「南輪内のヘルパーがさ、問題起こしたみたい」

杉浦は自分の業務用携帯電話から目を離さずに、呟く様に、だが菅野に聞こえる様に、言った。

菅野は手にしていた資料から視線を外してそれを杉浦に向けた。

「なんですか?何やったんだ。不正契約?」
「ううん、そうじゃなくて」
杉浦が眉を寄せる。
言いにくそうに。

「なんなんですか」
「自殺未遂みたいだね」
「…へぇ」
菅野は急激にいつもの笑みを隠した。
この表情の変化は、菅野にしては珍しい。

何があろうと、菅野はいつも笑っているはずだ。

「南輪内って、一人店舗でしたっけ」
「そうだね。秋田から応援寄越せってメールなんだ」
「そうですか。誰出します?社員がいいのかな。秋山さん?宮川くん?」
「うん、宮川くんがいいかな…」

重い空気。
詳細はわからない。
わからないが、南輪内は隣県で、杉浦と菅野も以前視察で訪れた事がある。

元気で、笑顔を絶やさない、明るい女性ヘルパーだった。

菅野が深い溜息をつく。

杉浦は、声を掛けられない。

なんとなくではあるが、菅野の以前の知人にやはり、自殺未遂をした人物がいたようだからだ。

はっきりと菅野の口からは聞いた訳ではない。
お喋りな菅野が言いたがらないのだから、聞きたいとは思わない。

「チョコレートってね、僕、苦手なんですよ」

突然、菅野が言った。
菅野に視線を向けると、杉浦にでは無い相手にでも言ったかのように、窓の外を見つめていた。

銀杏の木が黄色く、そしてはらはらと落ちて行くのが見えた。

「血液が固まるとさ、赤くなくなるでしょう。茶色くなるでしょう。あれが、ミルクチョコの色に似てて、僕は苦手なんです。ちょっとしたトラウマ、かな?そんな大層なもんでもないんですけどね」

返答は出来なかった。
正しい返答が思い付かなかった。

ただ、そうなのか、と頭の中でだけ思った。

今度は急にケタケタと笑い出した。

「私の血は、チョコレートで出来てるの。なんちゃって」
それはワイン好きで有名な女優の台詞を改変しただけの。

くだらない言葉だ。

「かんちゃん」
やっと、言いたい言葉が見つかった。
やっと、菅野に掛けたい言葉が見つかった。

「かんちゃん、悲しいなら泣いてもいいし、怒ってるなら叫んだっていいよ。ここには僕と君しかいないからね」

杉浦が最後まで言い終える前に、菅野はデスクに突っ伏した。
しゃくりあげる声が聞こえた。

時々、小さく呻くように、こんな声も聞こえた。

「死んだらダメなんだ、死んだら、死んだら、ダメ、なんだ」


杉浦は菅野がさっきまで見つめていた窓の外、銀杏の木を見つめた。

この先どんな風に自分達、自分と菅野が、どうなるのかはわからない。
わからないが、菅野より先には死ねない。
約束の出来ない誓いを心の中でそっと、立てていた。

また、銀杏の葉がひらひらと落下していった。


20091112完


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