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幸せになんかなれない。
なれる訳が無い。
子供が出来ないのを理由になんかしていない。
それは言い訳にもならない。
帰りの遅い自分を、ただひたすら、小さな飼い猫と共に待つだけの妻。
その存在を大切に思っている。
思っているのに、菅野から離れられない。
そんな自分が幸せになんかなれる訳が無い。
裏切り者だ。
自分は裏切っている。
妻を裏切っている。
菅野のせいではない。
自分が、悪いのだ。
憂鬱な気分と一体になっている、高揚感。
菅野の顔を見る度に、色々な感情が自分の中に湧き溢れて来る。
コソコソと隠れて、二人で入ったデートホテル。
社用車を使い、巡店中に。
昼から。
部屋の中は少しだけ寒かった。
「ひゃぁ。冷えてるなぁここ。風呂入ったらあったまりますよね」
菅野はふざける様に笑って、壁に掛けられた暖房器具のリモコンを弄った。
振り返り、杉浦を見つめて微笑む。
「どうしました?今日は静かですねぇ杉浦さん」
考えていた事を口にする。
「こんな事、もう止めよう、菅野くん」
自分が思っていたよりも、その言葉はするすると口から出ていった。
別れの決意。
杉浦はこの一ヶ月、ずっとそればかりを考えていた。
不毛なセックス。
未来の無い恋。
何も残らない関係を清算しなくては。
ずっと、そればかりを考えていた。
菅野は不思議そうに杉浦を見つめて来る。
その視線に耐え切れず、杉浦は俯いた。
もう一度、告げた。
「もうこんな事、やめよう」
「僕はいいですけど」
あっさりと菅野は答えた。
その声に哀しみや諦めと言ったネガティブな色は微塵も混じっていなかった。
いつもの菅野の、朗らかな声。
「杉浦さんがそうしたいなら、僕はいいですよ。構いません。杉浦さんを困らせたい訳じゃないですから」
俯く杉浦の傍に進み寄り、菅野は見上げてきた。
視線を交わす事が出来ない。
自分が、揺れているからだ。
自覚していた。
今、菅野の視線を受け止めてしまえばおしまいだ。
別れられなくなるに決まっている。
二ヶ月前に初めて菅野を抱いた。
それから、ほぼ毎日の様に菅野の体を求めた。
菅野もまた、杉浦を求めた。
セックスだけの日々。
仕事は二の次で。
なのに何故か業績は上がった。
お互いに充実していたからだろう。
お互いを大事に思ったからだろう。
「杉浦さん」
「…なんだい」
視線は合わせず、菅野の呼びかけに応える。
「僕は杉浦さんが好きです。いつでも、大好きです」
「…僕もだよ」
その言葉に嘘は無い。
ありきたりな表現をするなら、菅野こそが杉浦の、運命の相手だ。
出会ってはいけない運命の相手だ。
菅野はそっと杉浦の胸に額をあててきた。
この細い体を、抱きしめてはならない。
今、耐えないと。
この先もっと、自分は悩み苦しむはずだ。
この瞬間、菅野を断ち切らねばならない。
「好きなのに、幸せにはなれないですもんね、僕達」
そうだ。そうなんだ、菅野くん。
「こんなに好きなのに」
僕も君が好きだ。だけど、駄目なんだよ。こんな関係は、何も生み出さないんだ。
「好きなのに」
好きなのに。
好きなのに、好きなのに、好きなのに。
「僕、タクシー呼んで帰りますね」
杉浦から少しだけ顔を離して、小さな声で菅野は伝えた。
「ちゃんと送るよ」
「いえ、大丈夫です。ここからなら近いし。直帰扱いにしてもらえます?」
「…うん、わかった」
「杉浦さん、先に帰っていいですよ。僕、ここでちょっと休んで行きます」
「…うん、わかった」
「支払いもしとくから大丈夫ですよ」
「…かんちゃん、ごめん」
「いいえ。僕こそ。すみません」
幸せにはなれない。
なってはいけない。
自分は、幸せになってはならない。
菅野の顔を見ずに、俯いたまま、杉浦は部屋を出る。
菅野の手が、自分を引き止めるかと一瞬思ったが、期待は外れた。
胸の内で苦笑した。
何を期待したんだろう。
菅野に縋って貰いたかったのか。
行かないでくれと、引き止められたかったのか。
そうされた所で、自分は何も出来ないのに。
菅野の気持ちに応えられないのに。
ドアを開けて部屋を出る。
コテージタイプのホテル。
隣接するガレージ。
シャッターを開ける。
社用車に乗り込む。
エンジンをかける。
アクセルを踏む勇気を出すまでに、少しだけ時間が必要だった。
20091105完
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