思ってないよ。
「僕の昇進は安東さんと寝たからだとか久保課長と寝たからだとか、そんな事考えてたでしょう」
首を振る。
少しは頭を過ぎった、だがそれはただの妄想。
そんな事はしなくても、菅野は上に行く男だ。
自分の様に立ち止まったりはしない。
現状に甘んじられる男ではない。
菅野は高みを目指す。
だからこそ眩しく、だからこそ疎ましく、だからこそ。
「思ってないよ…思って…無いですよ…菅野さん」
「じゃあ止めて下さいソレ」
菅野が杉浦の頬を両手で包む。
冷えている。
「菅野さんて呼ぶのを止めてください。今だけでも。僕と二人でいる時だけでも」
「菅野くん」
菅野くん。
かんちゃん。
どうしてここに?
「一度考え始めたら止まらなくなっちゃって。杉浦さんに誤解されるのは馴れてるけど、誰とでも寝るだなんて思われてるのだけは御免だ。だから、高速すっ飛ばしてきました。杉浦さんに会いたくて」
会えなくなる訳じゃないのに。
仙台では毎月会議もある。
こっちが売れなきゃ菅野くんに叱られる為に僕が高速すっ飛ばして行かなきゃならない。
会えなくなった訳じゃない。
抱けなくなっただけだ。
それは、別れ、だ。
「別れる気も無いですからね、僕。杉浦さんと抱き合うのが一番好きなんだから。仕事より好きだ。家庭よりも好きなんだ。何を捨てたって構わない位好きなんだ。でも」
菅野が杉浦の耳元で囁く。
そんな僕には興味無いでしょう?
その通りだ。
杉浦よりも優位に立ち、杉浦を踏み台にして、杉浦を全て二の次にする菅野に、杉浦は溺れている。
「かんちゃん」
「なんですか」
「怒ってる?」
「怒ってないですよ。笑ってるでしょ僕」
「笑ってないよ、怒ってるよ、イライラしてる時のかんちゃんだよ」
「そんな事ないですよ。杉浦さんに会えて興奮してるだけだよ」
「昨日も会ったよ」
「昨日は昨日。今日は今日です」
「かんちゃん、今日は泊まってくの?」
「泊まって行きます。明日休みだし。だから」
ならば。
一晩中、菅野の体を抱きしめよう。
寒かっただろう、冷えたその体を暖めよう。
それが杉浦の今日一番の最優先業務だ。
菅野の背中を引き寄せ、抱きしめ、その笑顔を見つめて。
「かんちゃん」
呼んで、返事をされる前に口づけた。
20090523完
*最終回っぽい感じですが終わりません、続きます。
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