急ブレーキ。
「あぶねー!ちょっとヒデキ、危ないって」
「ネコが出てきた」
ヒデキは何事も無かったかのようにまた車を発進させた。
ヒデキの車の運転は、危ない。
ドライバーなんて、本当は向いてないと思う。
ならよっぽどデリで稼いだ方が早いのに、と思う。

ヒデキは小柄で細身で、いつも難しい表情で、眉間に皺を寄せている。
大きな目をしてて、茶色の透明な瞳をしていて、でもそれはいつも、長い前髪に隠れてる。
前髪、切ればいいのに、と思う。
整った綺麗な凛々しい顔をしてるのに。
勿体無い。

眉間に皺を寄せているのには理由がある。
まともな仕事が見つからないからだ。
家に帰れば二人のガキと可愛い奥さんがいるそうだ。
見たことは無いけど。
前の職場でリストラされたって話。
何かを間違って、デリヘルのドライバーなんかやってる。
俺はケタケタ笑ってしまった。

「いきなり笑うなよ」
「向いてないのにな、ドライバー」
「二種持ってんだよ俺、一応」
「まだタクシー会社に就職したって嘘付いてるの?」
ヒデキは頷いた。
「昼はタクシー、夜は代行、って?」
「そう」
また、笑ってしまった。

ヒデキがちらっとこっちを見た。睨んでた。
「ミナト。お前みたいに気楽に生きたいよ」
「気楽だよ?ヒデキも気楽に生きればいいよ。レノのデリなら出来るんじゃね?客は女だし」
「どんなババアが来るかわかんねーんだろ」
「意外と綺麗な人妻とか多いっぽいよ」
「それでも嫌だ。絶対勃たねーよ」
「だったらケツ掘られる方やってみなよ。俺みたいに。ドライバーよりよっぽど金いいんだって」
「やだね。セックスは大事にしたいんだ」
「小娘みたいな事言って。ヒデキって幾つになったんだっけ」
「30」
「俺より10もオッサンなんだなー…あ、もう着いた?早いなー」

あっと言う間に郊外のラブホテルに到着してしまった。
車を駐車場の脇に停めて、ヒデキは携帯を取り出した。
「まだ10分前だな」
「んじゃ待機ぃー…あ!」
「どうした?」
俺は自分の携帯を取り出して、驚いた。
電源は入っているのに、画面が真っ黒なままで動かない。
「液晶イカれたのかな」
「汗かいた手でずっと携帯持ってただろ。水没だよ」
ヒデキが呆れたように言った。
「水につけてないよ」
「水にポッチャン入れなくたって、汗でも水没すんだよ。ちょっと見せてみろ」
ヒデキに携帯を渡す。

携帯を裏返して、リアカバーを開けた。
水没確認のマークがあるくらいは俺も知ってる。
「ホラ、ピンクになってる」
「もうダメ?」
「バッテリー入れ替えたらちょっとは持つ…かな」
そう言ってヒデキは電池パックを一度外して、また入れなおした。
電源ON。
画面が動く。

「やった!良かったー」
「良くない。買い替えだ。それもう2年以上経ってるだろ。買い換えろよ。金あるんだろ」
「えー。勿体ねー」
「勿体無くない。連絡取れなかったら仕事なんねぇだろ。投資は大事なんだ。それQoQoの携帯だろ、機種変更したってゼロ円のがあるよ。アドレス変わってもいいならMNPした方が得だし」
「あんの?今ってゼロ円って無いって思ってた」
「買い方によるけどQoQoのならある、はず」
「ふーん」
携帯を眺めていたら、思いついた。

「ヒデキ、これ終わったら機種変更付き合ってよ」
「え。あー。ああ。いいけど。他に走る予定無ければ」
「マジで?やった!機種変更たって時間かかんないよね。一緒に選んでくれる?」
「ん、ああ」

ヒデキが今日、初めて笑った。
静かに微笑んだだけ。
それでも嬉しい。

「よし、んじゃ張り切って行ってくる!」
助手席から降りる。
振り返って手を振る。
ヒデキも振り返してくれた。

新しい携帯か。
MNPってなんだっけ。さっきなんか言ってた気がする。それにした方が得だとかなんとか。
番号同じで携帯会社変える奴だったっけ。
変えてもいいな。
確かヒデキはマストの携帯使ってる。
マストにしようかな。
そんな事を考えながら、ニヤニヤして部屋のチャイムを鳴らした。
笑顔笑顔。
その日の俺はよっぽど愛想のいい奴だと思われただろうな。
なんせクーラーもガンガンに効いてたし。


20090804完



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